札幌発

私なりに感じた日常、その画と,好きな音楽の話をアップします。

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バンドの話⑥

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1年間は居たであろう目黒のFダクション、ヤクザに追われたり、フイリピン女性に迫られたりと、それなりに楽しい経験でした。笑えるのが目黒の狭い道を、塀ギリギリで毎日デカいアメ車、マーキュリーで通ってくる社長の見栄っ張り。社員全員 "よくやるね” と変な元気を貰ったものです。

白い上下のスーツもよく見ると染みだらけで ”ほんとはこの人、良い人なんだな” そう感じたものです。
しかし脱税が発覚し、会社は自然消滅。行く末は予想通りで、相棒のメキシコ系アメリカ女性(本人はそう言っていた)マギー、君の優しさは忘れません。何も知らない自分に英語を始め、不慣れな東京と業界の様々なルールを教えてくれました。(外人に日本を教えられるしょーもない男)
それ以来マギーには会うことはなく、写真1枚さえ何も手がかりは有りません、感謝しています。
どこかの空の下で、あの元気な笑顔で幸せな時間を過ごしている事を信じています。

次の勤め先は決めていました、文京区江戸川橋に有るNプロ。東京住まいにも関わらず自宅から歩いて行ける距離でしたが、会社は地下鉄有楽町線の一駅分の交通費を支払ってくれました。
このあたりは講談社、キングレコード。何より当時大人気であったYMOの細野氏の持つレコーディングスタジオまでありました。

Nプロは最初から悪い評判が聞こえた事務所です。その小会社である、日本Uレコードのディレクター待遇で勤めはじめ、新人の発掘育成、レコーディングと、まさに望み通りの生活が始まりました。

レコーディングでは適度にギターも弾け、音楽のジャンルは選べませんが、親会社のフジTV系列のポニーキャニオンという安心感もあり、新鮮で前向きな日々が数年続きます。
橋幸夫氏が社長を務めるリバスター音産へレコードのリリース先が契約変更し、"セイントフォー” という4人組女の子をデビューに全力をそそぐことになって行きます。(この辺からyou tubuで見る事が出来ます)同期にはチェッカーズ、小女隊、工藤夕貴、おニャン子も居ましたが別格ですよね。

デビュー曲がなかなか決まらない中、私の作ったレッスン曲 ”夜のダンサー” を当時振り付けを担当していた、一の宮はじめ先生が(今は故人)推薦してくれました。

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