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| 季節の移ろいを愉しみながら、感じたこと気付いたことを思いつくままに。
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| 真っ青な夏空なのに 遠くの方からゴロゴロ聞こえてくる 見上げると北の空が薄墨を流したようだ あの下はものすごい大雨なのだろうか その雲をたどって丁度ここの真上 薄いベールを何枚も重ねたような雲の端 ゆらゆらと少しずつ変化している どうやら ゲリラ豪雨は来なさそう 見上げていたら首が痛くなってきた |
| ◇ゲリラ豪雨(俗語)予測困難で突発的な豪雨のこと。温暖化や都市化が原因の集中豪雨とも言われるが、正しい気象用語ではなく、国際的にも該当する語はない。(2011/08/15) |
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| さっきまで広がっていた青空が 見る見るうちにわた雲におおわれる わた雲は低い灰色の雲に隠されるかと思うと もくもくと盛り返して再び顔を出し 朝の陽光を浴びて純白に輝く 背景の青空が彼方に遠ざかっていくのが なんて切ないんだろう 今日も変わりやすい天気 西では夏の甲子園が始まる |
| ◇雄大積雲(Cumulus)夏、上空の風が弱い日に、強烈な日差しで発達した積雲がさらに巨大に発達したのが雄大積雲。これがさらに発達して雲頭が圏界面に達し、丸みがなくなって繊維状になると積乱雲となる。この雲の下は猛烈な雨になっていることが多い。(2011/08/06) |
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| 大寒は二十四節気のひとつ。太陽が天空の黄経300度(黄経0度は春分)を通過する時点を言う。暦の上では一年で最も寒い日とされる。ただし、昨日氷が張っていた甕の水が今朝は緩んでいたので、実際は少し暖かいのだろう。 ほとんど真ん丸の大きな月が多摩丘陵の向こうに沈んでいくのが見えた。肉眼では山並みがしっかりと見て取れるのだが、小型器械はそんな器用な画像処理をしてくれない。かといって、ストロボなしで露出を長くすると、今度は月光が明るすぎて太陽のようになってしまう。 冬の朝の撮影は一筋縄には行かない。面白い被写体を見つけても、記事に使えるような絵がなかなか撮れないのである。もっとも、散歩は健康維持が目的であって、ブログはついでの記録に過ぎないから、記事ネタがなければ他の話題でお茶を濁すしかあるまい。 家に戻る頃になって、ようやく東の空に明るい雲が浮かんできた。今日もカラカラの晴れ。関東にいると、それが典型的な日本の冬の空と思い込んでしまう。しかし、実際は雪の地域も多いのだ。何事も頭から決めつけてはいけない。 |
(2011/01/20)
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| 四季折々、その季節を代表する光景に心躍るものだが、気分が鬱々としていると、こんなにもすべてが茫洋と感じてしまうものか。今年は紅葉を見ても少しも美しいと感じられない。実際、息を飲むような鮮やかな彩りに出合わないし、それに近い色を見つけてもすでに大半が散っている。 季節を探しに街を歩けば、確かに周囲は秋なのだ。それはわかるのに、ではどれが秋かとはっきりした意識がない。箱根や日光のような観光地でないのだから、それは仕方のないことかもしれないけれど、かつての日常はこんなに季節の影が薄かったろうか。 そんな不満を感じながら歩いていると、不意に「あ、秋だ」と思う瞬間があった。そう思ったときはもう茫洋とした中にいる。おかしい。首を傾げて少し戻ってみる。よくわからないけれど、この辺で感じたんだ。 線路の継ぎ目にガタンゴトンと音を立てて列車が通り過ぎていった。それを追うように、ススキがゆらゆらとなびいている。ああ、これか。そこには鮮やかな紅葉も目立つような秋草もない。ただ風が流れているだけなんだ。それを立てたのは人工物なのだけれど、空気の動きは秋風となって、瞬間私の体を包んだのだ。 恐らくは無意味な、つまり、現代社会を忙しなく生きる人間から見れば何の価値もない時間なのだろうけれど。 |
(2010/11/19)
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| 例年なら下まで真っ白な姿を見せるのに、今年は南側にまだ地肌が見えている。いつまでもだらだらと暑苦しい夏が残り、やっと秋が来たと思ったら、もう立冬も過ぎてしまった。きっと大あわてで雪を被ったのだろう。 久し振りに富士の見える高台に来てみると、また緑が少なくなって、あちこちに新しい住宅やマンションが増えている。ちょっと見ない内に全然違う街になってしまったかのようだ。なんか、社会全体が落ち着かない。 このところニュースを見たくないし新聞を読む気にもなれない。この国のあまりの体たらくに呆れ果てて、まともに社会に目を向けられない。怒りを通り越して、情けないというかうんざりというか、風刺絵を書く気力も起こらない。 こうして眺める富士が嶺すら、どこか落ち着かない。なんかいやな感じだよ、ホント。 |
(2010/11/11)
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