散策思索語録質種

絵本もどきの落書きと、エッセイもどきのひとりごと・・・

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ちょっと思い当たることがあって、「真似と影響」のパート2を。 というのは、このブログ、エッセーを書くつもりで、実は知らず知らずに詩を書こうとしていることがたまにある。いや、たまにではなくて、文章を練っているうちに散文詩になってしまうことが、ままあるのだ。そして、そういう記事の方が読み応えがあるような気がする(と勝手に思っている)。 記事を書くのが億劫なときは、明らかに駄文を書いている。説明的で心がこもっていない。どうでもいいことを書いた後に自己嫌悪に陥って、思い切って削除しようと思っていると、温かいコメントを頂いて戸惑ってしまう。読んでくれる有難さに、かろうじて救われているのだ。 そう、書く気満々のときは、自分は(ひとりよがりな)詩人になっている。書こうとするテーマがはっきりしていて、しっかり取材もできているときは、筆が進むうちにどんどん詩人の気分になっている(・・・バカみたい)。 詩は言葉の羅列ではダメ。見栄えの良さだけでもダメ。説明的にズラズラ書いたらダメ。お気楽に思いつくまま書いてはダメ。言葉に魂を吹き込むつもりにならなければ書けない。テンションが余程に上がっていないと書けない。出来不出来はともかく、書いた後は本当に疲れてしまう。と言っても、こんな感覚だれも信じちゃくれないだろうけれど。 それが一体どこから来ているのかと、記憶をたどっていくと高校時代にさかのぼる。 
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 その時代、本来なら受験受験で一番大事な時に混声合唱にうつつを抜かし、それがために浪人生活で苦労したという、そんな話はどうでもよいのだけれども。このときに歌っていた曲が、「旅」とか「蔵王」、「水のいのち」、「心の四季」、「若い合唱」といっても、よほど合唱が好きな人でなければ知らない曲ばかりだろうけれども。どれも良い曲なんだよ、実際。 詩というと、高村光太郎とか島崎藤村とか、あるいは上田敏の海潮音のような教科書に載っているものくらいしか見たことがなかった。ところが、上掲の合唱曲の歌詞をメロディなしで読んだ時、衝撃が走った。そこに出てくる吉野弘さんとか黒田三郎さんなんていう有名な現代詩人を当時は全く知らず、先生の指導のままに読んでみて、経験したことのない新しい世界の広がりを感じたものだ。 例えば、「真昼の星」という詩がある。著作権の問題があるので紹介はできないが、とにかくこの題だけでも味わってほしい。真昼の星だってさ。真昼にゃ星なんか出ていない、いや、出ているけれども我々には見えない。その事実から得るインスピレーションを想像して欲しい。「真昼の星」という題だけで、信じられないほど多くの情報が浮かび上がる驚き! 言葉に魂を吹き込む・・・難しくて難しくて、才能のなさを嘆くばかり。しかし、もしそれができたなら、たった一言で無限の宇宙をも表現できるだろう。真似をしたことはない、というより、真似なんか到底できないけれど、影響を受けているのは明らかだ。 そんな記事を書くことができればと、いつも思う。思うだけで疲れている。

(2009/04/21)

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