日々是不思議也

過去の記事に、新たに撮影地名や当時の未公開写真等を一部追加致しました。震災で失われた貴重な風景もありますので、ご覧ください。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

雪こそ降らなかったが、先一昨日から一昨日にかけての冬の嵐は例年になくすごかった。一夜明けてみるといろんな物が風に飛ばされて散らばっていて、まだ残っていたお正月気分も一緒に風にさらわれた気がした。

正月二日、三十三歳の年祝いに行っている間に父親が大晦日に海に落とした眼鏡を引き上げてきてくれた。
眼鏡がないと眼のピントが合わずボヤっとしか見えない。翌週火曜日に新しい眼鏡が出来るまでテレビもパソコンも見れず、今年は寝正月だと諦めていたが、眼鏡が復活したおかげで車の運転もできるようになったので、家族が用事で市外に出るついでに、かねてより計画していたデジカメでの「お正月のカミサマ撮影」を実行に移すことに。

ここで私の言うところの「カミサマ」とは、まあ神社でもかまわないのだが、野辺に苔むす石のお地蔵さまと同じで、街角や峠道などに佇む神様や仏様、神社、神体山、講などの名前を記した石碑、所謂文字塔(もじとう)のこと。

三陸沿岸の石仏は地蔵尊を除き、神や仏の像容を表したものは少なく、代わりに神名や仏号を自然石の表面に見事な筆さばきで大書陰刻した文字塔がほとんどで、これらの石塔が集落の境などに数多く建立されているのは、古くからの日本人の石そのものに神秘の力を認める石神の信仰と、神や仏の名を記した文字や言葉そのものにも霊力、呪力が宿るという言霊(ことだま)信仰の考え方に基づいている。

このような大小の碑が神社やお寺の境内の隅や木立の下の暗がりなどに群立する姿は、知らぬ人や漢字を読めない子供が見れば不気味な古いお墓が並んでいるように見える(※実際古い時代の墓地の場合、故人の戒名も彫っていない自然の石が墓石として田畑の畔道や木陰にお地蔵さまと一緒に並んでいることもあり、遠目には見分けが付かないことも多い)。そう思っていたものが、正月になって注連縄が張られ、地元の人たちが「オヘソク」と呼んでいる白い紙で出来た御幣が、石碑の前にいくつも供えられているのを目にして、初めて、ああ、あれはカミサマだったのかと気が付くのだ。

柳田國男の『遠野物語』に「路の傍に山の神、田の神、塞の神の名を彫りたる石を立つるは常の事なり。また早池峰山六甲牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。」とあるごとく、月山、湯殿山、羽黒山といった出羽三山や早池峰山、鳥海山、金華山、秋葉山そして地元の五葉山といった修験道の霊山の名を記した山岳信仰に基づく供養塔は、江戸時代から平成の建立のものまで数多くみられ、今回掲載した写真にも出羽三山供養塔などが何基か写っているので気付いた方もいるだろう。

またこの他にも、日本各地に分布する庚申塔や三陸地方に多い巳待塔、金毘羅講供養塔(金刀比羅神社)、念仏塔や馬頭観音、駒形神社供養塔(蒼前神)、古峰ヶ原講供養塔(金剛山古峯神社)、愛宕講供養塔、鹽竃講供養塔(塩竃神社)、山の神塔、雷神塔、水神塔(八大龍王)、蚕神供養塔など、一口に言っても様々な形態の文字搭があり、中でも庚申塔(コウシントウ)や巳待塔(みまちとう・キシトウ)、この二つを折衷した庚申巳待塔(コウシンキシトウ)は、三陸地方の神社や寺院の境内、道路端に数多く祀られていて、今ではすっかり忘れ去られてしまった「庚申待ち(守庚申)」や「巳待ち(弁天日待)」といった日待ち行事が、江戸時代の中頃には文字通り、全国各地津々浦々まで深遠し、民衆の間で盛んに行われていたことを物語っている。

庚申待ちや巳待ちについて説明する余裕がないので、今回は割愛するが、これら石造物の多くは江戸時代、庚申講や金毘羅講、最上詣り(三山詣り)といった地域の講(こう)の人たちの寄進によって造立されたもので、当時の地元庶民の信仰形態を知る上で貴重な資料でもある。

「講(コウ)」とは講じること、転じて経典の講義をする会。元々講とは平安時代に仏典の購読・研究する僧の集団を指すものであったが、後に仏典の講読を中心とする仏事を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった。

この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰的集団に「講」という名称がつけられるようになる。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがあり、前者の講は、氏神、産土(うぶすな)、山の神、田の神といった地域の神仏を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。

講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する社寺から委嘱されるのが通常である。

外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであり、越中立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって伊勢神宮や讃岐の金刀比羅宮、信濃の善光寺など各地の有名神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは資金を徴収して講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。

これら講の人たちによって建てられた石塔は、講の結成や講員全員が総参りや代参を完了したなどといった、所期の目標が達成された折に、講の人たちがお金を出し合って造立されたものが多い。

だが、それも昔の話。庚申講や巳待講など、江戸時代には各地であれほど隆盛を極めていた講もほとんど途絶え、苔むした石碑に往時の面影を僅かに留めるのみである。それでも恵比寿講や地蔵講、観音講、山の神講、オシラ神講など、現在も僅かながら三陸地方でもほそぼそと続けられている地域密着型の講もあるにはあるのだが、特定の宗教団体によって運営されている大規模な講を除き、講員の高齢化や過疎による少子化、生活環境の多様化など、様々な要因によりこれらの信仰形態もいずれは消滅する運命にある。

私も子供の頃、正月や小正月ともなれば、地元の神社や海の神や山の神などの小祠を巡ってお賽銭と共にオヘソク(御幣束)を奉幣するのが習わしであったが、よく回っていた祖母が老齢なこともあり、我が家でも最近は不幸事が重なった事もあって、参拝も漁港のオエベス様や近郊の観光地化された大型の神社に行くぐらいになってしまった。

私はブログに使うという名目で、これらカミサマの今の姿を写真に撮り集めている。子供の頃から慣れ親しんだこの風景が何時の日にか、いや今日明日中にも消えてしまう気がするのが怖いのだからかも知れない。

三箇日を過ぎていたが私の狙い通り、道端のカミサマたちには、暮れや元旦に上げられ、飾り付けけられたたであろうオヘソクや〆縄、松飾りが冷たい風に揺れていた。

どういう目的で建てられたかは忘れられてしまっていても、昔の人が守ってきたカミサマに日々の幸せを祈る姿は残っていた。写真を撮り始めると曇りがちだった空も、雲間から暖かな陽の光が差し込んでいい感じに。

もちろん撮影の前にはきちんと柏手を打ってお辞儀して、御賽銭の小銭を…、あれ?十円玉も五円玉も無い。‥百円はちょっときついので一円玉でご勘弁。

写真を撮っていると、自転車に乗った小学生らしい一団が私を横目で物珍しそうに眺めて行く。

厳密にいえば、道端のカミサマの中には馬頭観音や青面金剛、地蔵菩薩、不動明王、弁才天、念仏供養など、仏教思想に基づく仏様のものも混じっているのだが、そこは明治以前の神仏習合時代の名残なのか、それとも神も仏も皆同じという日本人の大らかさなのか、面倒な教義に縛られず神も仏も同じように餅や注連飾り、参拝者の持ってきた御幣束が沢山供えられ、一円玉や五円玉、十円玉が白米に交じって散らばっている正月の姿は、子供の頃から私の眼にはとても美しく輝いて見えるのである。

開く コメント(8)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

仕事が忙しいのを口実に、梅雨明け以来、ブログ更新も年賀状を描くのも怠けている間に、すっかり年が明けてしまいました。平成二十一年の元日も陽が暮れましたね。近年は身内に不幸事が重なったので、三年ぶりのまともな正月となりました。ご訪問の皆様、明けましておめでとうございます。そしてお久しぶりです。

あのテレビ朝日系の朝のニュース番組でも取り上げられた、昨夏、越喜来湾をオリンピック二連覇の北島康介似のツキノワグマが泳いで渡った話題など、去年もネタはたくさんあったのにほとんど更新しなかったのは、熊が泳いでいるのを発見した当事者なのに、ケータイを持っていかなくて、熊が海を泳いでいるスクープ写真(もしくは動画)を撮り損ね、熊が泳ぐ映像を売ってほしいというせっかくのテレビ局の方々の申し出に答えられなかったのが悔しかったから・・・?、いえいえ文才が無くて思うような文章が書けないでいるからです。

さて、未練は残りますが熊の話題はひとまず置いといて、遅くなりましたが、本日は御目出度いお正月ということなので、元旦の初日の出というわけではありませんが、先月のアワビ漁の際に私が撮ってきた、太平洋から昇る朝日の写真を掲載させていただきました。ちなみに、俗に「初日の出」のことを「御来光(ごらいこう)」と呼びますが、本来御来光とはブロッケン現象(Brocken spectre)、あるいはブロッケンの妖怪と呼ばれる、太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲や霧に光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象を指しているんだそうで、日本人が御来光と称して、元旦の初日の出詣でが盛んになったのは明治以降の事なんだそうです。

養殖漁業という仕事柄、水平線上から昇ってくる様々な日の出を拝む機会は多いんですが、いかんせん多くが仕事中ということもあって、今まで見てきたあんな朝日やこんな朝日を撮影する時間もなく、この場でご紹介できないのが至極残念、でも、また写真に撮る機会があれば来年のお正月にでも掲載しましょうね。

最後に私事となりますが、昨日の夕方、船に乗って風に飛ばされたブイ(浮子)を回収していたら、強い風を受けて大切な眼鏡が海に飛ばされて沈んでしまいました。係留中だったので我が家の船のすぐ傍に沈んでいるのは間違いないのですが、今日も朝から風か強く眼鏡の回収は困難。裸眼のピントが合わなくて、昨夜から車の運転もテレビもパソコンもろくに見えず、明日は三十三歳の歳祝いで同級生の皆と会う予定のなのに、新しい眼鏡は来週にならないと出来ないんだそう。

まったく正月とだいうのに最後の最後までついていませんでしたが、さっき地元の神社のおみくじ自販機を引いたら「吉」だったのがせめてもの救い、あ、眼鏡現金で買ったら初売りの景品ということで三ツ矢サイダー一箱貰ったな‥、いやいや神様(T人T)、期待していた年末ジャンボも末等しか当たってませんし、正月早々苦労してるんだから、今年こそ是非私に運命の女性との出会いを!!!

…ということで、眼が疲れるのとグチばっかになるので今回はこれぐらいで勘弁してくださいませ。
では、またいずれ、今年も私とブログに訪れてくれた皆々さまに数多くの幸せが訪れる事を願いつつ、滅多に更新しないブログになっていますが、どうぞ本年もよろしくお願いいたします。‥ほんとに疲れた(ノ_-;)ハア…。

開く コメント(28)

イメージ 1

「あんだ、お昼っころ地震よったの知ってだ?」

「ああ、そんなにおっきくねがったようだったども、大船渡で震度3だずって?50センチの津波来るってテレビで騒いでだっけなぁ」

「こっちさば出はんねがったども、宮城と福島の沿岸さば津波注意報出だずもの」

「宮城県の仙台だの石巻だのでは、20センチぐらいの津波来たったって」

「はぁッ」

「注意報だの警報だの出なくても、なんぼが役場(市役所)がら逃げろって放送(防災無線)鳴っかど思ったっけは、結局鳴んながったねぇ…」

「んだねぇ」

「気仙沼では放送したったって、テレビで言ってだっけよ」

「そうがぁ、でも今日がら、『海フェスタいわて』づうの始まったずがら、日本丸だの、自衛隊の護衛艦なんだのって大船渡さ入ったっぺ。下手に放送すっと、船観さ来たお客様ど騒ぎになっと思って止めだんでねぇ?」

「んだかも知んねえな。分かんねえども‥」

「……」

「…そういえば、さっきテレビでやってだっけ、東北も今日梅雨明けしたんだずよ」

「なに、ほんとぉ?おらほも明けだってか?」

「明けだど」

「週間天気予報で来週もは、雨かだりしてだったった。今日なんか空曇ってるし、沖さもガス(霧)かがってで、梅雨明けだずようには見えねぇげどなぁ…、ほんとに明けだってがぁ?」

「だがらニュースで日本全国梅雨明けだっつぁ」

「はぁ、ほんとぉ…」

開く コメント(15)

イメージ 1

本日、午前八時四十三分に発生した「岩手・宮城内陸地震」は、震源地となった岩手県や宮城県など東北各地に甚大な被害をもたらしましたが、岩手県大船渡市三陸地区では震度四の長い揺れを観測したものの心配された津波も発生することなく、人的被害も建物被害も出さずに済むことができました。

今回の地震のニュース聞いた遠方各地の方々より、お見舞いの電話やメールが寄せられておりますが、家族共々皆無事に過ごしておりますのでどうぞご安心ください。

尚、この場をお借りして被災された皆様にお見舞い申し上げますと共に、一刻も早く普段通りの生活に戻れる事を心よりお祈り申し上げます。

                                           当ブログ管理人・さっと

開く コメント(5)

イメージ 1

あえっ!今日で五月も終りなの?!、そういえば明日から後部座席のシートベルトも義務化されるし、衣替えの季節だけど三陸沿岸は寒くてまだ早いよね。実は連日の悪天候で記事を書く暇とネタは結構あったのに、結局今月もろくにブログ更新できなかった〜〜。あんまり更新しないので妹に「このブログは閉鎖しましたって」書いといてあげるとか皮肉言われるし、私のつたないブログを楽しみにしている人がもしありましたら心よりお詫び申し上げますm(_ _;)m ゴメン!!

そこで、ささやかなお詫びにというか、五月と言えば緑、ということで緑つながりで今回掲載した写真は、先日私がYahoo!のオークションで見つけてつい買ってしまった親指ほどの小さな真鍮製のグリーン・ターラーの御像(※下に敷いてあるのは同じくグリーン・ターラーをモチーフにしたタンカと呼ばれる古い仏画)を御紹介させていただきます。

グリーン・ターラーと言っても知らない人も多いと思いますが…、というか私も最近その存在を知ったばかりなのであまり偉そうなことは言えないのだけれど、グリーン・ターラーはその体の色から緑多羅菩薩、或いは救度仏母(緑度母)と呼ばれ、金剛界曼荼羅十六大菩薩のうち阿弥陀如来四親近の代表であり、未敷蓮華を手に持ち、大悲の徳を司るという仏である。

多羅菩薩は日本の仏教ではあまり一般的な尊格ではないが、「ターラー」とは「輪廻の海を渡るのを助ける女性」を意味し、欲界(※天界・人界・畜生界・餓鬼界・修羅界・地獄界の六つの世界、六道とも)で煩悩に苦しむ衆生を見て涙した、観自在菩薩(聖観音)の左の瞳より生まれたとされる、十六歳の少女の姿をした美しい女神で、この女尊の法を修すれば、災いを逃れ、罪業を消滅し、財宝を得て、長寿になると信じられ、同じく観自在菩薩の右目より生まれたホワイト・ターラーと共に、インド、チベット、ネパール、モンゴルなどでは現世利益を司る仏として熱狂的信仰を集めているんだとか。

オークション画面ではただ「小さな仏像」とあったのみで、札を入れたのは私だけ。作られた国や来歴、骨董的価値等はほとんど不明の上、競争無しとはいえ、よくよく考えてみれば、あちらの蚤の市の露店でたくさん売っていそうな、造形もそれほどよろしくない外国の豆仏を千円で落札したのは失敗だったなと後々まで後悔しているのだが、それでも仏様であるし、私の所に来たのも何かの御縁と、現在、この小さな御像はネットをやる上での「御守り」として、我が家のパソコンの脇にガラクタと一緒に放置‥、もとい見守るように安置させてもらっている。

尚、新しくなったプロフィールに掲載している写真も同じ仏像で、手頃な写真が無かったので、オークションに掲載されていた写真をちょっと加工して使わせてもらったが、自分の汚い顔の代わりにありがたい仏様を、という以外意味はありません。…念のため。

さて、この菩薩というよりは女神といった方が正しいグリーン・ターラーは、やはり最近ヤフオクで手に入れた、十七世紀から十八世紀にかけて作られたという触れ込みの、古いチベット(もしかしたらブータン)の小型のタンカ(仏画)にも描かれており、その内の一枚。大枚八千円叩いて落札したやや大きめのタンカ(※上記写真のタンカとは別物)に描かれたグリーン・ターラーの、ベテランの職人の手によると思われる繊細な筆致による目鼻立ちのすっきり整った御尊顔、乳首も露わなやや小さめの乳房、腰のキュッと括れたしなやかな体躯、純金で描かれたアクセサリーを身にまとい、妖艶とも言える微笑みを湛えた色香にすっかり魅入られた私は、この緑色のエキゾチックな女神様の虜になってしまった。

とは言え、一人部屋で件のタンカをこっそり取り出してニヤニヤと眺めているだけじゃ変態みたい(というかそのもの)であるし、せっかく手に入れたのだから、そのすべてを知りたいと思うのは人情、というより私の趣味なのだが、調べれば調べるほどこの仏はどうもとても奥が深い。なんだか面白そうなので、今後解り次第、ブログのネタにさせていただきたいと思っていますが、仮にも仏様なんだから、今後私が何言ってもターラーさま、腰をくねらせてもヘソは曲げないで下さいね。

                        ☆        ★        ☆

ということで、このネタに関しては今後も続けていくつもりなのですが、そういえば先月のYahoo!オークション奮闘記「蛇と恵比寿・大黒と運慶と…」の続きがまだだったので更新はまだ先になりそう。しばらく放置しててもブログ閉鎖する今のところ気はないので皆様気長〜に待って下さいね〜、というか今回無理やりブログ更新したので、内容がすごくグダグダになってしまった<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!。つづく。

開く コメント(15)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事