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聖書にいふ『すべて彼を信ずる者は辱しめられじ』と。 ロマ人への書10章11節

日記

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雨の弘前路 ケータイ投稿記事

真向法の月例会に行って来た。台風が近づいているようですから、あいにくの雨で岩木山も見れませんでしたが、久々に他人から補導体操(ペアストレッチのような体操)をしていただいた…。いつも他人に施してばかりであったので有り難かった。

今年百歳になった弘前の斎藤会長の母である梅子さんが、野田総理大臣から賜った表彰状と記念品を見せていただき、梅子さんを囲んで記念撮影をした。実に和やかな例会でありました。でも、菅さんの名前でなくて良かった?

帰り道に「きみまち阪」を通過した。今でこそ立派な道路とトンネルと陸橋などで通行することができるが、「きみまち阪」と名付けられた頃までは船で通るしかなかったようだ。参勤交代の道中もこの辺りだけ船で通過したそうだ。

1881(明治14)年の明治天皇の東北巡幸の際に、皇后は「大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ」という歌をしたためた手紙を出し、ここで天皇の到着を待ったと伝えられている。この翌年に明治天皇により、ここは「きみまち阪」と命名されたそうだ。

「きみまち阪」は君を待った阪なのだ。キリスト者は、皇后が天皇を待ったように、主であり君でもあるキリストを待っている。

足りることを学ぶ ケータイ投稿記事

今日は、礼拝の後でギデオンの例会があったから、教会で6時間も過ごした。夜勤明けの身には少々きつい…。最後の方は「早く終わってくれ」と祈るような気持ちでした。

「いつも主にあって喜びさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)と、礼拝で語られていたが、眠気に喜べなかったのだ。
その礼拝では、「満ち足りる心」と題して説き明かしていたが、私の思うことを述べたい。

ピリピ4:11
乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は満ち足りることを充分に学んでいないのだ。パウロに比べたら学び方が甘いのだ。もっと苦労しなければならない。パウロのように死ぬほどの苦労を…。

禅語の「足るを知る」という言葉があるが、この程度ではなく、あらゆる境遇で「足りることを学ぶ」ことが必要なのだ。
何だかんだと言いながらも、衣食住すべてが守られていることを知って感謝することが「足るを知る」ことだが、知って学ぶことが「足りることを学ぶ」ことである。

足りていることを知って学ぶことで何を学び得るのだろうか。

ピリピ4:13
私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

でき、、るのだ。
まだまだ学び足りないようです。
マタイ14:23
群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。

今朝の礼拝の説教箇所でもあるが、この後の24節以降を主に説き明かしていたけれど、聖書を目で追っていたら、「祈るために、ひとりで山に登られた」という一節に目が釘づけとなった。

この箇所の前に五千人の給食があり、後にはイエスが湖の上を歩いたことが書かれている。二つの奇跡の間に挟まれた箇所に、「祈るために、ひとりで山に登られた」と書いてあるのだ。

派手な奇跡にばかり焦点が当てられるが、キリストは祈られたのだ。
先の奇跡では私たちを豊かに養うことを教え、後の奇跡では私たちに能力を与えられることを教えたが、キリストは自ら祈り私たちに祈ることを教えられた。

この世で生きている限りいつでもどこでも必要なのだ。

?テサロニケ5:17
絶えず祈りなさい。

台風が近づいているようで、昨日は36度の猛暑でしたが、今日も朝起きたら汗でぐしょぐしょ…。まるで真夏に戻ったようだ。
そんな暑さの中での礼拝でしたが、会堂はエアコンのおかげで涼しかった。むしろ肌寒い感じ…。

このように暑さ寒さに一喜一憂してしまう。だからこそ祈りたい。

クラブ体験 ケータイ投稿記事

今日は県都の某フィットネスクラブまで行って、スポーツクラブマネージャーの認定を受けるためにクラブ体験をさせていただいた。

朝から元気な方たちが集まっていましたが、ほとんどが年配の女性でした。ウォーキングマシンを30分ほど利用しましたが、彼女らより先にギブアップしてしまいました…。

その後、キック&パンチエクササイズを1時間しました。20人の参加者とともにいい汗をかかせていただきました。
真向法の1時間よりきつい。初めてのエクササイズなので頭と体がフル回転でしたから、あっという間に感じました。

県都ではここ数年フィットネスクラブが次々とオープンして、会員の争奪戦が勃発しているが、健康のために入会するのだし、健康のままで人生を終えたいと誰もが願っているからでしょう。

しかし、健康な人も健康でない人も例外なく死ぬのだ。せっかくフィットネスクラブで、体を鍛え続け頑張っても死ぬのだ。そう考えると健康というものも虚しいものだ。

傳道之書1:11
皆(みな)空(くう)にして風を捕ふるが如くなりき 日の下には益となる者あらざるなり

健康だけを追い求めることも「空」なのだから、健康より大切なものを求めたい。

傳道之書12:13
神を畏れその誡命(いましめ)を守れ 是(これ)は諸(すべて)の人の本分たり

キリスト者が健康を求めることは虚しいことはない。
日本は市民が総出でスポーツ観戦を楽しむというライフスタイルが定着していない。私は20代の頃、米国のオレゴン州で2年間暮らしたが、その時よくホームステイ先の家族と一緒に、地元大学のアメリカンフットボールを見に行った。朝からオニオングラタンスープ、卵サンドイッチを用意して、みんなで遠足に行くような感じ。観客席で多くの市民がスポーツに“参加”している姿を見て、心の底から「楽しい」と思うことができた。日本でも、Jリーグやプロ野球などで家族連れの姿を見かけるが、まだ一部の熱心なファンにすぎない。

例えば陸上競技の日本選手権では、開催地の子供たちが学校から動員をかけられることがある。そこで初めて陸上競技に触れる子も多いと思うが、実際に観戦してみて「楽しい」と思えるかどうかが重要だ。場内アナウンスが単調だったりすることで競技の面白さが理解できなければ、また見たいとは思わない。スポーツを観戦する文化を根付かせるためには、見て「楽しい」と思う機会を子供の頃から多く経験させることだ。

経済成長を遂げた国が五輪を初めて招致する場合と違い、夏季五輪を複数回開催している国は、スポーツを観戦する文化が根付いている。米国(4度)やドイツ(2度)、豪州(2度)などで見られる、毎週末、市民が観戦でスポーツに“参加”するライフスタイル。日本でもそんな風景が当たり前になれば、2度目の夏季五輪は自然と手の届くところに来る。 【8月22日産経新聞】

一昨日の産経新聞に増田明美さんが書かれた記事です。
スポーツ観戦をする権利も「スポーツ権」ですから、スポーツ観戦をするという文化を根付かせたいものです。
プロでなくても身近な地元のスポーツを観戦することで、地域活性化ができると考えています。わざわざお祭りや各種イベントを企画しなくても、地域のスポーツを用いれば充分に活性化ができるのではないでしょうか。
たとえプロのような技術がなくとも、スポーツをする者、スポーツを見る者、スポーツを支える者がいれば、ともにスポーツを楽しめるものだと思います。

しかし、スポーツ観戦より、日曜の礼拝を守りたいものですが、地域のスポーツの多くは日曜に開催されるから、キリスト者にとってはあまり歓迎できない文化なのかもしれない。スポーツと信仰は並び立たないものなのか。

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