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何事のおわしますかは知らねども
かたじけなさに泪こぼるる 西行法師の歌です。伊勢神宮でその神気に触れて詠まれた和歌です。 何の神、これの神と分別で理解するのではなく、ただ感謝を捧げるという神道本来の姿を示しています。 この対極にあるのが、ご利益信仰です。この神社は縁結び、この神社は金運アップというように、自分の欲得のために神様を使役する信仰です。 以前も書いた信仰の二つの潮流と同様に、神道にも「感謝・賛美」と「欲望・傲慢」の二つの信仰の流れがある。 この二つの信仰の潮流が神道にも該当できるのは、日本人が古代イスラエルの末裔であるからかもしれません。 日本人はイスラエルの失われた部族の本流であるだけに、北イスラエル王国が滅亡した原因である、バアル信仰などの偶像そのものは廃棄しても、多神教的で雑多な「欲望・傲慢」信仰を持ち込んだのではないでしょうか。それが、神社神道のご利益信仰であり、現代のスピリチュアル・ブームにまで至っていると考えます。 しかし、本来の神道は、上記のとおり、「感謝・賛美」の一神教的なものです。 それぞれ名前を持った神々の奥には、根源的な神が存在しています。そして、全ての神々はカミという総称に統合される。 そのような奥行きのあるのが、本来の神道の信仰です。日本人は、その本来の神道の信仰に立ち戻らなくてはいけない。 アモス5:6 主を求めて生きよ。 さもないと、 主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、 これを焼き尽くし、 ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。 《主を求めて生きよ》とは、欲得や願望を主なる神に求めることではなく、みこころを求め神に感謝をすることです。 《ヨセフの家》とは、北イスラエルであり、エフライムとも呼ばれる。エフライムはヨセフの子である。 日本人はイスラエルの末裔であり、しかも、エフライム族であるとされる。ヨセフの家とは我々のこと。 《ベテル》とは、エルサレムの神殿の「感謝・賛美」による真の礼拝に対抗するため、金の子牛を祭り、「欲望・傲慢」の礼拝をベテルで行っていた。ベテルとは、「欲望・傲慢」の信仰を示す。 この日本に蔓延する間違った信仰を、本来の正しい「感謝・賛美」の信仰へと正したい。 そして、本来の神道に立ち返れば、キリストを信じる者も起こされる。 |

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内緒様、コメントを感謝いたします。
2011/6/25(土) 午後 3:54 [ 大凪研澄 ]
こんにちは
「民族のルーツをさがす旅」検索
の感想も聞きたいです。
2012/11/1(木) 午後 10:38 [ うめたろう ]