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| 毎朝、小1時間のブラブラ歩きを続けています。庭先や野っ原、街角で出合った草木、虫、鳥たちに寄せて二言三言。このブログのメイン書庫です。
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| 秋らしい秋を感じることもなく、気付けばもう師走の半ばに差し掛かる。家のカエデなどはまだ紅葉を残しているが、街に出ると桜は終わり概ね冬枯れのモノトーンが支配した。だからなのだろうか、千両や南天などの赤い実が良く目立つ。 「千両、万両、有り通し」などと言って、縁起の良い木として庭木や生垣に植えられ、正月の床の間などに飾ったりする。南天も赤い漿果がたわわに付き、雪が降ると白の中に引き立ってとてもきれいだ。 関東の雪は5〜10センチも降れば大雪とされる。雪だるまを作ろうとしても量が少ないから地面の泥で茶色く汚れた姿になってしまう。そこで、雪だるまの代わりによく雪うさぎを作ったものだ。そのときの目にするのがこの南天の実。耳は笹の葉を使う。 赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた♪・・・とは北原白秋の有名な童謡の歌詩。いつもこの歌を思い出すけれど、南天を啄ばむ鳥を見ない。ヒヨが南天を啄ばむこともあるというが、全然赤い鳥じゃないし、きっと他に美味しいものがあるのだろう。 南天や千両が鮮やかさを増すといよいよ年の瀬を感じる。 |
(2010/12/11)
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| 桜の道に出る角の、昔からある社員寮が壊されて大きなマンションができる。その途中の民家も人変わりして、小さな戸建てとアパートに変わった。かつてその庭は見事な紅葉と白樺と京鹿ノ子が、散歩人の目を愉しませてくれたのだが、今は味気ないコンクリ敷きの駐車スペースになってしまった。 文句は言えない。前の住人の事情によるのだから。時が移れば街の表情も変わる。変わらないものなど何一つない。それが当り前なのだ。しかし、取り壊し工事が始まって以降、なんとも寂しくて、そのコースを歩く気になれないでいた。 今朝もかつてのように歩いたわけではない。その角を避けるように少し遠回りして、いつの間にかそのコースをたどっていたのだ。別に意図はない。朝ぼらけの暗さの中で、景色に見とれることもなくぼんやりと歩いていただけだ。 空が明るくなって、メタセコイアが目立つ児童公園に入ったところである。去年も同じ時季にこの白いツバキの花を見た。名を侘助(わびすけ)という。その名の通りにひっそりと控えめに咲く姿は、初冬の冷たい風の中で、この世の無常を呟いているように感じられた。 侘助という味のある名前はなにやら曰くがありそうで、利休絡みの逸話でもないかと由来を調べてみたが、よくわからない。大陸から花を取り寄せた人物の名とも、この花を愛して止まなかった茶人の名とも、侘数寄(わびすき)の転とも言われる。いずれが正しいのか専門家でも特定できていない。 日本の花名のいい加減さは今に始まったことでもないので、あまり目くじらを立てても仕方がない。なんとなくで良いのかもしれない。なんとなく侘びしい感じが今の気分に合って、気になるというだけのことか。 今日から師走である。 |
(2010/12/01)
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| 桜吹雪が舞い、ツツジやバラのような濃い色合いの花が目立つようになってきた頃、桜の花びらが草になってよみがえったようで面白かった。その頃の背景は春野菜の緑が生き生きしていた。 今は吐く息も白い朝ぼらけ。ネギが植わっているだけの背景は冬が近いことを物語る。にもかかわらず花の勢いは最初に見たときと変わらない。随分と根性があるものだと感心する。 ところが、多分それは根性などという人間臭いものではない。自然というのは現実をあるがままに受け入れて、感じた通りの季節を生きている。以前、年の暮れまで咲いている朝顔を見て大いに心を動かされた。気付けば、そういう花はいたるところに見られる。野性は実に臨機応変なのである。 それに比べると、人間というのは計算上のカレンダーで季節を判断し、その決めごとに勝手に振り回されて生活している。全く融通の利かない頭の固い生き物である。少しは自然に学んだらどうかと苦言を述べたくもなる。 山桃草は花の色からの由来で、白いものは白蝶草とも呼ばれる。もともとは北アメリカ南部の産で、ガウラというアカバナ科の園芸種だ。個々の花はすぐに散るが、次から次へと新しい花が咲いて、花期は5月から10月と長い。まだかなり元気なので、きっと霜が降りるくらいまで頑張るに違いない。 |
(2010/11/22)
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| 雨戸を開けると赤い光が目に飛び込んできた。今夏黄金虫の被害を免れた山葡萄の色付いた大きな葉だ。屈んで旭日を透かして見れば尚更に赤が眩しくて目を開けていられない。その視野だけを切り取れば神々しさすら感じる。 赤い光。しゃっこうと読めば確か斎藤茂吉の有名な歌集と覚えているが、恥ずかしいことにその名作に触れたことがない。聞けばかなり難解な作品というから、素人が手を出すものでもないかもしれない。 では、題名となった赤光とは一体どんな光なのかと辞書を開いてみても、そこにあるのは茂吉の第一歌集のタイトルであるとしか書かれていない。どの辞書も同じだ。赤光は茂吉だけのものらしい。であれば、イメージとして捉えたこの光景にその名を配するのもおこがましい。半面その名を一般人が安易に使えないのは茂吉先生あまりに専横に過ぎるではないか。 そんな愚痴をこぼしつつ調べ物を進めていたら、その言葉はお経の一節から取ったものという。仏様の教えとなるとさぞ奥深い話になろう。到底俗物の考えが及ぶところではない。 やめたやめた。俗物は俗物らしく単純に考えていれば良い。赤く見えたから赤光だ。それが突然目に入ったから心動かされた。それ以上こねくり回すのはやめにしよう。 今日は夕刻から雨の予想。明けの空もそれを予感させる高層の雲が広がりかけていた。 |
(2010/11/21)
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| なんかいるぞ、と池をのぞいてみると、そこにはカメが顔を出していた。暗くてよく見えないけれど、多分、ミドリガメだと思う。ここは人工の閉ざされた水溜りだもの、他から自然に移動してきたとは考えられない。家で飼われたミドリガメが大きくなって放したのだろう。 ミドリガメはペットとしてよく売られている小さなカメで、正しくはミシシッピアカミミガメという外来種だ。人気があるけれど、要注意外来生物に指定されており、食中毒の原因となるサルモネラ菌を媒介するというから、あまり有難くない生き物である。 昔から日本で飼われている在来種はニホンイシガメ(ゼニガメ)と言うそうだ。他にクサガメという種類も在来種と考えられてきたが、今夏にこれも大陸からの外来種ということが判明して、日本の生態系への影響が心配されている。 いずれにしてもペット用に輸入して全国に広まったものだが、今になって問題動物とされても、なかなか駆除は難しかろう。飼っているときは可愛い可愛いとかまっていて、飽きてしまうと可哀そうだからと野に放し、環境に影響すると言われても自分には関係ないと思っているのだから、この先どんなふうに悪さをもたらしたところで自業自得というものか。 日本人は几帳面で潔癖と言われるが、こういうところは本当にだらしない。最近は他の面でも情けないことばかり。まあ、カメに罪はないのだけれど。 |
(2010/11/05)
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