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| 毎朝、小1時間のブラブラ歩きを続けています。庭先や野っ原、街角で出合った草木、虫、鳥たちに寄せて二言三言。このブログのメイン書庫です。
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| 秋の空を飛んでいく渡り鳥、あるいは、どこかで飼われている伝書鳩の元気な飛行訓練・・・のように見える。夏の間、喧しく囀っていたムクドリの大群・・・でもない。実は鳥ではない。猛暑の夏、浮き草が一杯に水面を覆っていた池に群れている水馬(アメンボウ)なのだ。 水面をスイスイ滑走するお馴染みの昆虫だが、夏真っ盛りのときはもっと大振りで、一匹一匹がそれぞれゆうゆうと移動していたように思う。今は小振りでこんなふうに集まっている。近づいてはっきり見ようとするとあわてて一斉に逃げていく。 カメムシの仲間で、寒い時季は水辺の枯れ草や石などに産みつけられた卵で越冬する。だから、今年もこれが見納めかもしれない。水面に映る雨雲がゆっくり流れていく。それと対照的に細かくざわざわと動いているのが落ち着かない。 台風の影響で秋雨前線が刺激されているのか、今日もすっきりしない天気だ。風が冷たい。 |
(2010/10/29)
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| たとえ枝が公共の道路にはみ出ていても、根っこが庭にある木の果実はその家の所有物で、無断で拝借すると窃盗罪となる。なので、本日、ついに私は泥棒となり下がり、お巡りさんに捕まった場合、懲役10年または罰金50万円以下の刑に処せられるであろう罪深い身となってしまった。死後、地獄行きは免れまい・・・(泣) さて、ヘタの方からだとハンバーガーそっくりに見えた柿も、もいでみると立派な富有柿のようだ。これはきっと甘いに違いない。昨日の記事にいただいた、ゆげる大人のコメントによると、葉が細長いと渋く、丸いと甘いという。急いで犯行現場を立ち去って、家に逃げ帰り、早速味見をしてみる。 うむ。これは甘い♪・・・いや、し、渋い〜!<◎◇◎>! 最初に甘さが口の中に広がり始めたと思った次の瞬間、唇と歯ぐきの間に×△◇☆×▽×・・・け、検証の結果・・・葉が細長いのは甘いけど渋い・・・であった。 でも、この柿は渋味を除けば、かなりの甘さだ。少し大き過ぎるので四つに切って皮をむき、軒下に吊るすことにした。出来上がりが楽しみである。 |
(2010/10/26)
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| というのは、もちろんウソ。朝の五時、雨上がりでまだ雲が低くて暗い中、道にせり出した枝が、果実の重みで丁度目の高さにまでたわんでいたので気が付いた。 面白かったのでシャッターを押したが、どうしても自動でストロボが焚かれて真夜中の画像になってしまう。やむを得ず、ストロボ機能をオフにして数枚撮ったうちの一枚である。あとはすべて手ぶれで使い物にならずに消去。こういうときデジカメは便利である。この虎の子の一枚も少しピンボケだが、コントラストを強めに修正してある。 他の枝のは普通の形になっているのに、この枝の実だけがこんな風にくびれて、まるでハンバーガーのようだ。何が原因でこんな形になるのか不思議ふしぎ。 柿は大好き。外から見るだけでは甘いか渋いかわからないけれど、子供だったら間違いなく一個二個もいでポケットに収めるところだ。きれいに皮をむくのは難しそうだなと一人でニヤニヤしながら通り過ぎた。 |
(2010/10/25)
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| 英語で金髪の女の子のことをブロンディと呼んだりする。1930年代にアメリカの新聞に連載された人気漫画としても有名で、戦後は日本の新聞にも連載された。アメリカ版サザエさんのようなものだが、そこに表現されるアメリカの豊かな生活は人々の憧れの的だったという。マスオさんに相当する旦那さんの名前がダグウッド。スペルはDagwoodで、ネイティブが発音するとDogwoodのようにも聞こえる。 このDogwood。直訳すると犬の木ということになる。犬の皮膚病に樹皮が効くことから、そう呼ばれるようになった。1912年、尾崎行雄がワシントンに桜の木を贈った返礼に東京に贈られた木としてよく知られている・・・って図鑑に載っているけれど、知らない人の方が今は多いだろう。 赤い実が同じ仲間のアオキの実によく似ている。そろそろ紅葉が目立つようになってきた。赤い実の他に半球状の粒が枝先に付いているが、これは新しい花芽で、来年の春にお馴染みの花を咲かせてくれるのである。花の名前はハナミズキ。 な〜んだ、それなら初めからそう言ってくれよと文句も出よう。だが、そういうタイトルの歌が有名になってしまって、それが先入観になってイメージが固定されてしまうのがいやなのである。 そもそも、ハナミズキの花は歌のように薄紅色ではない。赤いのはベニバナハナミズキという園芸種で、元々はアメリカヤマボウシという白い花だ。名前から日本古来の花のように思うだろうが、アメリカ産で明治中期に入ってきた比較的新しい外来種である。おそらく、原産地の人は歌のようなロマンティシズムに浸ることもなく、むしろワン公あるいはブロンディのダーリンの顔を思い浮かべるかもしれない。 先入観とはそんなものだ。 |
(2010/10/24)
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| ようやく今ごろになって路傍の尾花が目立つようになった、そんな風に感じている自分。そうさ、仲秋の名月に供えるのだから、ススキを見るのはもっと早い時季のはずだ。やっぱり、今年の夏が異常に暑かったせいで自然もどこかずれているんだと勝手に思っている。 それでカメラに収めて、家に戻ってきて古い写真をめくってみると、ススキは十月に入ってからのものばかり。そうか、いつもと変わりがないんだ。とすると、暑さのせいでずれているのは人間の方じゃないか。いやはや。 なるほど、最近の社会を見ていると、こりゃずれてるどころの騒ぎじゃない。些細な言葉で子供の喧嘩をしている国会議員たち、社会の混乱を喜んでいるようなメディア記者たち、およそ国のために働いているとは思えない官僚たち、一般人を平気で罪人にする検察官、エトセトラ。そんなことばかり見ていると、心配が常態化して頭がおかしくなるのも当然か。 いや、まてよ。なんだかんだと自然のせいにしているけれども、自分で勝手にうろたえているだけなのではないか。確かに尖閣や円高など世の中大騒ぎだけれど、もう少し落ち着いて事態を見ることはできないのか。なにやら、だれもかれもが浮足立っているように思える。 ゆらゆらゆらり、ススキが風に揺れている。今年も時季が来れば、自然はちゃんと自然の姿を見せてくれている。しっかり根を張って・・・。 |
(2010/10/17)
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