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京都に住んでいる 家のまわりをちょっと歩けば,歴史ある史跡にめぐりあえる お寺,神社,住居址,遺跡……… 区でつくっているウォーキングマップを参考に 最近,家のまわりを歴史さんぽしている… 今日は「桂コース」を紹介しよう! 桂が読めるか? 京都の西に「桂」という地名がある 「桂」を「かつら」と読めない人は少ないだろう。 ほとんどの人は桂三枝を挙げるかな? この落語家の「桂」は 実は京都の「桂」とは何の関係もない 初代の桂文治が檀家だったお寺 の山号(佳木山)からきているそうだ (現在の大阪市北区にある) で,京都の桂だが このあたり一帯が月を眺める名所だったことから 中国語の「月桂」の「桂」をあてたとか たしかに高知の月の名所も「桂浜」である 上流の嵐山にかかる橋も「渡月橋」だし… 安土桃山時代から明治時代まで続いた桂宮家の所領があった地域でもある 有名な「桂離宮」は桂宮家の別荘だったところ 桂を所領としたから「桂宮」と称したとのこと ちなみに 現在の桂宮家は,昭和63年に創設された新宮家であり, 「元祖」の桂宮家とは関係ない (まぎらわしいなぁ) 桂の今昔 さて,その「桂」であるが, 平安時代には,嵐山から流れる桂川に浮橋がかけられ あの藤原道長や源経信らの別荘があったらしい 中世以降は上流からの木材運搬の船着き場として栄えたし, 江戸時代には宿場町としてもにぎわったとか しかし明治になり鉄道が離れたところを通るようになったため 街道のにぎわいとしては衰え,現在は住宅地になっている 1928年(昭和3年)に現在の阪急電鉄の桂駅が開業している その桂駅から歩いてみる 駅の南東の方角に本願寺西山別院がある あの「桓武天皇」の勅願で「最澄」が創建したと伝わる 平安時代の初めだ 教科書に出てくる超有名人物が関係するのも さすが歴史のまち京都である 写真の本殿は,江戸時代に西本願寺から移築したものとか どっしりと構えた本殿で,拝んでいるだけで気持ちがやすまる 突然であるがゴマ油のお店である 桂駅の北西方向にある 「山田製油」さん 何とも和風な建物だが 再び阪急の踏切を渡り 下桂御霊神社へ 平安時代初期の書家 橘逸勢(たちばなのはやなり)を祀っているとか 彼は嵯峨天皇・空海とともに三筆と称される 近くには前述の「桂離宮」がある 桂宮家の別荘であったが,明治になって後継ぎが絶えて宮家が断絶した後は,現在の宮内庁が管理する庭園である 中には入れなくても 入口までつづく松林の小道の散策は気持ちよい 北の方にいくと三之宮神社 この辺りは「さんのみや」神社が多い 家の近くの「三宮」神社 ちょっと離れた「三ノ宮」神社(2か所) そしてこの「三之宮」神社 表記が違うのも興味深い 「さんのみや」神社は日本各地に多数あるとか まぁ神戸の三宮は有名だが・・・ と,いきなり目に飛び込んだこのアパート! すごいぞ!ドアが8つ並んでいる!! 遊園地のビックリハウスか? 裏にまわってみると んんん〜! どうやら2階の部屋も 玄関が1階にあるということだろう たしかに便利だが・・・ 同様の部屋に住んでいる人の感想が聞きたい さてさて ずっと西に歩いて20分くらい またも三宮 真言宗のお寺らしいです 染殿地蔵 安産のお地蔵さんとして 信仰されているとか 国道9号線に戻ると 御陵という地名 そして 古墳があらわれる 「天皇の杜古墳」と。 どうも本格的な発掘はここ20年くらいのことらしい (それまでは畑の中にぽつんとある森で,9世紀の文徳天皇の墓であると信じられてきたらしい。しかし調査により実際には4世紀の豪族の墓であることが判明したとのこと。「天皇の杜」という名称は,これまで信じられてきた文徳天皇から名付けたとのこと。まぎらわしいな…。) →くわしくはココをクリック 前方後円墳の形になっているのがよく分かる (左が円墳で右奥が方墳) 京都市内の古墳の分布案内図 よごれみたいに点になっている肌色が,実は古墳の印 この辺りは4〜5世紀の秦氏の関係の豪族の埋葬地だったらしい 悠久の歴史に思いをよせていると 遠く西の空が赤く染まっていった
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歴史さんぽ
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京都に住んでいる 家のまわりをちょっと歩けば,歴史ある史跡にめぐりあえる お寺,神社,住居址,遺跡……… 区でつくっているウォーキングマップを参考に 最近,家のまわりを歴史さんぽしている… 今日は「松尾コース」を紹介しよう! 松尾は松尾大社で有名な地域 えっ?知らない 京都の西のほう 嵐山の南にあたる 1600年くらい前の古墳時代に,渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し,松尾山の神(大山咋神)を氏神としたとある さて,桂駅から出発する 金魚が泳ぐ小川 桂駅から西に歩いて10分ほど 石塀のお屋敷のまわりに細いお堀のような小川 そこに金魚やコイが泳いでいる ごみで汚れていた小川を「魚が住める環境に戻そう」と,住民が清掃や水草の育成を続けてきたとか この小川は40年ほど前まではフナなどが釣れ,「千代原の小川」として親しまれていたという しかし開発により,小川はコンクリートで固められ,ふたで覆われた すき間からゴミや吸い殻が捨てられるようになった… 3年前に自治会長さんが小川の再生を呼び掛け,ふたをなくして砂利を敷き詰め,金魚を放したとか さらに,水の浄化作用がある水草を浮かべ,川の水が透明度を増したらしい 「最近は自然な水ゴケやタニシの巣穴も見られるようになった」 「フナなど本来いた魚を増やし、ホタルが乱舞するかつての風景の再現を目指したい」 という声も出ているとか (京都新聞の過去記事を参考にしました) ちなみにこのあたり一帯は昔千代原村だったところ 中世には下桂庄の庄域であったらしく,朝原とも呼ばれていたという 1889年に合併で桂村となり,1931年に京都市に編入している SL公園 国道を越えて,西京区役所を西のほうに入ると,SL公園に出ました コッペルC型機関車 調べてみると… 地主さんが造ったレプリカだとか 因美線で平成6年まで使用されていた腕木式信号機もありました(こちらはホンモノ) 浄住寺 もとは平安初期の810年に嵯峨天皇勅願で開創された常住寺が始まり 鎌倉時代の1261年に浄住寺と改め,鎌倉将軍の帰依を得て隆盛したがのちに衰退 江戸時代に再興して現在に至るらしい 周辺の葉室家に関係が深いようだ このお寺 写真ではよくわからないが 石段が,ゴツゴツした岩を集めてつくってある 苔むしてとても趣深い寺である 地蔵院(竹の寺) 室町期の1368年創建 一休さんがこどものころにこの寺で修行したとも言われる 竹の寺ともよばれており,秋の紅葉は見事 月読神社 『日本書紀』にも登場する古い神社で それによれば1500年以上前の古墳時代487年に祀ったのがはじまりとか ただし現在地に移ったのは平安初期の856年 現在の本殿などは江戸時代に再建されたものとか 松尾大社 背後の松尾山(223m)に古社地があるらしい 古くは5世紀ごろに渡来人の秦氏が松尾山の神(大山咋神)を氏神としたのが始まり 大山咋神は『古事記』にも登場するとか 平安遷都により,皇城鎮護の神として崇敬されるようになり 「賀茂の厳神、松尾の猛神」と並び称された 近代社格制度のもと,1871年に松尾神社として官幣大社に列格し,戦後は別表神社となった 1950年に松尾大社に改称 秦氏は酒造の技術も日本に伝えたことから, 中世以降,酒造の神としても信仰されるように (一部Wikipediaより) なお,松尾大社は正式には「まつのおたいしゃ」と読むが 地名も駅名も「まつお」である 亀さんと鯉さんが いらっしゃいました こことは別の場所に亀の像があり なでなでするといいことがあるそうです なでなでなで・・・
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今回はちょっと趣向をかえて 京都の竹についてお勉強したいと思います 京都といえば「竹林」の風景が思い浮かびますね きょうは我が家の近くにある 「竹の径(みち)」を歩いてみたいと思います 「竹の径」は京都市との境界の向日市側にあります 西に向かう道路が坂になっていますが このあたりは樫原断層による傾斜地です 京都では東の花折断層など,活断層に沿って竹林があります 実は,活断層に沿って竹が植えられたのです それは,竹が地面の中に網目のように地下茎を張っていて がけ崩れなどを防ぐ効果があるからなのです 病院に入るわきの道が竹の径への入り口です 竹の径がここからスタートです 逆ルートでたどることもできます まさに竹林ですね! あざやかな竹の色 何いろと呼ぶべきでしょうか? かぐや姫が出てきそう ここから京都市になります 京都市の洛西竹林公園があります 入ってみましょう! 公園内はいろいろな種類の竹があります キンメイ(金明)モウソウは 「本光る竹なむ一筋ありけり…」を彷彿とさせます キッコウチクは,その名の通り亀の甲羅に見える 資料館がありました 入園・入館ともに無料です 資料館内部です まず目に入るのが エジソンの電球! 何とあのエジソンは 電球を発明したときに フィラメントに 京都の竹を使ったそうです! さらに パネル展示のまとめ方がすばらしい! 竹のことが一発でわかります! おすすめです! 「竹は,草でも木でもない」 ・・・うまいです!たしかにその通りですね。 「竹はいろいろなつかわれ方がある」 ・・・景観としての竹林はもちろん,垣根やすだれ・床材などの材木として,あるいは扇子や茶器,ざるやかごなどの工芸品・日用品として,竹はいろいろな場面で使われてきました。 「竹林は防災にも役立っている」 ・・・冒頭でも述べましたが,地下茎が網目のように地表付近を横にはうように広がり,地面をしっかりと保持するため,地震などで心配されるがけくずれを防止する効果があります。 (ただし地下深くまで根が入り込んでいないため,大雨のときなどには,竹林ごと持っていかれてしまう大規模な地すべりが発生する危険性もあります!) タケノコはこうやってできる! タケノコってそのままにしておくとあの竹になるのですよ! えっ?採ってしまっても大丈夫なの?って? 実は,50〜70%のタケノコくんは,地上に顔を出してから間もなく生長が止まってしまい,そのまま枯れて腐ってしまうそうです(止まりタケノコというらしいです) タケノコは過度に採取しなければ,竹林の成長に影響しないとのこと (Wikipediaから) 資料館の外にはお庭があります 回遊式和風庭園としてデザインされ, 遊歩道を散策しながら竹や笹の生態を観察できます 資料館のさらに中の奥にあるので はじめての人はなかなか入り込まない穴場だと思います 応仁の乱の発端となった「百々橋」がありました そして奥の奥のあまり人がいかないくらい敷地の奥には 旧二条城址から出土した「石仏」が鎮座していました あまり人が踏み入れないような奥地だけに しっかりと拝んできました これらの石仏さんは 地下鉄烏丸線の工事のときに発掘調査で出土したそうです (二条城って今の場所ではなかったのですね!!知らなかった!) 洛西ニュータウンに出てきました ここ洛西ニュータウンは,京都市が理想のまちとして造成し 昭和51年から入居が開始されたニュータウン 竹の産地大枝・大原野にあり 竹にかこまれたニュータウンとしても知られています ニュータウンの建設により多数の竹が伐採されたことから 残る竹林について積極的に保存しようという声が高まり ニュータウンの記念事業の一つとして 昭和56年6月にこの竹林公園が開園されたとのことです (洛西竹林公園ホームページから) みなさん京都に来て 時間があったら ぜひ洛西竹林公園に行ってみてくださいね 竹林公園に直接行く場合は, 阪急桂駅からバス 「南福西町」下車5分 病院から竹の径を歩く場合は,
阪急洛西口駅またはJR東海道線桂川駅からバス 「第二回生病院」下車2分 |
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京都に住んでいる 家のまわりをちょっと歩けば,歴史ある史跡にめぐりあえる お寺,神社,住居址,遺跡……… 区でつくっているウォーキングマップを参考に 最近,家のまわりを歴史さんぽしている… 今日は「平安の古コース」を紹介しよう! 場所は阪急電車の桂駅の南東一帯 桂川や東海道新幹線までのエリア 地名としては「下津林」「牛ヶ瀬」 タイトルにもあるように平安時代の遺跡が多い 住宅街の中にたたずむ石塔 「蓮生の塔」とある… 蓮生は平安末期から鎌倉前期の武将宇都宮頼綱の出家後の法名らしい どうやら謀反の疑いをかけられて出家したらしい 宇都宮の地から鎌倉を経てここ下津林に寺を建てたとか 五社神社 創建時代は不明らしいが,産土神などを祭神として祀っているとか かやぶき屋根の能舞台があったり,古めかしい本殿があったりと,古の雰囲気を味わえた 東海道線の線路沿いに京都駅方面へ歩く ごみを捨てる人が多いらしい まちをきれいに! ひとりひとりの気持ちがたいせつだと実感する標識 1月だというのに菜の花が咲いていた!後ろは東海道線の電車だ 桂川に出てみる 河川敷は一面のキャベツ畑!え〜とひとつ120円として・・・ ついついお金に換算してみたくなる 桂川にかかる鉄橋のうち,いちばん古い橋は明治時代のレンガづくり 架橋工事中の事故で亡くなった方々がいたらしい その方々の霊を弔うために祀られた「楠赤手拭稲荷大明神」 通称,赤手拭さん 事故で手拭が赤く染まったということだろう お稲荷さん建立後は死傷者が全く出なかったという 昔は工事といえば犠牲者が皆無ということはなかったそうだ 戦後につくられた青函トンネルや瀬戸大橋ですら,多くの殉職者がいるからなあ ありがたく思わないと・・・ 近くの牛ヶ瀬春日神社 831年の勧請といわれ,国乱の平治と五穀成就守護の神 右の写真 なんか昭和を感じる風景じゃありません? 最後は光福寺 平安前期に浄蔵貴所が開基 りっぱなクスノキがありました クスノキの葉っぱの見分け方 写真でわかるように,3本の太い葉脈に分かれているのが特徴だそうです ひとつ勉強になりましたね!
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京都に住んでいる 家のまわりをちょっと歩けば,歴史ある史跡にめぐりあえる お寺,神社,住居址,遺跡……… 区でつくっているウォーキングマップを参考に 最近,家のまわりを歴史さんぽしている… 先日歩いた「樫原(かたぎはら)」を紹介しよう! と言っても「樫原」は私が住む町内 昔,樫の木が多かったことからこの地名が付いたとか そしてこの樫原は,京を起点とする山陰道の一つ目の宿場町だった 交通の要衝であることから,古くから街道町として栄えた 丹波方面の計略を命じられた戦国時代の明智光秀による整備の歴史も語られており,幕末には志士を匿う豪商も多く存在したとか また,この地は、周辺から数々の古墳や白鳳時代の古代寺院跡(樫原廃寺跡)が発見されており,さかのぼること千四百年以上の昔よりさかえていたようだ 現在でも京都駅に向かうバスが走る 昭和39年に離れたルートに国道バイパスができたが 今でも交通量は多いので,歩くときは要注意だ 「樫原界わい景観整備地区」に指定されている 街道沿いには貴重な建造物が現存している 江戸時代に本陣がおかれた屋敷 中には入れないが,現在でも立派な内装が一部残っているそうだ 参勤交代などの際に大名が宿泊したそうだ 樫原の宿場址の案内には,明治時代にはここから七条ステンション(京都駅)まで乗合馬車が走っていたとある。人力車も走ったが,山陰鉄道(現在のJR山陰本線)の開通とともに,街道町としては廃れていったという 樫原に限らず付近には,嵐山・嵯峨野の北西にある「愛宕山」への参詣の案内標が多くみられる 愛宕山は全国に900社ある愛宕神社の総本山であり,あたごさんとして親しまれている 歴史とは関係ないが,「花のみち」なる小路があった 深紅のきれいなバラの花が迎えてくれた まだまだ畑が多いが,住宅も増えてきている 遠くに見える阪急電車も高架線の工事中である 10年後には踏切もなくなり近代的な建物が増えているのだろうか? 白菜100円の値札を眺めて,この日の旅を終えた・・・。
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