散策思索語録質種

絵本もどきの落書きと、エッセイもどきのひとりごと・・・

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鬼籍の人に

大きな紙に砂鉄を撒いて、紙の下に磁石を当て、スーッと動かしてみる。 すると、1粍ほどの刺が立つように砂鉄がうごめいて、ゆらゆらざわざわ揺れていく。 そして、磁石が過ぎ去ると同時に再び静まり返る。 あの短い時間だけが生きていたという感触と、今は何事もなかったように横たわる黒い残滓。 ふとそんな光景を思い浮かべた。 深い悲しみの中で故人を悼んでいる、というわけではない。 それほどな付き合いでもなかった。 しかし、目を閉じれば今でも生きているあなたの姿がよみがえる。 あの時のあの声あの口調で感情を露わにし、私に語りかけてくる。 そこに感じるものはあなたの才能であり、あなたの可能性であり、あなたの未来だった。 だから、失礼ながら悲しいのではないのです。 悲しいのではなくただ残念だという気持ち。 あなたの未来をもっと見たかった。 人と関り合いを持てば、その数だけ同じ思いを持つのだろう。 そう思えば、いつもいつも残念なことばかり。 しかし、それを忌避しても仕方がない。 人は一人では生きていけないのだもの。 私のようなつまらぬ輩でも、関り合いがあれば、残念だと思ってくれる人がいるだろうか。 いるとすれば、それだけで十分有難いこと。 それにつけても、才能が可能性が未来が開花せずに消えていく、なんともやるせない。 種を絶やさぬために何万という卵を産み、わずか数パーセントしか残らないという虫や魚。 才能とか可能性とかを想うと、人間は高等生物だから例えが違うとは思えないのです。 命とはなんと貴重で、いとも容易く消え去るものか。 年齢は関係ない。 生きている限り、未来があり、可能性があるわけだからね。 何か新しいことを始めるのに早すぎることも遅すぎることもないと、そう教えてくれたあなた。 愛する人を追うように静かに息を引き取った。 いつも物静かに考え、微笑んでいたあなた。 あなたのそのポテンシャルを秘めた未来を捨てて、何も言わず校舎の屋上からその身を投げた。 カラヤンのようなタクトさばきに恐るべき天才を想わせたあなた。 遠い留学先で自動車事故であっけなくこの世を去るとは。 そして、あなたも逝ってしまったんですね。 私と出会った中学時代に、すでに大人顔負けの論客だったあなた。 難しい外交局面で大使を仰せつかり、これからという矢先に倒れるなんて。 鬼籍の人となれば、ただ静かな眠りを祈るしかないのだけれど。 愛する音楽の道に進んでいれば、また異なる軌跡を描いたのだろうけれども。 ひたむきに生きたあなたに悔いはなからうと信じる。 けれども、なんて残念な、なんて残酷な、なんて勿体ない命なんだろうと。 死とは未来を失うこと。 いくら、手で揺らそうと、磁石が通り過ぎた砂鉄は、散らばったただの埃。 命は一瞬の輝き。 その輝きを増すか失うかは紙一重だ。 あなたがたとえ白寿を超えているとしても、まだ見ぬ未来と可能性があることの素晴らしさ。 聖人はこだわりを捨てよと言うけれど、それでも命にはこだわって欲しい。 そんなことをね、ふと思ったんです。 皆様にはどうかご自愛を。
(2012/09/17)

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