| 副都心新宿でさえビルディングと言えば三越とか伊勢丹くらいで、ほとんど戸建ての商店が軒を連ねていた頃の話だ。トイレは汲み取りが当たり前だった。そんな家のトイレの窓から軒先を見たら、大きな蜘蛛が巣を作っていた。いつもならさっさと用を済ませるのに、臭いのもものかは、その小動物の芸術に魅了されてじっと眺めていたものだ。 普通、蜘蛛の巣なんか見つけても、気味が悪いと思うくらいで何も感じないだろう。が、私など、ふとその頃のことを思い出して、放射状の網に見入ってしまう。見入るだけでなく、その後に得た蜘蛛に関するさまざまな知見が頭の中で交錯し、ほんの短い間に宇宙から生命の起源についての旅を夢見てしまうのである。 蜘蛛が成層圏にまで達するという話を聞いたのは学生時代だった。中国が核実験を行ったというニュースが世界を駆け巡り、まだ東西冷戦時代のさなか、核戦争の脅威かと騒ぐ軍事評論家も多かった。もちろん、我が国は唯一の被爆国ということで神経質に反応する市民団体も多かった。そんな中、アメリカ軍が放射能の影響を調査する目的で網を付けた戦闘機を飛ばし、中国上空の成層圏から塵を持ち帰って分析した。その中に小さな蜘蛛が混じっていたというのである。 多くの動植物は大陸や島のように海によって隔てられた土地土地で種が独自に発達している。ある土地に外来種が棲みつくのは、人間の移動によってなされるのがほとんどだ。ところが、蜘蛛だけははるか遠く離れた土地で全く同じ種が見つかる。これは長い間、学者の頭を悩ませる大きな謎だった。それが、アメリカの戦闘機によって解明されたわけだ。大自然のベールが剥がされるのは、大抵そんなものである。 蜘蛛の子が尻から糸を出して風になびかせて、その勢いで空を飛んで移動することはすでに知られていた。しかし、その蜘蛛が3万メートルもの高さまで至っていることは大きな発見だった。蜘蛛は地球上のあらゆる場所へ雲の上を移動していたのだ。そんな話をまとめた本がある。実は私は読んでいない。多分、今後も読まないと思うが、興味のある人は手にとってみるとよかろう。 「飛行蜘蛛」錦三郎著(2005)笠間書院(1972:丸の内出版の復刻) ところで、蜘蛛が成層圏からさらに宇宙に飛び出すことがあるかというと、常識的にはどう考えても難しい。成層圏の上の熱圏は灼熱の世界で、生身の生命がここを通り抜けるのはまずムリというものだ。いくら蜘蛛が神秘の生き物と言っても、捕まえて火にくべてごらん。すぐに真っ黒な灰になってしまう。宇宙に飛び出すなんてやはり荒唐無稽な話である。立派な学者先生に言われなくてもそんなことはわかっている。 が、自然界というのはまだまだ人智の及ばぬことばかり。すべてわかったようなつもりでいると必ずバチが当たる。いや、自然界に限ったことではない。世の中わからないことだらけだ。賢者は己の無知を悟り、愚者は他人が無知に見える。今の世の中、本物の賢者なんてどこにいる? 2008年9月、アメリカの科学雑誌にクマムシと呼ばれる8本足で1ミリ程度の小動物が、宇宙空間でも生き延びたという論文が載った。と言っても、よっぽど科学に興味がなければ、こんな記事、覚えている人はいないだろう。しかし、これはかなりショッキングな話だ。なぜなら、クマムシの細胞が持つ驚異的な耐性の秘密が解き明かされれば・・・。 蜘蛛にクマムシと同じような耐性があるかどうかはわからないけれど、こんな記事を読むと蜘蛛が宇宙に飛び出す可能性は決してゼロではないなあと思ってしまうのだ。 さて、生命の起源が宇宙から来たという説は古くから言われているが、今年4月日本の国立天文台が、その説を裏付ける有力な証拠を発見したと発表した。 生命の素材はアミノ酸と呼ばれる有機物だ。そのアミノ酸には「右型」と「左型」がある。自然界ではそれぞれ同じ位の量で存在する。ところが、人間をはじめとする地球上の生物は左型のアミノ酸でできている。なぜ左型だけなのか大きな謎となっていた。 遠くの宇宙の様子を観測するのが天文台の仕事。オリオン大星雲の中心部を観測していたときのことだ。その周辺にアミノ酸をどちらか一方に偏らせてしまう特殊な光が存在していることを突き止めた。生命の素となるアミノ酸がこの光に照らされて、隕石に乗ってやってきたことは十分にあり得ると研究員は語る。それが蜘蛛かどうかはともかくとして、やはりあらゆる可能性はゼロではない。 |
☆微小動物「クマムシ」、宇宙空間で生き延びた(AFPBB)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2517091/3335737#blogbtn
☆宇宙の特殊な光から地球上の生命の起源に新知見(国立天文台)
http://www.nao.ac.jp/releaselist/archive/20100406/index_j.html
| 夜、寝床に入ってから見る夢は、過去の記憶をランダムに取り出して整理し直しているようなものだという。あるとき、公園のトイレで蜘蛛の巣を目にした刹那、白日夢を見たのである。 |
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