| 今日も見わたす限りの夏の空。透き通る青の中を、綿のような白い雲がゆっくりと流れていき、蝉しぐれが一段と高くなる。じっとしていると汗がじわっと噴いて、首筋を流れていく。熱く熱せられた南風でも、蒸発熱を奪ってくれるので有難いくらいだ。その熱風がひまわりの花の間を通り過ぎていく。きっと、あの日もこんな風に人々は空を見上げていたのだろう。 原爆投下によって戦争が早く終息し、多くの人命が救われた・・・アメリカ国民の大多数はそのように信じている。今年初めてアメリカ大使が広島に来たが、世論はこれに批判的だという。同じく初参加の英仏も関心が高いとはお世辞にも言えない。オバーマ大統領が核廃絶を打ち出したので、仕方なく顔を出したという印象しかない。要するに本気ではないのである。 核兵器が戦争終結を早めるのなら、イランやアフガニスタンにどんどん落とすがよい。北朝鮮にも大きいのを一発お見舞いしてやれ。それが本当に多くの人命を救うというのなら、躊躇する必要はあるまい。ただし、その攻撃を正当化する国は間違いなく正気ではない。 広島長崎を言えば、アメリカは真珠湾を持ちだす。ヒステリックに日本軍の侵略と虐殺の例を振りかざす。日本の戦争責任を否定はしない。我が国は過ちを犯した。だが、それとこれとは別の話なのだ。広島長崎と真珠湾は釣り合わないのである。関連はしているけれど戦争と核問題を混ぜこぜに論じてはいけない。広島長崎は攻撃手段としての核は無条件になくすべきだという主張をしているのだ。 弱小国が大国と対等に形を並べるための力として核を持とうとする考え方がある。今や、米英仏露中だけでなく、インド、パキスタン、イスラエルをはじめ世界中の紛争国が核軍備へと走っている。ここにも戦争と核問題の混ぜこぜがある。 日本はすでに戦力を放棄した。決して戦争を認めるわけにはいかない。しかし、やむを得ず戦争状態になることは今でもある。おそらく、日本もその渦中に巻き込まれる危険もないとは言えないだろう。だから、日本も核武装すべきだという愚かな族がいる。彼らは過去の侵略戦争すら正当化し、その観点で原爆投下を非難し再軍備を目論む。そのような論理がしゃしゃり出てくるから、ますます話がややこしくなる。 日本はもう戦争はしないのだ。過去の戦争についてはひたすら謝るしかない。だが、同じように原爆投下についてアメリカに謝って欲しいと言っているのではない。もう二度と核兵器の使用は止めて欲しい。世界中が不幸になるようなこんな武器は地球上から消し去るべきだと言っているのである。 それがどうしても伝わっていかないのなら・・・やはり、日本の政治・官僚・メディアが無能であることは否定できまい。 先日、ひまわりの花について明るさより暗さを感じると書いた。私は戦争を知らない。しかし、その記憶の欠片に触れた者として、風に揺れるひまわりの花に明るさを感じることができなくなっている。 八月の青空は悲しい。悲しく胸に迫ってくるのである。 |
(2010/08/06)
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