散策思索語録質種

絵本もどきの落書きと、エッセイもどきのひとりごと・・・

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ブログ小僧 -18-

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〔テキスト〕サービスを受け始めると、1000ヒットを超える日は当たり前で、返事ができないくらいコメントも来るし、ファンの数もどんどん増えていく。これはもう、ギネスにチャレンジしかないと思った。
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(斎場の係員が参列者に礼拝を促すと読経が始まる) 以前、歳を取ると時間の経過を速く感じることについて書いたことがある。イメージとしては、心の中に一定の長さの物差しがあって、自分が経験した時間をその物差しに割り振ったときの大きさが時間感覚なんだと思っていた。つまり、経験の少ない子供は定規に割り振られる時間が相対的に大きくなるから時間感覚が遅く、大人になるにつれて定規の中がだんだん手狭になって時間が速く感じられるようになる。 と、勝手に考えていたが、あるとき、時間の感覚は代謝効率に関係するという生理学の話を聞いて、オリジナルのイメージが見事に崩壊した。すなわち、子供の頃は代謝が活発なので時間が遅く感じられ、歳を取るほど代謝が悪くなって時間が速く感じられるようになるというのだ。だから、同じ時間でも人によって代謝が異なるから、それぞれ全く違う時間経過を感じているということになるわけだ。 それは、つまり人によって時間軸が違うということであり、絶対的な同一の時空間はないということだ。例えば、新幹線と山手線が平行して走っているところで、両者がたまたま近い速度で走っていればそれぞれの車両に乗っている人同士で直接のコミュニケーションがとれるだろう。が、新幹線がスピードを上げればもはや全く別の時空となって離れてしまう。人付き合いというのもこれに似たようなもの。人はそれぞれ全く別の時空を生きているのだ。 (我が国は信教の自由があるので、親戚でも異なる宗教宗派の場合が多い。聞き慣れないお経の中で念仏が流れると、突然、木魚がバックビートを叩きだした!私の家も念仏の浄土真宗だが、普通のダウンビートで1拍目にアクセントがくる。確か、時宗のお寺だと聞いた。時宗の開祖は踊り念仏で有名な一遍上人である。なるほど、バックビートといえばジャズのリズム。リズムに乗りながら念仏を唱えて陶酔の境に入るというわけか) 時空が人によって異なるということは、それが絶対ではないということだ。アインシュタインの相対性理論は最終的にはエネルギーと物質は同一の存在であり、時間と空間は相対的であることを示したものだけれど、理解が難しいのは、その結論を導く過程が客観的絶対ではなく主観的相対を基準にしているからだ。つまり、科学である限りは常に客観性が重視されなければならないのに、認識という主観の下で理論が展開される。 認識の速さとは光の速さだ。光の速さを超えてしまうと認識できなくなる。認識できないものは存在しないのだから考える必要がない。だから、光よりも速いものはこの世には存在せず、絶対的なものは光速のみという前提で理論を展開しなければならない。ところが、通常の感覚では時間や空間の方が絶対的な存在で、光は単なる現象という捉え方をしてしまう。 もし、時間や空間が絶対的なものであるなら、人が死んでもいすれ復活すると思うだろうし、今も霊魂が生きていると考えるだろう。だが、時間と空間は相対的なのだ。出発したときにキスをした恋人が、宇宙旅行から戻ってくると老人になっていたという浦島太郎のようなことが現実にあり得る。それは時空がそれぞれ別個に動いている相対的なものだからだ。人それぞれで時間軸が異なっているのである。 (焼香が始まる。喪主に一礼して、祭壇に手を合わせる。浄土真宗ではナマンダブだが、時宗はリズミカルに「なぁもぉあぁみぃだぁぶぅ」という感じ。念仏は故人への弔いというより、悲嘆にくれる本人が仏に救いを求める他力本願の言葉というものだ) 子供の頃、死んだらどうなってしまうのか、死んだあと人はどこに行くのかと考えると、恐くて眠れなかった。天国に行ければ良いけれど、誰しも後ろめたいことの一つや二つはある。多少は地獄で罪を償わなければならないのではないか。その地獄は罪の深さによって、等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻という八つの階層があり、一番軽い等活地獄でさえ抜け出すのに1兆6653億年かかるとされている。宇宙の誕生から140億年程度というから、とんでもない長さの時間である。 昔の人が地獄の恐ろしさを強調するために口から出まかせで並べた数字と言ってしまえばそれまでだが、あながち的外れでもなさそうなのだ。というのは、代謝が悪くなれば時間が速く過ぎ去っていくわけだから、最も代謝の悪い状態、つまりゼロになれば時間は相対的に無限となる。代謝がゼロとは死を意味する。つまり、死者は今も無限の時空を生きている。 時空は人それぞれ異なるもの。だから、私の時空の中に故人は存在していない。しかし、故人は息を引き取ったあの瞬間を無限の時空としてまだ生きている。悲しむことは何もない。私が山手線に乗っていて、故人は新幹線でずっと先に行ってしまったようなものだから。いずれまた同じ時間の速さの中で逢って話すこともあると信じよう。 (読経が終わり、棺の遺体に最後の別れを言うと、すすり泣く声が響き渡って葬儀のクライマックスとなる。が、焼場で骨になっても私の目に涙は浮かんで来なかった。なぜなら、これはかつて同じ時空にいたときに故人だった「もの」でしかない。もう故人はいないけれど、故人は故人の時空で永遠の時を生きているんだもの。間違いなく) ナマンダブと自分のために呟く。

(2010/10/23)

光陰:月日。歳月。移り行く時。
 http://blogs.yahoo.co.jp/omoshirogari/20114976.html?type=folderlist

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