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仕事の途中で立ち寄ってみました。
ここ、わかります?
とあるCMでアイドルグループが行ってましたよね。
平日の午後だったせいか人影もまばらでしたよ。
でも、ここで重大なことに気付いたんです><;
つづく・・・
追記
ここがどこかわからない友人のためにCM動画を貼りました^^
彼らが食べてるおもちは「松ヶ枝餅」といいます。
飛梅・太宰府で有名なのが「梅ヶ枝餅」。
基本、同じものらしいです。
参道に何軒か松ヶ枝餅を売ってる店がありましたが、
CMで彼らが食べてる餅はどこの店のものかはわからないように
複数の店でスタッフが購入して用意したらしいです。
細かい気遣いも大変ですね。
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┣カエル珍道中
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カテゴリは旅行になってるけど「仕事」で行ってまいりました。
片道約170キロだったかな?
普通は小旅行みたいなもんです。
帰り道に立ち寄ったのが、
ここに立ち寄った目的はこれを見学するためです。
この公園は土石流災害で被害に遭った家屋を後世に伝える為、保存・公開している施設です。当時、被害に遭った被災家屋11棟を当時の状況のまま保存(1棟は移築)しています。この公園周辺は約2.8〜3mほど土砂物で埋没しましたが、土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為、倒壊はせず土砂物に埋もれました。
無料にて公開してますので、ご自由にご見学下さい。 ぱっと見、よくわからないんですが、
右下のところ、屋根だけが地表から出てるでしょ。
実は、疲労気味だったトム。
この屋根の存在に気付かずに歩いていたんです(^^ゞ
左上の建物の中には雨風から守られた保存家屋があるんですが、
それに向けて一直線で・・・。
まさか屋根だけがこんな風になっているとは想像してなかったんです。
戻り道でようやく気付いたわけですが ハハハハハ…
建屋に入るとこんな光景が。
家の1階部分が完全に埋まってます。
当時の凄まじさが想像できます。
最近では日本各地で火山活動が活発になっているとか。
向かう道中も、ラジオからは鹿児島の霧島あたりでも
火山性の地震が頻発しているとやっていました。
地元の方に聞くと、普賢岳はかわりないとの。
こういう光景を目の当たりにすると
どこも大きな被害に発展しなければ良いな、と願うばかりです。
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この前、仕事で熊本方面に行ったんだけど、
熊本県北部に玉名市というのがあって、
ちょいと時間があって立ち寄ったのがここ
小高い丘の上に何やらかわった建造物が。
山の上展望公園だったかな。
そこに木造のジャングルジム?がありました。
ずいぶんと老朽化?していて最上階へは登れませんでしたが、
好奇心旺盛のトム。途中まで登ってまいりました。
遠くまで見渡すことができ
うっすらとですが、海の向こうに島原の普賢岳が見えましたよ。
写真じゃわかりにくいかな?
普賢岳は前に行きました。(過去記事)
近いうちに島原に行こうかと考えていますので、またご報告を。
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この古い建物は?
この写真だけでわかる方は相当の歴史好きですね。
ここを訪れたのも仕事の関係ですが、
軽く衝撃を受けました。
と言うのは、名前は知っていましたが、
まさかこんな小さな建物だったとは思っていなかったからです。
ヒント① wikipediaより
木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳の一室と、後に杉家の母屋を増築した十畳半の部分からなっている。
奥に肖像画が飾ってありました。
ヒント②
主宰の名言です。
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」
「志を立ててもって万事の源となす」
ヒント③
山口県にあります。
最終ヒント!
伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋と幕末から明治維新へと激動する日本を支えた人たちがここから巣立っています。
6月19日は福岡大空襲の日
6月23日は多くの人命が失われた沖縄慰霊の日
「戦争にはなりません!」と声高らかに演説するリーダー
果たして現代日本はどこへ向かっているのでしょうか。
子供たちに未来を託すために俺たちは今何をやっているのでしょうか。
追記
答えは松下村塾
世界遺産の登録となったようですね。
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仕事で行ったんですが
普賢岳というところです。
正直、普賢岳ってのが長崎県にあることを知らなかったんです・・・汗
みんな知ってるんだろうか?
知ってるって?
はははははっは、失礼しましたm(__)m
雲仙普賢岳は雲仙市、島原市、南島原市に囲まれています
さらに東には熊本、南には天草、西には長崎という感じですかね
そしてすぐ北には有明海があり、有名な諫早の干拓があります。
つい最近もテレビのニュースになっていましたよね。
話を戻しまして、この普賢岳
たくさんの方が火砕流で亡くなっています。
下の写真は普賢岳です。
撮影した場所は、まさにあの火砕流が流れた場所なんです。
地元の方はこの辺りを「ダム」という表現を使っていらっしゃいました。
復興したとはまだまだ言えない状況だとも話されていました。
航空写真を見るとそれがよくわかりますね。
右手の海にめがけて流れた跡がハッキリと残っています。
では、またー
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