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ようを三年保育の幼稚園に入れる事にしました。
みんなと 同じように出来るとは とても思えなかったけれど、
心配はたくさんあったけれど、
ようと 離れる時間が ほんの少しでいいから欲しかった。
息をする時間が 必要だった。
年少の頃は 回りの友達も 泣いたり騒いだりが多少はあったので
ようの泣くことも、 みんなと同じ事が出来ないことも、
おゆうぎの時は 滑り台の上で見てることも、 立ち歩いてしまうことも・・・
「仕方ないね・・・そのうち出来るよ」と言われていました。
親子で遊びに行く時は、 親同士が話している間、
私は 「子供好きだから〜」といいつつ、 子供達の中に入って、
ようが引き起こすトラブルを そっとそっと 押さえて 収めていた。
年中になると 回りの子供達と ようとの差が ありありと目立つようになった。
みんなと同じ行動が出来ない。
時間で終わらせて次に移る事も、 先生の指示の通り動く事も・・・
その度に 廊下でひっくりかえっては 泣き叫ぶ よう。
この頃になると 親子で遊んでも 親だけ子供の中に入る事が
回りのお母さんの目もあって出来なくなった。
当然のように まきおこる大騒ぎ、 けんか。
「また、ようちゃん・・・?」
次第に ようのうわさは あらゆる所に 広まっていった。
初対面のお母さんにも、あたり前のように言われるようになった。
「あ〜、ようちゃんのお母さん〜。ダメよ〜、もっと・・・・しなくちゃ」
どこに行っても、いきなり否定されるところから始まる。
それは、家庭でも同じだった。
母親になる前は 努力すれば その分の結果があった。
出来ない事は 自分の努力が 足りないから。
人の目も 気にならない。
比べるのは 自分自身が どれだけ出来るように頑張れたか・・・だった。
でも ようの母としての私は 努力しても 認めてもらえなかった。
だから、 私は ようの為と思いながら、 厳しく叱るようになっていった。
でも、 本当は 自分の為に叱っていた。
だから言うことは
「 どうして出来ないの 」 「 そんな事、していいと思ってるの 」
「 何度言ったらわかるの 」
みんなと同じように出来るには、何倍も何倍も努力しないと、時間がないと、
出来ないとわかっていたのに・・・。
私は ようを ただただ泣かせていただけだった。
私の心は固まっていた。
そんな ある日。
叱りすぎてしまった後、 苛立ちと後ろめたさで一杯になっていた。
ようは 泣きながら 何かを紙に書いている。
そして 小さく 小さく 折りたたんだ その紙を
ようが 私に だまって 手渡す。
「 かあさん きらい 」 って 書いてあるんだろうな・・・と
ぼんやり思いながら その紙を ひらく。
よれよれの 字で 「 かあさん だいすき 」 と 書いてあった。
私は 涙が止まらなかった。
ようの 愛に おぼれた。
どこかで おごっていた自分に 気づく。
子供を育ててるんだと。
よう よりも 自分の愛情の方が 何か深いものなんじゃないかと。
自分のわからない事で怒られて、 泣いて 泣いて 選んだ あなたのことばは
かあさんよりも ずっと ずっと 優しかった。
私が見えなくなっていたものを、 まっすぐに届けてくれた。
その日から 私は 自分を取り戻せた気がしています。
子供と共に 私も母親として成長していかなければいけないと
ように 教えてもらった日でした。
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