| 「彼女は腹を空かしていた。 昨日までは、この広いカヤの原を徘徊していれば、コオロギ、バッタの類に事欠かなかった。すばしこいハエやアブですらも彼女の洗練された狩猟技術をもってすれば、簡単に捕食できた。 ところが、隣接する日当たりの良い土手で、カメムシ狩りに夢中になっていた後に戻ってくると、うっそうとしたカヤがすべて刈り取られ、根っこだけが残る荒涼とした平地になっていた。三角形の頭をくるりと回し、自慢のカマの腕で大きな目をこすっても、一変した光景が元に戻ることはなかった。一体何が起きたのか、もちろん彼女に理解する術はなかった。 間もなく訪れる産卵の時期を控えて、とにかく今は体力を蓄えるだけが彼女の仕事であった。やむを得ず再び土手に向かったが、こちらもすでに丸裸の状態に変っていた。 目の前を動きの鈍いワラジムシがはっていく。いとも簡単にこれを両のカマで挟み込み、ゆっくりと腹の中に収めていく。食べ終わるとカマの刃を口でぬぐい、触角を動かして周囲の気配に注意を払うが、そこにはもはや彼女が必要とするものは何もなかった。 それどころか、こんな見通しの良い場所では逆に自分が野鳥の餌食になってしまう。ここは危険だと、本能が彼女に教えていた。あれだけたくさんいた兄弟姉妹たちのほとんどがそうやって鳥やネズミの犠牲となり、DNAを後世に伝えられる個体が彼女のほかに残っているかどうかは、神のみが知るところだった。 刈り取られた原とは逆の方向に歩き出す。そこは死の世界のような冷たいアスファルトが広がっていた。それでも、何かに憑かれたように彼女は歩き続けた。時折り、この世のものとは思えない轟音と共に大きな黒い影が空を覆い、過ぎ去っていった。 側溝を越え、なんとか、命の感じられる土の匂いのする空き地にたどり着くと、枯れかかっているノギクの花にシジミチョウが管を伸ばして、ないに等しい蜜をむさぼっている。これを捕らえて口に運ぶのに何の苦労もいらなかった。しかし、これで今は持つが、空腹はすぐにやってくる。 彼女は、再びアスファルトの海を渡る決意をした。そして、側溝まであと少しというところに来たときである。それは轟音を伴わず、静かに、突然空から降ってきて彼女の体を押しつぶした。 「ちぇっ、カマキリ踏んじまったよ」 男はそう言って唾を吐くと、不機嫌な顔をしてその場を立ち去っていった。 `・・・・・・ この死骸には一体どんなドラマがあったんだろう? |
(2008/11/22)
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