散策思索語録質種

絵本もどきの落書きと、エッセイもどきのひとりごと・・・

好きなもの

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赤毛のアン プロフィールの「好きなもの」について適当なウンチクをズラズラ並べています。好きというだけで詳しいわけではありませんが、同好の方のコメントがいただけたらうれしいです。                                                                     
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河原乞食の誇り

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 正直言うと、今風の一発ギャグというのが嫌いである。 勢いだけで笑わせる、その軽さが受けるのだろうけれども、軽薄さゆえに後に何も残らない。残らないどころか、演じた芸人の尊大さが鼻に付いて厭味にすら感じるのだ。 その世界の先輩あるいは押しも押されぬ売れっ子がふんぞり返って、まだ芽の出ない若手芸人がヘコヘコ気を遣うのはわかる。が、それを表沙汰にして客に見せる神経が理解できない。しかもそれを無理やり笑いのネタにする魂胆が見苦しい。 芸の厳しさは幕裏の話。例えば歌舞伎は余計なものは一切見せずに、研ぎ澄まされた芸のみで大向こうを唸らせる。本物を見た後は、言葉にできない爽快感が余韻となって残るのだ。歌舞伎に限らず身近な大衆演芸でも、似た感覚を味わうことが珍しくなかった。 と、過去形なのは、もちろん最近は珍しくなったということ。珍しくなったと感じるのは、年を食ったせいもある。おそらく若い世代は共感を覚えまい。いつの時代もそんなものだ。 赤ん坊に「いないいないばあ」をやってごらん。最初は少しの間何が起こったのだろうと驚いた表情をするが、それが優しそうな人の顔とわかると安心して笑いだす。その安心感が心地良いのか、後は何回やってもケラケラ笑う。 でも一発ギャグはすぐ飽きる。ヨチヨチ歩く頃になるともう笑わない。その代わり、言葉の理解が進んでやたらに下ネタに興味を示す。UNKOと一言言うだけで大笑いだ。お笑い芸人の一発ギャグにもよく反応して大喜びで真似をする。すなわち、脈絡のない一発ギャグとは客を子供扱いに舐めている芸なのだ。 さて、就学を経て多少なりとも教養を身に付け、社会性が芽生えてくると、笑いも単純なものではなくて意味のある笑いに変わっていく。隠喩や機知に微笑むこともあれば、非日常や非常識を笑ったりする。中には嘲りやからかいで笑うこともある。いずれにせよ、普通はこうして少しずつ笑いが複雑なものになっていく。にもかかわらず、いい年して相変わらず一発ギャグに大喜びっていうのは・・・ チャップリンは喜劇なのにいつも涙を誘う。実に複雑な感性なのにメチャクチャ面白い。そう言えば、藤山寛美が阿呆になって、日常生活の泣き笑いという複雑な感情を見事に演じきる。そして、客席から自然と拍手が湧き起こるのである。新喜劇とはそういうものだった。東の浅草にもでん助劇場というのがあった。こちらは座長の大宮敏光を引き継ぐ芸人がいなくて廃れてしまったけれど。 ただ笑わせるだけの芸はつまらない。しかし、そこに意味を見出すとただの笑いも深くなる。エンタツ・アチャコはよく知らないけれど、戦後の焼け跡の中でせめて笑いを取り戻そうとした意図は感じる。時代が彼らを必要としていたのだ。 私はと言えば、後のダイマル・ラケットとかてんや・わんやを見てゲラゲラ笑っていたガキだった。単純な笑いのようで、所々にさりげなく社会風刺を入れ、観客はそれを笑い飛ばして憂さを晴らしていたのである。出来の悪い頭でどこまで理解できたか、とにかく学校では教えてくれない社会科の先生だった。 コロンビアトップや立川談志、横山ノックといった芸人がなぜ政治家になり下がるのか、最初は興味本位で面白がっていたが、実際のところよくわかっていなかった。要するに、笑いは不平不満の裏返しで、風刺を通り越して権力に対する批判になり、無謀にも最前線に突っ込んでいったのだ。ところが、いくら芸の世界で一流を張っていても、魑魅魍魎の住む永田町では「ど」の付く素人。政界の古狸や悪知恵の働くお役人と同じ戦場で戦っても勝てるわけがない。手もなくひねられて、牙を抜かれてしまったわけだ。 TVタレントも芸人に毛が生えたものとするなら、知事になってからの青島幸男はひどかった。大橋巨泉は場違いを悟って賢明にもきっぱりと政界を去った。ホームであるメディアでは信念を貫き、論理的で斬新なアイデアを語れるのに、常識の通じないアウェイの世界では赤子のように無力なことを証明しただけだった。 小沢昭一という俳優は、青島幸男とか大橋巨泉と同じ世代のタレントの一人である。同じ早稲田出身の永六輔、野坂昭如、野末陳平らと共に70〜80年代を風靡した。彼らは、学生運動が下火になりつつある高度成長期後半、ある種文化の爛熟期に活躍した印象がある。フォークソングがよく歌われた時代で、高石ともや、北山修、小室等ら当時の人気フォーク歌手とも関係が深い。そのフォークソングのほとんどに社会風刺の色彩が濃かった。 あ、突然思い出したが、手塚治虫はマンガで最も大切なのは風刺だと言っていた。それから、明治時代の演歌師、添田唖蟬坊が社会の矛盾を痛烈に風刺して歌ったのが演歌の初めだったのだ。 閑話休題。権力と不条理に対する不満を隠さず、平凡という身の程をわきまえながら皮肉を込めてメッセージを発する。オレたちにできる抵抗はせいぜいそんなものと自嘲しながら粋がって見せるスタイル。それは矢鱈に強さを求める今の時代には野暮ったいのかもしれないが、あの頃は多くの若者に支持されたものだ。 小沢昭一の場合は自ら河原乞食と称した。昔は河原に建てた掘立小屋で見世物や三文芝居をやるのが芸能で、それゆえ河原乞食と蔑まれた。何かとエラそうな御託を並べるが、所詮は河原乞食の戯言と自分を皮肉っているわけだ。 過激派があちこちで社会不安を引き起こし、新宿西口の集会が禁止されたあたりから若者たちの元気がなくなっていく。デモ行進が反社会行為と刷り込まれ、権力に異を唱えると変わり者の烙印を貼られ、不平不満の鶏口を塞がれて、不信感とストレスにまみれた牛後にさせられたのが、今のこの国である。 その本音を代弁するつもりか、お馴染み宮坂さんの口を借りて、巧みに社会風刺を貫き通したのが小沢昭一だ。一度見たら忘れられない大きな黒子で淡々と、しかし面白可笑しく自論を展開する、それ自体が名人芸である。 小沢昭一も含めて、大橋巨泉や永六輔の一派は、右にも左にも偏らない中道リベラルである。と言っても、国粋主義者からすると、平和を口にするだけで左寄りの反動勢力になってしまう。そういうのが増えてきたから、物騒な世の中になってきたものだ。そもそも右とか左とか二律背反でしか物事を考えられない手合いの幼稚な発想には辟易する。 小沢昭一が亡くなって「だれだそれ、小沢一郎の親戚か」の如きツイッターを見つけたときは、さすがに力が抜けた。そうか、彼を追って巨泉や永六、野坂昭如も間もなくいなくなってしまうのか。芸の深さを伝える者、生の戦争の恐ろしさを伝える者、伝統文化の価値を伝える者、身近な生活の知恵を伝える者が去り、行け行けどんどん過激で唯我独尊の輩ばかりが跳梁跋扈する世の中になっていくのか。 未来は君たちのものだもの。若者が本当にそれを望んでいるなら致し方もない。無力な年寄りは世の中を風刺するくらいが関の山。恐らく風刺は一発ギャグのようには受けないだろう。日々気が重いが、人を殺せる国にだけはしてなるものか。明日の投票には行くぞ。 早稲田大学落語研究会創始者、谷崎潤一郎作痴人の愛の河合譲治役、トイレの防臭剤バーミー、偉大なる河原乞食のココロだ〜 小沢昭一さん逝く。合掌。

文中敬称略(2012/12/15)

初恋の丘

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ここで今さらとやかく蘊蓄を並べる必要もない。 蓼食う虫も好き好き。人の好みはそれぞれだ。今の主流はヒップホップとかラップとか、およそ日本の童謡みたいなおとなしい音楽とは真逆に位置する。だから、彼女の歌声を好まない人がいても別におかしい話でも何でもない。 しかし、多くの人が認める心地良い歌声は国境を越えて、世界中の人の心をつかんでしまうという事件を目の当たりにしていささか痛快な気分である。 ただし、彼女の歌は難しい。なぜなら音程が正確で声に伸びと張りがあり、一つ一つの言葉を大切に歌っていて、ごまかしができない。そして知る人ぞ知る、自らの歌声を守るために女性としての生きざまをも犠牲にした凄まじさ。半端ではない正統派である。 流行というものは非情なもので、そういう音楽を受け入れる時代もあれば、極端に嫌う時代もある。しかし、年を取れば取るほど、遠く懐かしい思い出が浮かび上がるような、そんな音楽に癒されたくなるものだ。 彼女の歌声はそんな魅力にあふれており、そして、その心地良さを文化の異なる海外の音楽好きが見出したという面白さ。 そうなると、日本の国内でも、あの頃の懐かしい歌がリバイバルを始める。AKB48やEXILEも良いけれど、あの時代のこんな歌手あんな歌も良かったと話が弾むのは楽しい。そして、それが今の若い世代にも受け入れられているというのがまたなんともうれしいのである。 この書庫でも、ためらいがちにではあるけれど、何人かのお気に入りを語ってきたが、改めてそんな気持ちにさせられた。 由紀さおりさんと言えば、なんと言ってもデビュー曲の「夜明けのスキャット」だろうけれど、私は「初恋の丘」という歌が好きだった。YoutubeへのUPがないのが残念だ。 アルバム「1969」の中では「マシュケナダ」が良い。Youtubeで見つけた「ゆめのかたち」「さよならのかわりに」もとても温かい佳曲だ。 ああ、それから昭和歌謡ということで検索していたら、いくつかの忘れていた懐かしい歌を見つけた。歌詞、メロディそして歌唱力が当時としては抜きん出ていたと、勝手に思っている歌である。まだこれからも見つかるかもしれないけれど、とりあえず何曲かをピックトアップ。

 [補遺]関連映像をYouTubeからリンクしておきます。 1.マシュケナダ/由紀さおり 2.ゆめのかたち/由紀さおり・安田祥子 3.さよならのかわりに/由紀さゆり・安田祥子 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 1.ウナセラディ東京/ザ・ピーナッツ 2.想い出の樹の下で/岩崎宏美 3.きらめき/野口五郎 4.私の彼/しばたはつみ 5.ミカンが実る頃/藍美代子  ※関連記事:黄昏のビギン 
(2012/02/05)

硬派

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九二歳は大往生と思う。 これだけの名優なのに、大きな話題にならないのが意外である。私の父の世代だから、モノクロの活動写真の俳優というイメージなのだろうか。もはや知らない人の方が多いのか。が、ご高齢の方々にとっては「青い山脈」に初々しい学生役で登場した青春スター。今ならキムタクや松潤のような人気俳優なのだ。ただし、今どきのイケメンアイドルと決定的に違うのは、この人には照れがない。あくまでスマートでハンサムで徹底的な二枚目なのである。 私が最初に見たのは小学生のときだった。まだハナたれ小僧なので大人向けの難しい映画ではない。それは「妖星ゴラス」という空想特撮映画だった。東宝はゴジラやモスラといった怪獣もの以外にも、スターウォーズやジュラシックパークの先がけのようなSF映画を結構作っていたのだ。もちろん、子供たちの好奇心を大いにくすぐったものだ。 それは、地球よりも小さいのに太陽よりも大きな引力を持った謎の天体ゴラスが地球にぶつかるという、今のアメリカ映画にありふれた話である。そのゴラスを避けるために、南極に大きなロケットエンジンを据え付けて、地球全体を動かして軌道を変えようというのだ。現代科学で考えれば荒唐無稽そのものなのだが、当時はその斬新な発想に大興奮だった。そして、その映画に登場する池辺良のカッコイイこと。それで大ファンになってしまったというわけだ。 学校帰りの楽しみのひとつに、映画館の看板覗きがあった。封切中の映画のポスターや写真を見ているだけで、その映画を見ているような気がした。稀に池辺良の名前を出演者の中に見つけると胸が躍った。が、いつも上品な文芸作品やシリアスな戦争もので、どうも小僧っこには馴染めない作品ばかり。結局、雲の上の大人の俳優というところに落ち着いてしまった。 後年見た「青い山脈」は戦後の新しい時代の夜明けを伝える青春ドラマ。現代の感覚で見るとなんとも青臭くてお尻の辺りがくすぐったくなるような映画である。また、今では当たり前の接吻シーンも、当時は刺激的すぎてとても子供には見せられない代物だった。が、どの作品も見終わった後に清潔な爽快感が残るのは今の映画にはないものだ。経済的には戦争直後の苦しい中、精神的には豊かな時代だったのかもしれない。 溢れる情報を容易に手に入れることができる現代は、それゆえに他人が自分よりも劣っているような錯覚に陥りやすい。また、それゆえ、自分の感覚と現実とのギャップを埋めるために、照れ隠しのような三枚目をわざと演じたがる。問題に真正面から取り組もうとはせず、笑ってごまかす方が受けるのである。いや、その方がお互いに安心できるのだ。 しかし、わからないことの多かった時代は確固とした倫理を求めた。それがないと、世の中が荒んでしまうことをみんなが知っていたからだ。だから、その時代のドラマはクソ真面目で歯が浮くような科白が飛びかっても、だれもそれを茶化すようなことはしなかった。アメリカ映画というよりフランス映画、それもジェラール=フィリップとかルイ=ジューベといった名優が活躍した時代の匂いがあった。 池辺良はそういう匂いを最後まで貫いた硬派のスターと言えるだろう。たとえ軟派な役でも俳優としての姿勢は硬派だった。その極め付けがやくざ映画への出演である。実際のやくざの大幹部が見ても脱帽するほど本物の迫力なのだそうだ。半面プライベートではとてもユーモアのある人だったという。昔の俳優は公私のけじめをきっちり付けていた。 淀川長治が対談の中で、あのバーブラ=ストライザンドが池辺良のブロマイドを見て、なんてハンサムな人とため息をついたエピソードを披露していた。それを聞いた池辺良のはにかんだ笑顔が忘れられない。最高にカッコイイ俳優だった。 合掌。 (文中敬称略)

[補遺]関連映像をYouTubeからリンクしておきます。
 GORATH
  http://www.youtube.com/watch?v=-1eL1REDeqU
 青い山脈 (1949)
 早春 - 小津安二郎
  http://www.youtube.com/watch?v=EcqfBNWB5MY
 「暁の追跡」1950年
  http://www.youtube.com/watch?v=lmLYdW0BB7E

(2010/10/14)

ガチョーン

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さてさて、いつか記事にしようと思っていた大好きな人たちが、次々とこの世を去ってしまう。 例えば、井上ひさしや忌野清志郎は辛うじて追悼記事を書けたけれど、実は他にもそういう人が沢山いた。梅棹忠男とか、本多竹広、永嶋慎二、春風亭柳昇、海外ではグレゴリー=ペックやジューン=アリスン、ポール=ニューマンなどなど。記事にまとめようとする前に、いろいろなことが思い出されて頭の中の収拾がつかなくなってしまうのである。面識があるわけでもないのに、ものすごく残念な気がして仕方がない。文才のなさを嘆くばかり。 そして、また一人、残念な名前を聞いてしまった。 私らの世代のガキの頃というのは、何といってもクレージーキャッツ全盛で、それはもう今の一発ギャグ漫才の人気の比ではなかった。そもそも、無責任という言葉が学校で大問題となって、「スーダラ節」とか「ハイそれまでよ」なんぞを口ずさんだりしたら大目玉を食らったものだ。 子供はそういう羽目を外したものが大好きなのだ。ひとつ前の世代がお富さんで、私らより後の世代がドリフターズ、コント55号、ゲバゲバ、そしてひょうきん族と続いていく感じだろうか。上手い下手関係なく、理屈抜きで彼らは正真正銘のアイドルなのだ。だから、比較はできない。今の漫才ブームだって、子供たちが大きくなった頃には良い思い出となって心に残ることだろう。 学校の先生方には目の敵にされたけれど、クレージーキャッツはとても知的でおしゃれなグループに見えた。たとえば、シャボン玉ホリデーや大人の漫画などのコントは、ほとんどが青島幸男とか河野洋といったしっかりした作家のアイデアをベースにしていたし、永六輔や野坂昭如、大橋巨泉なども絡んで、早稲田の匂いがプンプンしていた。 メンバーもまた中途半端な芸人ではなく、バンドだけでも食べていけるほどの腕前を持っていた。子供たちの1番人気はやはり植木等だったけれど、あの歴史的なギャグが登場すると人気は逆転。ガチョーン!と、これもまた学校で目の敵にされた。どうして、先生という生き物はこんなに頭が硬いのだろうと思った。また、硬くないとできない商売なんだなとも思った(今でもそう思っている)。 アメリカの人気エンターティナー、ダニー=ケイをもじった芸名だという。そう言えば、江戸川乱歩のエドガー=アラン=ポーとか、益田喜頓のバスター=キートンとか、尊敬する人の名前をもじるのが、おしゃれな感じのする時代だった。その和製エンターティナーが、NHKの美の壺のコーディネータを務めていたときの雰囲気は、もはや重厚感あふれる文化人そのものだった。 ある時、永六輔がラジオで谷啓の話をしていた。テレビ黎明期の戦友同士ということもあるが、その時の話題は近年のグルメブームや大食い番組についてのことで、もちろん、それらを非難しているのである。物を食べるという画像は、映画やドラマでは物語の進行上やむを得ないものだが、それ以外で人前で食べるということは、かつてはなかったという。ところが、これらの番組ではマナーやエチケットなどまるで無視。ひたすらガツガツムシャムシャ、まるで養豚場のブタのようだというわけだ。 谷啓という人は、ドラマも含めて人前で物を食べることはしないという。つまり、人前で食べる姿を見せるのは恥ずかしいことだというのだ。あれだけ、面白いギャグを連発し、目立ちたがり屋と自分で言いながら、実はしっかりと日本人であった。日本人は恥という感性をどんどん失っている人種で、今や海外に出ても旅の恥はかき捨てとばかり、平気で現地の失笑を買う。最近増えてきた中国人観光客のマナーの悪さを言う前に自分をよく見た方が良い。 尊敬すべきわれらがアイドルがまた逝った。合掌・・・ん、今気付いたが、ガチョーンは合掌に音が似ているなあ・・・ 改めて、合掌。

※文中敬称略(2010/09/12)

残念である。昨年10月に肺がんで入院されたというニュースを聞いて気になっていたが、平和の理想を声高に語れる人がまた一人去ってしまった。
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傾倒しているというほど作品に触れているわけではない。小説もあまり読んでいないし、舞台を見に行ったこともない。ただ、井上ひさしさんが語る創作の姿勢に大いに共感し、自分もまたそれを理想としたいと思ってきた。 例えば、マネジメントの問題やシステムの構築、品質改善など、企業発展のために不可欠なこれらの知識をいかにしてわかりやすく実戦的に理解させるかは、自分のライフワークの一つと考えている。それを支える言葉が、井上ひさしさんがよく色紙に書かれる「むずかしいことをやさしく…」という名言だった。

その言葉に最初に出合ったのはCI(corporate_identity)について調べていたときで、ある芸能プロの社是で使われているのを見つけたのである。もうかなり以前のことで、その当時は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」というものであった。今は最後の行が「ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」となっているが、私としては、執筆活動以外のあらゆることに活かせるので、昔の言い回しの方が好きだ。 私が子供のときと違って、最近は戦争や軍事力を批判すると妙なバッシングを受ける世の中になってしまった。口を開けばすぐ売国奴、非国民であり、半島に帰れなどとわけのわからないことを言われる。社会的によほどの影響力がない限り、そこら辺の半端な著名人はその手の話には口を閉ざしてしまう。そうなると、オピニオンの場には好戦的なものだけが目立つようになり、たとえそれがいい加減な内容だとしても一般的な世論であるかのように見えてしまうのである。そういう流れに抵抗してきたのが、井上ひさしさんや故筑紫哲也さんたちだった。その世代の巨人たちが寄る年波にどんどん呑み込まれていなくなってしまう。 よくわからないことがある。反戦を叫ぶ人たちはすぐ左寄りというレッテルを貼られる。確かに中には古臭い共産思想に染まっている頭が固いのもいるが、その大半は自由な思想の持ち主で、右寄りの人も少なからずいる。政治的にはリベラルで民主的である。ところが、非難する輩にとってはこれらすべて国を滅ぼす危険思想となるようだ。彼らが気にくわないものはすべて売国奴なのだ。一般庶民にまだ良心が残っている内は良い。しかし、かつてヒトラーが言った「嘘も言い続ければ本当になる」のであれば、そのうち、もの言えば唇が寒くなる世の中になってしまうだろう。 人間なんだから完全無欠なことはない。井上ひさしさんの場合もDVの問題など本当にあったようだ。ただし、今では関係者が笑い飛ばしているからまだ救われる話だ。ところが、批判勢力にとってはそれが格好の餌食となり、尾ひれを付けて人間失格のごとき烙印を押して、その存在を否定するのである。自分たちはどうなのだろう。聖人君子ばかりの世の中など考えるだけで息苦しくなる。 井上さんはこんなことも言っていた。軍備に使う金があるならどんどん科学や技術革新に金を使うべきだと。世界中のどの国も追随できないくらいの高度な科学技術を持てば、それを失うわけにはいかないから、この国を攻撃することなどできなくなる。そんな話を聞いてみんなお伽話だと嗤うけれども、私など一つの面白い考え方だなあと思ってしまう。右寄りの思想を否定はしない。しかし、目的が戦前の軍国主義回帰にあるとするなら、やはり受け入れることはできない。 ものが食べられないくらい貧乏な人が増えて、世の中金だけが価値あるものになってしまった。人々の考え方があまりにも現実的になりすぎて息が詰まる。そんなことを考えながらテレビを付けると、バラエティの芸人たちの安っぽい一発ギャグが目に飛び込んできた。ひょっこりひょうたん島なんて、今どき受けないだろう。文化も貧困化が進んでいるのではないかと思う。 本当に残念である。井上ひさしさんのご冥福を祈って合掌。

(2010/04/12)

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