おもと日記

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趣味の山野草 6月号



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おもとを楽しむ会
愛知県 岡崎市
農遊館



栃の葉書房 趣味の山野草
毎月連載しています



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六角堂 池坊

ここで親鸞さんが
100日こもり、
悟りを開きました

なので、特別に堂がつくってあります






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奇跡の星の植物館





おもと
徳川家康公が江戸城入城のさい、
万年の繁栄を願って
三鉢のおもとを抱えて入城した
という故事が有名

おもとは万年青と書き、
常緑で万年、栄えていくことから
600年前の室町時代から縁起物として喜ばれてきた


おもとの豊明園
家康公とおもとのふるさと 岡崎

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京都 池坊さんへ
おもとと生け花の歴史について
お話を聞きに行ってきました!


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聖徳太子が創建したと伝えられる六角堂(頂法寺)は、池坊が代々住職を務め、「いけばな発祥の地」と呼ばれています。
聖徳太子による創建

いけばな発祥の地とされる六角堂の正式名称は、紫雲山頂法寺です。用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖徳太子が、霊夢によって六角形の御堂を建て、自らの護持仏である如意輪観音像を安置したと伝えられています。
池坊の名の由来

六角堂(本堂)の北側は、聖徳太子が沐浴した池の跡と伝えられるところで、その池のほとりにあった僧侶の住坊が「池坊」と呼ばれるようになりました。太子に仕えていた小野妹子が出家してここに入ったといわれています。
頂法寺本堂(六角堂)

いけばな池坊HPより






写真撮影は出来ないので
写真がないのが残念ですが、
池坊 いけばなの開祖といわれる
池坊 専応口伝 という書物に
おもと とひらがなでのっていました


室町時代です


おもとが花材として
特に下にいけるものとして
紹介されていました




こちらも写真禁止なので
ないですが、
池坊専好立花作品集
重要文化財

寛永11年2月14日
の立花の作品にも
おもとが前置きとして使われています





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国の重要文化財でもあり、
池坊さんがもっている
家元の立花の作品集にも
おもとが前置きとして使われています




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六角堂住職は華道家元

室町時代、六角堂の執行(しぎょう)として寺の実務を担っていた池坊は、専慶・専応らがいけばな成立期において大きな活躍を見せ、華道家元の地位を確立していきました。執行は現在の住職にあたり、家元とともに代々池坊が務めています。







おもと
徳川家康公が江戸城入城のさい、
万年の繁栄を願って
三鉢のおもとを抱えて入城した
という故事が有名

おもとは万年青と書き、
常緑で万年、栄えていくことから
600年前の室町時代から縁起物として喜ばれてきた
一説には1500年前からとも、
2000年前からともいわれています


おもとの豊明園
家康公とおもとのふるさと 岡崎

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おもと 虎物の管理

徳川家康公 誕生の地岡崎
徳川家康がお宮参りをした岡崎 六所神社


お祝い・引っ越しおもと

鶏頭 けいとう
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湖東山(ことうざん)
虎柄が全面に現れました。日陰に置くと柄は現れにくいです。
9月末まで採光して柄を残します。ネット上の販売の写真6月15日と比べると
柄が全体に明るくなっています。
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白牡丹(はくぼたん)
葉巾が広くなり白虎が鮮やかになってきました。5月〜7月の採光の仕方
白虎はこの時期に日陰の場所に移動すると白柄が少なくなります。
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白蝶(はくちょう)
昨年葉は青く今年の葉は矢筈柄に覆われました。採光の仕方で柄が変わります。
出芽の時から徐々にならしながら採光します。
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翁錦(おきなにしき)
芽出しの楽しみな時期です。この時期の採光の仕方で柄の出方が変わります。
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7月の灌水 東海地方
温度、湿度の高いこの時期の灌水は、軽石・混合用土の場合小葉・中葉は鉢が小さいため2日目の灌水大葉系統は鉢が大きいため3日目が目安です、表土を良く観察してから灌水してください。又日向土・鹿沼土の場合は乾きが遅くなります4日〜5日が目安ですもう少し間隔を開ける場合は途中でふり水(葉が濡れる程度)
矢作砂単用の場合は間隔が短くなります。鉢の中が蒸れないように夕方の灌水。
おもとの葉が落ちる
新葉が出てきて楽しい時期になりました。新根や子供もこの時期です。腰がはって太くなると下葉が変色しておちます。新根・新芽が葉を突き破って葉が赤くなる。
自然の状態です。

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夏 おもとの根っ子

徳川家康公 誕生の地岡崎
徳川家康がお宮参りをした岡崎 六所神社


お祝い・引っ越しおもと
暑さの中、蓮は元気に花を咲かせます。
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おもとの根
この時期、新根は根毛が沢山出ています。
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おもとの根
この時期は新根が一番伸びる時期です、
灌水の仕方により根の伸びが変わります。
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7月の灌水 東海地方
温度、湿度の高いこの時期の灌水は、軽石・混合用土の場合小葉・中葉は鉢が小さいため2日目の灌水大葉系統は鉢が大きいため3日目が目安です、表土を良く観察してから灌水してください。又日向土・鹿沼土の場合は乾きが遅くなります4日〜5日が目安ですもう少し間隔を開ける場合は途中でふり水(葉が濡れる程度)
矢作砂単用の場合は間隔が短くなります。鉢の中が蒸れないように夕方の灌水。
おもとの葉が落ちる
新葉が出てきて楽しい時期になりました。新根や子供もこの時期です。腰がはって太くなると下葉が変色しておちます。新根・新芽が葉を突き破って葉が赤くなる。
自然の状態です。






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街中のおもと



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東福寺のハス


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京都の街中のおもと
東福寺


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東福寺
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。

工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。

延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。

 仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。

 明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。

東福寺より




おもと
徳川家康公が江戸城入城のさい、
万年の繁栄を願って
三鉢のおもとを抱えて入城した
という故事が有名

おもとは万年青と書き、
常緑で万年、栄えていくことから
600年前の室町時代から縁起物として喜ばれてきた


おもとの豊明園
徳川家康公とおもとのふるさと 岡崎

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