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| 日常生活の中で、気付いたこと、感じたことを気ままに書きなぐっています。時事や世相、新聞などで気になることもつらつらと。
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| 「グータラ」という言葉を調べてみると、江戸時代の戯作者式亭三馬の浮世風呂に「ぐうたらべえ」というのがあった。無精でなまけものという意味は現在でも同じ。漢字に当てると「愚弛」となるらしい。つまり、愚かで弛んでいるという、そのものズバリなのである。 昨年末からあることに夢中になってしまい、一度火が点くと他のことが疎かになってしまう悪い癖が出て、連日の夜更かし。ブログなどほとんど開くこともなし。更新する気も起らずに放ったらかし。もちろん、以前のように朝早く起きて元気にお散歩などという健康生活から完全に脱線転覆である。 |
| 寝不足に加えて私的なストレスが続き、体のリズムがメチャクチャ。先日、医者に悪玉コレステロールが異常に増えていると警告を受けてしまった。 これはいかんぞと、久し振りに早寝早起き、朝の散歩をしてみれば空にはもう春の大三角形がくっきり浮かんでいるではないか。さてブログはと見れば、未だに年賀状の答えを載せている体たらく。例によって訪問者は微々たるものの、ポツリポツリとコメントも頂いている。全く失礼なことをしてしまったと猛反省である。 とはいえ、まだまだ本調子でない。色々気になることが多くて、気持ちに全然ゆとりがなく、文章は支離滅裂、イラストもダメだ。この際、きっぱり店を畳んでしまおうかとも思ってしまう。もしかすると軽い鬱状態なのかもしれない。 昔からたまにこういう大スランプにはまってしまう。とにかく、今は以前のような生活のリズムを取り戻すのが先決だ。しばらく、書いたり書かなかったりが続くと思う。乞ご容赦。 |
(2010/01/30)
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| 先日、文化庁の「国語に関する世論調査」について、今年度の調査報告の内容を取り上げたバラエティ番組があった。 報告書によれば、例えば「破天荒」という語について問うたところ、「豪快で大胆な様子」という意味としている人が64%、「だれも成し得なかったことをやること」という人が17%という結果が示されている。正しいのは後者の方である。 この結果について、通じれば構わないのではないかという街の声があった。そのときは、なにげなく眺めていただけだったが、続いて国語の専門家というエライ先生が、言葉は時代によって変化していくのだから、間違った意味に用いられるのもやむを得ないという趣旨の意見を述べていた。 私個人としては、間違った日本語を使うべきではないという立場である。そのことについてはすでに記事にして述べた。ただし、言葉は互いに通じれば良いという意見を頭から否定するつもりはない。実際その番組の視聴者アンケートでも、4割弱の人が間違っても良いという意見に賛意を示していた。意外に多いけれども、一般的な考え方の一つとしては認めても良いのだろう。 しかし、専門家までがそれを是認して良いものなのだろうか?何かすっきりしない感じがした。そのモヤモヤがはっきりせず、考えもまとまらないため記事に書けないでいた。 さて、歴史的な政権交代が行われた後、メディアの最大の関心は、いかにして政治運営が官僚から政治家主導に移行できるかということが中心になって、色々な観点でコメントがなされている。その中で「霞が関文学」と称する興味深い話が出てきた。 詳しいことは知らない。しかし、政治家が法案を形にする過程で、官僚に都合の悪い内容のことがあると、「てにをは」や句読点を微妙に変えて全く異なる意味にして中身を骨抜きにしてしまうという。元官僚の話によると、それは素人には決して見破ることのできない官僚の伝統芸なのだそうだ。 例えば、元の文では「完全民営化」とあるのを、最終稿では「完全に民営化」とする。両者は全く解釈が違ってくるのだという。奇異に感じる人もいるかもしれないが、それは当然である。なぜなら、法律の条文について色々な解釈ができるようでは法律としての体をなさない。だから、日本語が日本語として標準化されて、文章が常に一つの解釈(←感想とは違う)に統一されなければならない。 そこまで厳密に使われている法律によって、私たちの生活がコントロールされているということに気付こう。私たちが日本語を間違えても良いというスタンスを認めていたら、簡単に霞が関文学の餌食になってしまうということである。現実に、今までの政治はそのように進められ、無知で大雑把な私たちは、まんまと官僚たちに税金の無駄遣いを許してきた。 別の例で言えば、最近の企業は、標準化とかコンプライアンスといったことに、非常に神経質になっている。しかし、日本語が好い加減では、何を守れば良いのだろう。何が正しいのだろう?同じ伝票で、全く異なる品物ができてしまうかもしれない。 やはり、日本語を間違えていてはまずいのだ。そう考えると、妙な意見を言う国語の専門家も、官僚の息がかかった御用学者ではないかという気がしてくる。専門家の言っていることを無条件に正しいなんて思っていたら、とんでもない痛い目に遭うことになる。 はっきり言おう。日本語は正しくなくてはいけない。そう言う私の日本語だって怪しげなところが多いけれども、正しい日本語を心掛ける努力は決して無駄ではないはずだ。ただし、新語や方言について、標準的な厳密さを求めてもあまり意味はないだろう。むしろ、文法的なこと、あるいは既成の言葉についてしっかりと元の意味を堅持すべきだ。そうした最低限の条件の下で自由な文章表現を取る分には問題はないのではないか。 ところで、そういう努力が最も必要な業種がメディアに他ならないが、例えばアナウンサー、特に女子アナのおネエちゃんたちの日本語は耳を塞ぎたくなるほどひどい。公共放送が言葉に無責任では、視聴者が間違いを気にしなくなるのは当然ではないか。最近は主要な新聞の記事にも首を傾げるような文章を目にすることが多い。日本語は蹂躙され危機を迎えていると気付かなければ、本当におかしな言葉になってしまう。 と、ひとまず記事にしておこう。この文章も快く読んでもらうには、何度も推敲しなければならないだろう。 |
(2009/09/29)
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| 北アルプスの西穂と奥穂を結ぶ縦走路というと、山好きにとっては一度は歩いてみたい憧れのコースである。はっきり言って、それなりに経験を積んだ山歩きの熟練者でなければ危険である。 その中に特に難所と言われる急峻な岩場がある。左側手前がロバの耳と呼ばれるピーク。そこをなんとかクリアしても、すぐジャンダルムと呼ばれる大きな岩の塊が前に立ちふさがるのだ。今月11日に起きた救助ヘリ墜落事故の現場である。 その日の昼過ぎ、10人のパーティーがこの難所に差し掛かっていた。その中の64歳の男性が急に心肺停止に陥り、119番通報が長野県の消防に届いたのが1時40分。それを受けて、高山市消防本部から各務原市の県防災航空センターへ防災ヘリコプターへの出動要請がなされ、2時50分ごろ高山市で県警山岳警備員と合流し、5人で現場に到着したのが3時20分ごろである。そこでホバリングをしながら2人の警備員をロープで下ろした後、ヘリの回転翼が岩場に接触してバランスを崩し、400メートル下に滑落して操縦士ら3人の命が失われたという事故である。 その後の現場検証と事情聴取により、この若鮎2号という防災ヘリは通常は水害事故などに使われ、山岳地への出動は低山に限られていて、3000メートル級の高山の経験はないことがわかってきた。 そして、今朝のニュース。当時、県警では防災ヘリでは危険と判断し、出動を待機するよう航空センターと防災課に連絡を入れていたにもかかわらず、その旨が操縦士に伝えられないまま、この事故につながったという。センターや防災課の職員に現場の地形に関する知識がなく、現場の判断に任せきりだったという話が出ていた。 この記事には考えさせられる。事務方の現場知らずというのは、どこの世界にもよくある話だからである。 企業で間接部門と直接部門との軋轢なんていうのはいくらでも耳にする。いつも思うのは、現場というものはどんな職場でも責任感の塊で、何としても業務遂行しようとする意欲に満ち溢れているということだ。ところが、問題のある職場は、現場をまるで知らない間接部門が業務の足を引っ張っていることが少なくない。現場にやる気がないケースというのは、大抵こうした間接部門の無責任さ、あるいは妙なエリート意識に起因していることが多い。 例えば、今、一番の話題になっている八ッ場ダムや川辺川ダムの件も、似たような話が裏に絡んで問題を複雑にしている。年金の記録紛失問題も同じ。現場を知らない高級官僚が机上だけで政策を強行し、問題が起きてもだれも責任を取ろうとしない。それどころか、彼らは超エリートであり、特権意識があるから、責任は現場に取らせ、自らはさっさと天下りして美味しい汁を吸っている。 論点を変えよう。 彼らエリートに限らず、人は知らないことや未経験を恥と思うことがある。指摘してくる相手が自分より目下あるいは世間的に下位の立場の人間だと、その感情は一層助長される。自分と同等の場合でも、競争心で同様に感じることもある。それが露骨に表に現れると、たとえ目上の先生、上司、先輩、はたまた自分の親であっても、器の小さい俗物に見えてしまう。ところが、信用ガタ落ちでも本人は全く意に介さない。現場つまり部下や学生、子供たちは。ますますやる気をなくし、あるいは反抗的になり、問題だらけになっていくのだ。こういったことが慢性的に繰り返されれば、かような事故も起こるべくして起こる。 そんなことぐらい知っている!と怒りを顕わにする俗物根性。知ったかぶりは本人が損をするだけでなく、周り全体までシラケさせてしまう。 そんなことぐらい知っていると思った・・・というのも責任放棄。相手がわかっているはずでも、念のため言うべきことは言わなければならない。面倒などと思ってはいけない。 いちいち言うと相手の心証を害するので言わない・・・も同じ。職場の人間関係を大事にするあまり、問題を起こしては本末転倒も甚だしい。どんなに簡単なことでも、幼児を相手にするように伝えるくらいで丁度いいと思うべき。それで相手が怒っても気にしないことだ。 私など、この人は奥が深いなあと思うのは、知っているはずなのにわざと知らないふりができる人だ。こういう人は恐い。おとぼけにまんまと乗せられて下手に先生づらしていると、逆に痛いところをつかまれてしまう。こういうリーダーのいる組織というのは、実力以上の力を発揮することがある。滅多に出会うことはない。しかし、あなたが然るべき立場で、忌憚なく使命を果たそうと思うなら、そんな人間的なゆとりというか、謙虚で深みのある精神を自分で磨かなければならない。 北アルプス防災ヘリ墜落事故の記事を見ながら思ったこと。忘れないようにメモしておくつもりの記事である。最後まで読んでくれて有難う。 |
(2009/09/26)
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| 6時前の東名高速である。昨日のこの時間はまだスイスイだったが、今朝の下りはもう渋滞が始まっていた。 今日は敬老の日。そして秋の彼岸に入っているから、このほとんどはお年寄りを乗せて墓参に出かけるところなのだろう・・・と思いたい。もちろん、これだけの数の車がすべてそうとは考えられず、連休の中日に行楽地に向かう車の列と疑う余地もない。不況不況と言うが、要するに大型連休になれば、こぞって遊びに行くだけのゆとりがあるということなのか。今日が何の日なんて関係ない。 それにしても、今からこんなにノロノロでは、目的地に着くまでどのくらい掛かるのだろう。こんなに多くの車が高速に入るのは、休日の料金が千円で済むからだ。この光景を目の当たりすれば、先々施行されるであろう高速料金の無料化に危惧を抱く向きが多いのもむべなるかなである。 例えば、メディア報道などでは、鉄道など他の交通機関は使われなくなって、関連産業の経済的打撃は深刻になると言う。また、こんなに車の量が増えれば排気ガスの増加も懸念されるという。しかし、業務車両が走る平日に、こんな移動時間の計算ができない高速道路に交通が集中するとは思えない。今まで下を通っていた業務車両が無料だからという理由だけでやみくもに高速に入るだろうか。それほど、ドライバーたちは無思慮なのだろうか。どうも違うような気がする。 おそらく、最初は混乱するだろうが、時を待たずに沈静化するのではないか。沈静化すれば、渋滞もせいぜい今と同じくらいか、それより少ないだろう。となれば排気ガスの増加も予想ほどではないのではないか。 例えば、道路補修費に利用者以外の税金が使われる不公平が発生するという指摘もある。しかし、もし高速の補修が資金不足で滞った場合、それによって物流が妨げられ、その影響を最も受けるのは一般の消費者ではないのか。道路をドライバーだけのものと考えるのは、どうも短絡的に過ぎるように見えてしまう。 例えば、無料化によって料金所で働く人の仕事がなくなるので反対という声もある。では、有料にしてこの人たちの仕事を確保するとしよう。そうすると、この人たちはドライバーに金を恵んでもらうために料金所に立っているようなものではないか。 例えば、せっかく取り付けたETCがムダになるから反対という人もいる。しかし、今のところ、首都高や阪神高速など大都会での通行は有料というから、ムダにはなるまい。 そう考えると、いろいろと問題は指摘され、新政権のマニフェストの中で最も支持率の低い施策だというが、果たしてどんなものかという気がしてくる。 私自身は、高速道については以前から、なぜ日本はドイツのアウトバーンやアメリカのハイウェイのように無料でないのか疑問に思っていた。実際、日本でも無料が原則だったのが、今までズルズルと有料を続けていた政治的な裏話を聞くと、やはり、今が転換点のような気がする。また、それを求める選挙結果だったのではなかったのかと、メディアの批判報道には違和感を持ってしまう。 まあ、私のような紙切れドライバーが言っても何の重みもないが、特に喫緊の問題でもないし、そんなに結論を急ぐ必要もないのではないか。 |
(2009/09/21)
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| こんなふうに見えたのかなあと想像しながら、図形を組み合わせてみた。 そのうちまた、地球のどこかで見えるのか。そう考えれば、天気が悪くて見れなかったとしても別にいいじゃない。太陽も月もなくなるわけじゃないんだし。 |
(2009/07/22)
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