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| 季節の移ろいを愉しみながら、感じたこと気付いたことを思いつくままに。
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| 雲の高さの違いでそのように見えるだけなのだけれども、低い雲がまるでUFOが飛び立つように光っている。 高い位置に立てばお天道様はすでに顔を出しているに違いない。森の暗がりから見上げると、SF映画の空の色。未知との遭遇が始まりそうだ。 旭光が染めゆく秋の色浴びて |
(2009/11/04)
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| ガキの頃の思い出の中には、なぜかセイタカアワダチソウのイメージはあまりない。父と歩いた箱根の仙石原に広がるススキの原の方が強く記憶に残っているのである。 大人の身の丈を超えるようなセイタカアワダチソウが辺り一面にはびこって、アレルギーの原因とも言われて問題になったのは中学に上がった頃だろうか。その内、ススキが駆逐されて日本古来の風情がなくなってしまうと、父が嘆いていたのを思い出す。 確かに、あの当時、他の雑草が入りこむ余地がないくらい、空き地という空き地が黄色く霞んでいた。真偽のほどはわからないが、ゴキブリを退治するくらいの毒を根っこから分泌して、他の草を枯らせて繁茂するなどと言われた。であるから、十朱幸代や八神純子が叙情豊かに歌にしていたのが、私には違和感をどうしても拭えなかった。 その滅法強いはずのセイタカアワダチソウが一時はススキに逆襲され、近頃は少しも背高でなく、どうやらバランスよく住み分けられたのが大自然の妙である。原産地の北米ではこのくらいが普通の大きさのようだ。専門家によると、大きく繁茂したのはモグラなどが地中深くに溜めた栄養分を長い根で吸い取ったためで、それが枯渇して現在のような大きさに戻ったという。これも真偽のほどはわからない。 ともあれ、自然界では極端な偏りというのは必ず反動をもたらす。そのような行ったり来たりが繰り返し行われ、ゆっくり時間を掛けて丁度バランスの取れたところで落ち着くのだ。 それは普遍性すら感じさせる現象である。思えば政治の世界で多数与党の極端な偏りが大きな反動を呼んだ。これもおそらくこれからゆっくり振動していくのだろう。大きな変化がもたらす極端な偏りが、時間を掛けて最適な位置に安定する、その繰り返しが歴史を作ってきたのだ。 昔の人は「苦あれば楽あり」などと言って、そういう世の中の性質をよく知っていた。賢人は決して悲観的なことは言わない。今は苦しいけれど、夜明けの来ない夜はない。セイタカアワダチソウとススキの共存を見ると、そんなことを思うのである。 |
(2009/11/01)
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| 一面の落ち葉。森ははや冬を羽織ろうとしている。人々が寝ぼけ眼で流星群に興じている間も時の流れは容赦ない。 森の暗がりを背に、秋の日を受けて二枚四枚三枚と舞い落ちる枯葉。気付く人はどんな思いを込めるだろう。シャンソンの名曲を口ずさむのもまた自然な所作である。 自然や生活の中に秋の終わりが感じられることを冬隣(ふゆどなり)という。冬近し、冬待つなどと同じ意味だが、冬という季節がまるで意志を持っているように、すぐ隣に来ているという思いが面白い。そのまま「冬となる」にかけているように聞こえるのも愉しい。大好きな季語の一つ。 星空を見飽きて今朝の冬隣 |
(2009/10/22)
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| 誰でも簡単にわかる身近な星座のせいか、ここ数日の話題はオリオン座流星群が群を抜いて多い。うちの辺りでは、月がなくても街の光が強すぎて、目が慣れてきてようやくこんな感じである。 星空に興味を持って、一番最初に覚えた星座がオリオン座という人は少なくなかろう。都会でも、南東の空に三つ星を見つけるのはさほど難しくない。丁度それがくびれの位置になるように、その周りの4つの明るい星と結ぶと和鼓の形に見えるのがオリオンだ。 明け方4時ごろ、布団にくるまりながら仰向けで見えるように、窓際に寝床を移動して出現を待った。運よく3回見ることができたけれども、いずれもマッチを擦り損なったような感じの一瞬の輝きで、目の片隅で光ったなと思って視線を向けたら、逃げるようにすっと消えてしまう。これでは願い事のしようもない。予想はしていたが、数年前のしし座流星群のフィーバーとは比べるべくもない。 大体、流星群だと騒がなくても、運が良ければ普段でも見ることはできる。ガキの頃、夏休みに田舎に遊びに行ったときの夜空は、正に降ってくるような星空で、初めて天の川を見てくらくらしたものだ。そのときに見た一筋の流星は全天を横切るように長い直線を引いた。山で見たこともある。多分、これらは隕石や火球の類だと思う。 とはいえ、滅多に見られるものでないことは確かだ。流星だけを目的にしていたら、すぐに飽きてしまう。関心のない人から見れば、どこが面白いのかと思うかもしれない。ところが、少しだけ星空の知識を持っていれば、それなりに愉しめて、飽きずに待つことができる。 というわけで、上の図に注釈を入れてみたのがこれ。(※時刻はおおよそ。4:15の軌跡は長くて方向も違うため流星群ではないかもしれない) |
| 冬は寒さ対策をしっかりやれば、夏よりも沢山の星が見られる。それは冬の夜空は星の多い銀河系の中心方向を見る格好になるからだ。その見方の基本を知っておくだけでもかなり愉しむことができる。 まず、オリオン座を見つけたら、あの三つ星がギザのピラミッドの配置になっているといううんちくを傾けて、古代文明の宇宙との関りを語り合うと良いだろう。その三つ星を囲む4つの星の内、右下の青く光る明るい星がリゲルという若い星だ。そのリゲルと三つ星の左の星とを結ぶ線の中間あたりに目を凝らして、ぼんやり星のようなものが見えたら視力1.0である。それがオリオン大星雲と呼ばれるM42。新しい星が生まれつつある場所だ。 リゲルとは反対の左上の赤い星がベテルギウス。太陽の数百倍もある巨大な星で、こちらは年を取って死につつある。この星はすばるを探す時の手掛りになる。白いリゲルを源氏星、赤のベテルギウスを平家星などと言うこともある。 そのベテルギウスから左の方向と下の方にひと際明るい星が見えるはずだ。下の星が全天で最も明るい恒星シリウス。2番目に太陽の近くにある明るい恒星としても知られる。近いと言っても光速で8年半の彼方だけれど。左の星がプロキオン。こちらは、あの星飛雄馬の父一徹が指差して「あれが巨人の星だ」と言ったことにされている。 このベテルギウス、シリウス、プロキオンを結ぶと丁度大きな正三角形になる。これを冬の大三角形と呼んで、冬の星座や主要な星々を見つける基準になる。まず、これをしっかり覚えておこう。後は、子供向けの解説本でも手元にあれば、それだけで一端の天文学者になれる。 ところで、なかなか流星が見えず、明るすぎて星の探索もままならずに眠くなってきた頃、ベテルギウスの上から3等星ほどの明るさの点が降りてきた。すわ流星かと思ったが、その点はのんびりと三つ星の横を通り、南の空に消えていった。人工衛星だ。もしかしたら、国際宇宙ステーションISSかもしれない。あるいはハッブル宇宙望遠鏡か!? 久し振りにじっくりと夜空を堪能した。全く飽きることがない。 |
(2009/10/21)
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| 昨日の強い風で目を覚ましたのか、今朝は街中いたるところで金木犀が香っていた。 行く道々黄色い小さな花が咲いていて、こんなに多かったのかと改めて驚くほどである。かつては香りの元の所在を探すのに苦労する木だった。微かな香りを追って道に迷う話を思い出したら、昨年も同じ話を記事にしていたので苦笑いだ。 木犀は桂花と言って、白花の銀木犀のことを指す。たまに庭木で見かけるけれども、ほとんど目立たない。ほんのりとした香りは金木犀ほど強くなく、奥床しさが感じられて良い。対して、金木犀は丹桂と言い、銀木犀の変種とされる。良い香りだけれど、これだけ街中に植えてあると、少々嫌味になってしまうのが可哀そうだ。 この香りが散歩道に満ちると、冬の気配を感じる。間もなく冷たい北風がポプリのように花を散らし、朝の散歩も長袖でなければ寒くて我慢できなくなる。後ろからジョガーが一人通り過ぎていく。まだ半袖だった。 木犀に息を整え走る人 |
(2009/10/09)
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