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主に従うことでのわたしたちの天然の命の失敗(1)
2007. 7. 13
聖書の節
マタイ26:33 ペテロは答えて言った、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。(34節)イエスは彼に言われた、「まことに、わたしはあなたに言う。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを否むであろう」。(35節)ペテロは言った、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならなくても、決してあなたを否みません」。弟子たちもみな同じように言った。
(73節)しばらくして、そこに立っていた者たちがペテロの所に来て言った、「確かにあなたも彼らの一人だ。……(74節)その時、彼は「そんな人は知らない!」と、のろって誓い始めた。すると、直ちに鶏が鳴いた。(75節)ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを否む」とイエスが言われた言葉を思い出した。そして彼は出て行って、激しく泣いた。
務めの言葉
(全2編の内の第1編)
わたしたちは天然の命によって王国の民となることはできません。この事実は、第26章31節から75節の中で十分に明らかにされています。ここには、キリストの捕縛と裁きの絵があります。この記録は、だれも天然の命によっては十字架の道をキリストに従って行くことができないことを啓示します。王はこの道を取ることができますが、わたしたちは自分の天然の命の中ではそうすることができません。ですから、主はわたしたちのために死に、わたしたちのために復活の中へ入らなければなりません。彼の死を通して、わたしたちの消極的な状態は解決されます。そして彼の復活によって、彼はわたしたちに取り入れられ、さらにわたしたちとさえなることができます。
ペテロが否んだ意義をわたしたちが見ることは、重要です。第26章で主イエスとペテロは、互いに完全な対照をなしています。あらゆる面で、イエスは十字架の道を経過することができました。しかし、ペテロはあらゆる面でこの道を取ることで敗北しました。他のすべての弟子も、もちろんペテロと同じでした。もしわたしたちがこの事柄をはっきりと見るなら、キリストの勝利と同じように、ペテロが否んだことにも、わたしたちは十分な注意を払うでしょう。
(明日に続く)
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