日々是不思議也

過去の記事に、新たに撮影地名や当時の未公開写真等を一部追加致しました。震災で失われた貴重な風景もありますので、ご覧ください。

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桜咲く

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三陸沿岸でも今日のポカポカ陽気で桜が一斉に咲き始めました。

先ほど三陸駅に伯母を迎えに行ったら、私の手の届くほどの枝先に咲いたばかりの桜の花が、まだ冷たい海風に吹かれてゆらゆらと揺れていたので、ケータイのカメラで思わずパチリ。

まだ場所によっては四分咲き程度ですが、この調子で行けば金曜日あたり満開だろうな。

前回の続き「蛇と恵比寿・大黒と運慶と(その2)」は、もう少しお待ちください。

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三陸海岸もタンポポや梅、水仙といった春の花々が咲き誇り、桜の蕾みもほころび始め、週末までには満開となるといったところであるが、二月のバレンタインデーにブログ更新をしてからちょうど二ヶ月。ブログのネタを仕入れにYahoo!のオークションなるものに手を出したら、そっちのほうに集中しすぎてブログが書けなくなってしまった…。
うーん、本末転倒?。

これまでネットオークションに手を出さなかったのはそれなりに理由があって、ひとつは余裕がなかったこと(※金銭的な面も含め、今も余裕がそれほどないのだが)、もうひとつが、…これが重要であるのだが、オークションの入札のやり方が解らなかったことが挙げられる(笑)。
このオークションの入札の仕方を今更ながら今年一月にやっと理解したので、衝動的に挑戦してみることにしたのが今回のお話のネタとなる。

オークションと言えば、東京国立博物館の鑑定により、奈良東大寺南大門の仁王像を作ったことでも知られる鎌倉時代の仏師・運慶の作である可能性が極めて高いと認定されていた、個人蔵の「木造大日如来坐像」が、先月十八日、ニューヨークのクリスティーズでオークションに掛けられ、海外で落札された日本の美術品としては、予想金額を大幅に上回る、過去最高の百二十八万ドル(約十二億五千万円)で某宗教団体の依頼を受けた三越が落札し、国宝級の仏像の海外流失の危機がひとまず回避されたとのニュースが報じられた。

さすがに大仏師・運慶の真作を落札できるほどの目利きと持ち合わせは逆立ちしても出てこないが、私の好きな仏教美術だけでもざっと見渡してみると、由緒正しき寺のご本尊といっても不思議ではない、腕の立つ仏師の手によるものであろう玉眼の如意輪観音や不動明王。稚拙な彫りだが何ともいえぬ独特の味わいあるお顔の民衆仏。囲炉裏や竈の煙で燻され続け、煤けて黒くなった恵比寿・大黒の像。虫食いだらけで辛うじて人や獣の形をしているような古い木彫像。長い年月の間に美しい極彩色も剥げ落ち、手足や顔も失われた仏像や神像、またはその御顔や腕や蓮華座、光背等の残欠。金色に彩られた舎利塔。古い時代の寺院の跡から発掘された軒瓦の破片や金具。神社や寺などに奉納されていた小絵馬や大絵馬。肉筆の仏画や寺社で授与された御影を写した印仏の掛け軸とその版木。意外と造詣のしっかりした食頑の仏像。路傍の苔むした石仏や五輪塔。珍しいところでは稲荷神社一式(土地除き・解体、運送料は別料金)というものまで、前々から本で眺めるだけの欲しかった品々が、百円から数千円、一、二万円程度の初心者にも求めやすい手頃な値段のものから十数万から百万単位の庶民には目玉の飛び出そうなものまで、まさに玉石混交といったところ。

さぁ、どれにしたらよいか、いざ自分が入札するとなると目移りしてしまうが、中でも目を引いたのは、煤にまみれた一対の恵比寿様と大黒様の木像。時代は江戸から明治頃のものであろうか、本職の仏師が彫ったものではない稚拙な彫り。形も平面的で台座の部分は虫に喰われて穴だらけ、頬や衣服に残った朱色の彩色も長く煙で燻され続け、黒い煤の塊がへばり付いてひび割れている。私の家族に見せれば、こんな汚いモノだれが買うんだと言われるのが落ちだが、私が買う。私が欲しかったのはこういう時代がかった素朴な木彫の仏像や神像なのであって、純金や純銀、宝石で作られたものがたとえ同じ値段で売られていたとしても…、いや、同じ値段でお手頃価格ならちょっと迷うかも知れない‥。ともかく、手の届く値段なら私が買う!これは私の長年の夢でもある。

さて、肝心の例の恵比寿大黒のお値段は‥、と見れば開始価格が三万七千円?!!…高い。決して出せない値段ではないが、高い。他に欲しいものも一杯あるし、アマゾンに予約していたDVD-BOXの発売日が近付いている。初心者がいきなりこの金額で骨董品に手を出すのはやはり気が引けるし、手痛い出費になるのは確実。それに信用取引なので、お金を払ってもちゃんと届くのか心配が募る。しかもものがものだけに粗末に扱ったりしたら可哀想だし、後が怖い。

ということで、手始めにまずは入門編として、骨董品というよりは中古品と言った方が正しい蛇の描かれた五百円からの小絵馬の入札におそるおそる挑戦してみることに・・。
この絵馬、赤い垂れ幕の下にトグロを巻いた水色の蛇の図が描かれているのだが、顔も雰囲気もどことなくマンガチックで、先が二股に分かれた蛇の舌には蛍光ピンクの塗料が用いられている。しかも材質はベニヤの合板、経年による変色や雨などによるシミも見受けられるが、私見であるがどうみてもここ二十年前後に作られたもののよう。初値の五百円は妥当な金額だと言えるだろう。

蛇の図の絵馬は全国的にみられるが、蛇は沼地や湿地を好むことから田を守る水神。或いは七福神にも数えられる弁財天(べんざいてん)の使いが蛇とされたことから、水に係わる人々の信仰を集め、芸事上達、商売繁盛や祈雨、病気平癒等を祈願して奉納されるのだとか。
また、蛇は脱皮を繰り返して成長することから、古くから再生のシンボルとして崇敬され、いくら使っても繰り返しお金が貯まるようにという連想から、蛇の抜け殻や皮を財布に入れておくと金運、勝負運が付くといったジンクスも生まれた。

私がこの蛇の絵馬に入札した際、ここまで解っていて入札したかどうかは記憶が曖昧だが、初入札の品としては縁起が良い。

ちなみにオークションをやる上では初心者であるので、自分なりのガイドラインを設定している。
あまりバラしてしまうと、のちのちオークションで競り合いとなった際、私の手の内が解ってしまうので詳しくは記せないが、一応社会人とはいえ私が自由に出来る金額は限られているので、まずはじっくりと品定めをしてから欲しいものを見つけたら、財布と相談しながら自分の目利きで、自己責任でなんとか出せるという上限金額を設定。そして初めは、これぐらいなら払っても損はないだろうという低めの値段で入札する。これは一種の保険で、後々後悔したり、不必要に高い金額で落札することを防ぐ措置ではあるのだが、このやり方だと本命の品の落札にあと一歩の所で及ばなかったり、「二兎追うもの一兎も得ず」や「安物買いの銭失い」となってしまうことを後々身に染みて実感することになるのだが、それはまた別の話になる。


             「入札を受け付けました。あなたが現在の「最高額入札者」です。」

この黄色かがった入札画面が出てくるまで数回、「パスワードが間違っています。」の表示画面が出現、表面上は落ち着いているつもりでも、やはり心のどこかの焦りが出ているのだろう。

私の最高入札額は百円玉二枚上乗せした七百円。もう後戻りは出来ない、そう思った瞬間、私みたいな人間が入ってはいけない領域に踏み込んでしまったのではないかという不安感と、たとえ数百円の値段であっても、必要性のないもの無駄なものに大切なお金を使ってしまったという罪悪感が同時に押し寄せてきた。

と、我ながらここまで書いてみて、この程度のことでプレッシャーを感じるようではまだまだキンタ…、もとい肝が小さいなとも思うが、それがブレーキとなって、無理な競り合いや分不相応なものからは手を引くようにしているのだから、私にはこのぐらいが丁度いいのかも知れない。

蛇の絵馬のオークションの終了時刻は午前零時二十七分。残り三時間を切っても入札者は私の他に表れないが、たとえ五百円の品と分かっていても胸がドキドキする。

無事に落札できるかどうかは気になるが、ここはさっさと寝てしまうことにした。その方が余計なことを考えなくて済むし、なにより漁師の朝は早いのだ。それに目標は味のある古い恵比寿大黒。これはまだ序章に過ぎない。眠りについた私の瞼の裏で、あの煤けた恵比寿様と大黒様が確かに微笑んでいた。               

(長くなるのでその2へつづく‥)

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幸い三陸地方では大雪には見舞われなかったが、天気予報によれば、南下したこの冬一番の寒気が北日本を覆っているとかで、外は粉雪交じりの風が強く吹いていて沖に出れない。他の仕事をするにも寒すぎるので、こんな日はパソコンに向かって、更新が滞っているブログの記事を書けばいいんだろうが、そういえば今日は年に一度の「聖バレンタインディー」(今頃、新着記事はハートマークのチョコの話題でもちきりなんだろうけど…)。だからという訳じゃないが、今回はいつもと趣向を変えてみようということで、三陸の寒い冬の甘い飲み物のお話でもしようかな。

この寒い季節の風物詩として、温州ミカンなどとともに年末から酒店や食料品店の店頭に、板粕と呼ばれる、地元の酒造メーカーである陸前高田市の「酔仙酒造」が販売する酒粕(さけかす) 並んでいるのが目に付くようになる。

酒粕は日本酒のもろみを圧搾して清酒を分離した時に残る固形物のことで、単に粕ともいい、きれいな板状のものを板粕、形の崩れたものをバラ粕や粉粕という。
酒粕を使った料理といえば「三平汁」が有名だが、三陸地方では細く切った大根と銀鮭や真鱈の切り身を煮込み、大根が半透明になったら酒粕を加えて、塩で味を調える「粕汁」が主流で、我が家の冬の献立の定番であったが、子供の頃はこの粕汁がどうも苦手で、代わりに板粕を細かく千切って湯に溶かし、砂糖を加えた所謂「甘酒」を三陸地方では「どべっこ」と呼び、学校が休みであった土、日のお昼によく出された、ほのかな日本酒の香りが漂う甘く熱い「どべっこ」は、腹溜まりも良く、大好きなおやつだった。

酒粕を湯で溶いた「粕湯酒」は、古く『万葉集』にも登場するらしいが、酒類をあまり嗜まない私にとって、今でも「どべっこ」は早朝、海仕事から帰ってきて、寒さで冷え切った体を芯から温める冬場には無くてはならない飲み物で、アツアツの「どべっこ」をフーフー吹きながら啜ると「ア゛ーー、生き返るなー」とホッとする。

もちろん、日本酒の製造過程で出来る副産物の酒粕は、様々な酒造メーカーが販売しており、それぞれ微妙に味が異なるが、私の場合やはり長く慣れ親しんだ地元の「酔仙」の酒粕で作ったものでないと、ちょっと物足りなく感じてしまう。注意しなければいけないのは、酒粕に若干のアルコール分が含まれるため、運転前に飲用すると酒気帯び検査に引っ掛かってしまう場合があるのでくれぐれもご用心を。

この「どべっこ」という名前、かつて酒税法の施行以前に、日本各地の農家などで作られていた「どぶろく(濁酒)」が訛ったものと考えられ、平成十五年(2003)に、岩手県で初めて「構造改革特別区域」、通称「どぶろく特区」に指定された遠野市では「どべっこ祭り」と称して、観光客に「どぶろく」の方の「どべっこ」が振る舞われている。

本来の「甘酒」は製法が異なり、古くは「一夜酒(ひとよざけ)」と呼ばれ、煮た米に米麹と湯を加えて一晩温めておくと、麹菌の働きにより発酵した澱粉(デンプン)が糖化して甘い飲み物になる。
甘酒は寒い冬の飲み物と考えられているが、俳句では「甘酒」は現在も夏の季語で、冷たく冷やしたものを暑気払いに飲む習慣があり、江戸時代後期に書かれた『守貞漫稿』という書物には「江戸京阪(現在の東京、京都、大阪)では夏になると甘酒売りが市中に出て来る」と絵入りで記され、「甘いっ、甘いっ」と天秤棒を担いで売りに来る甘酒売りは、夏の風物詩だったそうだ。

この本格製法の甘酒は、内陸地方では今でもよく作られているらしいが、私が小学校六年の時、姉妹都市を結んでいた旧三陸町と山形県最上郡最上町(もがみまち)の小学生同士の交流会で、冬休み期間中に山形に行った際、テーブルに付いた私たちに一番最初に振る舞われたのが、湯呑茶碗に注がれた本格製法のほうの「甘酒」だった。

三陸町から数台のバスに班ごとに分乗し、朝から夕方まで、途中休憩を挟みながらも片道六時間以上かけて最上まで行ったので、宿泊会場となる最上町立中央公民館に着いたころには、皆すっかり疲れ果てて、朝の元気はどこかに行ってしまっていたが、最上町内の小学校のPTAのお母さん方が作ってくれたらしい、甘い香りのする温かな甘酒の登場に、町長などの堅苦しい歓迎の挨拶はどうでもよく、「どべっこだ、どべっこだ。早く飲みたい」と会場のあちこちで子供達の静かな歓声が聞こえてきた。

それがハタと止まり、落胆に近い微妙な沈黙が会場を包み込むまでそうは時間がかからなかったと記憶する。

甘いのである。甘酒なんだから甘いのは当然なのだが、甘味を足すための砂糖の入れすぎもあったのだろうか。件の甘酒は濃いシロップを飲んでいるようで、それに加えてどろりとした米の食感と独特の癖は、私たちが普段飲んでいた酒粕を用いる簡易製法の「どべっこ」とは似て非なるものだったため、みな一口飲んでお互い顔を見合せてしまった。

「まだまだお代わりが沢山あるので、お代りが欲しい人は来てくださいねー」
そんな声が会場に空しく響いたが、皆、今注がれてある一杯の甘酒を胃に流し込むのも精一杯なのに二杯目なんて考えられないという感じで、それを察して甘酒を注ぐ係りのお母さん方も顔を見合わせて苦笑している。
この雰囲気じゃ誰もお代わりなんてしないだろうと思っていたら、別の班のテーブルに座っていた仲の良い友達のS君がやおら立ちあがって、甘酒のお代りを貰いに向かったので会場のあちこちから子供たちのどよめきが上がった。

S君が本当に美味しいと思って二杯目のお代りをしたのかは疑問だったが、S君の父方の実家は確か宮城県の山間部のほうだったはずなので、もしかしたら飲み慣れていたのかも知れない。
すると、私の心の中で「まだいっぱい残っていそうだし、S君がお代りするなら僕もお代わりしようかな…」という妙な使命感のようなものが生まれてきて、湯呑に残っていた甘酒を飲みほし、S君に続いて私も席を立ってお代りに向かったので会場からはまたどよめきが上がった。
引率の先生もお代わりしたような気がするが、結局子供たちの中で甘酒をお代わりしたのはS君と私の二人だけ。

折角、遠くからやって来る私たちのために甘酒を拵えてくれた最上町のお母さん方には今でも申し訳ない気持ちで一杯であるが、お代わりを貰いに行くと、案の定、鍋の中にはまだ三分の一ぐらいの甘酒が残っていて、私の湯呑に再び並々と注がれた少し温くなった甘〜〜い甘酒を、テーブルに戻って正直、少し後悔しながらグイと胃に流し込み「あっめ〜〜。。。」を連発した。

昭和五十九年(1984)の姉妹都市締結以来、平成の大合併で今は大船渡市となった旧三陸町と最上町との夏と冬との相互児童交流事業が二十回目の節目を迎えた今年一月。最上町で最後となる児童交流会と相互児童交流事業の修了式典が大船渡市で執り行われたとのニュースを新聞で見つけた。

あれから二十年近く経った今日でも「どべっこ」を見るたびに、最上で飲んだあの甘酒は鮮明によみがえる甘すぎた思い出となって残っているが、ふとときどき、あの甘酒をまた飲んでみたいなとも思うのである…。

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小正月に生る花っこ

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国道沿いのコンビニに今日のお昼を買いに行ったら、隣の駐在所の入り口付近に、子供たちが作ったらしい小正月のミズキダンゴが冷たい風に揺れながら、色取り取りの鮮やかな華を咲かせているのが目に付いた。

三陸地方では、この小正月のだんご飾りを「だんごならせ」(大船渡市三陸町吉浜地区)、あるいは「さく作り」(三陸町越喜来浦浜・泊地区など)と称し、一月十四日の日にだんごをミズキの枝に刺して、台所のウシモチ柱、または表座敷の鴨居の長押などに飾りつけられる。

私の家ではいつのころからか、ミズキではなく青い葉のついた椿の木の枝に紅白のだんごを刺し、ミカンやお菓子などを吊るして台所の長押に飾るのが慣例だったが、不幸事が重なったのと、この小正月のだんごを毎年作っていた祖母が老齢なこともあり、最近はほとんど飾らずじまいとなっている。

平成十二年(2000)の「国民の祝日に関する法律」の改正(改悪という声も少なくない)によるハッピーマンデー制度の施行により、一月十五日が旗日(※はたび・祝日の意。戦前の旧祝祭日に各家庭で国旗を掲げることが義務づられていたことからの俗称)、即ち「成人の日」では無くなってからしばらく経つ。現在は一月第二月曜日に定められている「成人の日」が、旧法で一月十五日と定められたのはこの日が小正月であり、かつては元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれている。

私が高校生の頃ぐらいまでは、県内のほとんどの学校が、十五日の「成人の日」の翌十六日前後が冬休みの最終日で、紅白のだんごが家の台所に飾られると「もう冬休みも終わりだな…、ああっ宿題ちっとも終わってない!!!」などと大慌てしていた。

一年の初めである一月一日(元旦)を「大正月(おおしょうがつ)」というのに対して、正月の望の日、つまり満月の旧暦一月十五日を「小正月(こしょうがつ)」と称する。
月の満ち欠けを日付の基準とした太陰暦では、一年の最初の満月の日、つまり一月十五日が正月であった。しかし中国から新たな暦方が伝来すると、新月の一月朔日を一年の初日とした。そこから元旦を大正月。十五日を小正月と呼ぶようになったのである。
新暦に変わった現在でも、一月十五日前後には正月の松飾りや古くなった注連縄、御神札などを燃やす「どんと焼き(左義長)」や作物を荒らす害鳥を追い払い、その年の五穀豊穣を祈る「鳥追い」など、各地で様々な民俗行事が執り行われる。

『三陸町史・民俗一般編』によれば、三陸地方では一月十四日から二十日までを小正月といい、「おなご(女)の正月」、また「船の正月」「お船玉さまの年越し」と言って、十五日に船主が餅やお神酒を船に持って行って「お船玉さま」にあげ、大漁旗も掲げられる。その他「道具の年越し」と称し、釣り道具(漁師)、大工道具(大工・左官)等と、餅・お神酒を神棚の前に供えて拝む。生産用具を休ませ、これに感謝し、新しい年への備えとする。「牛馬の年取り」の日でもある。大正月に続いて小正月にも餅が搗かれるが、大正月より小正月の方が盛大で搗く餅の種類も多く、ごぼう餅をはじめ、アワ・キビ・米・小豆・豆等を入れた餅を搗く。

残念ながら私もまだ直接見たことがないのだが、越喜来の隣の地区である大船渡市三陸町吉浜では小正月の十五日の夜、蓑を着て血の付いたキリハ(包丁)を持ち、鬼とも竜ともつかぬ恐ろしい面を被って家々を回り、カバネヤミ(気仙地方の方言で怠け者の意)を懲らしめるため、長い冬の間、炉端にうずくまってばかりいると出来るスネ(脛)のヒガタ(火斑)を引き剥ぐ「スネカ」と呼ばれる魔人が現れる。これは全国的にも有名な、秋田県男鹿半島の「ナマハゲ」などと同じもので、引き剥ぐことをこの地方の方言で「タクル」と言うことから「ヒガタタクリ」とも呼ばれるが、吉浜では「スネカ」と呼んでいる。「スネカ」は「脛かっちゃぎ」、あるいは「脛皮たくり」が略された語と考えられており、岩手県を代表する来訪神行事として、平成十六年(2004)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、三陸町越喜来崎浜地区でも「タラジガネ」と称する蓑笠を着た異形の者がやってきて、怠け者を懲らしめるという行事が行われる。

これに似た古い小正月の行事で「カシオドリ」、あるいは「カセドリ」と称し、地区の青年たちが蓑笠などを付けて扮装して各戸を訪れる。家人はこれに銭を与え、用意しておいた水をかけるが、溜めの水をかけたりすると、怒ってその家に「かぶり物」を置いていく。置かれた家は良くないことが起こるとして忌まれたというが、こちらは三陸地方ではすでに絶えてしまった行事である。

また、柿や梨木、桃木などの実のなる木に、一人が鉈を振り上げて、「なるが、なんねえが、なんねァばどんがり切っ付けァすぞ(※きんなぐるそ、とも。今年も実が沢山生らなければ切り倒してしまうぞという意味)」と樹皮に傷をつけて威嚇すると、他の一人が「なり申す、なり申す」と答える。新年の豊作を成木に誓わせるという「成木責め(なりきぜめ)」。

地区の子供たちが釣り竿や包丁、セァバン(俎板)などを持って、網元やスルメ船(※イカ釣り船のこと。三陸沿岸ではスルメイカをスルメ、マイカのことをマスルメなどと呼ぶのが一般的である)のある家を訪れ、座敷などで「スルメ釣り」や釣ったスルメを捌く仕草を模擬的に行って、その年の豊漁を祈願し、駄賃として金銭や餅を貰う「スルメ割り」。

その他、胡桃の殻や炭火、餅の焼け具合などでその年の天候や吉凶を占う「世の中だめし(世中見)」。子供たちが蓑を着て、ブリキ罐などを叩きながら「もののものの、鳥カッシャ(頭)割って塩つけて、からげぁで、鬼ヶ島に流した、しゃおしゃお(越喜来ほか)」と唱えて歩く「鳥追い」や「ヤラグロ」。権現様が家々を回って踊り悪霊を払う「悪魔払い(あくまんばらい)」。干した魚を庭先に吊るす「掛け魚(浜がけ)」などなど、この夜は早く寝ると「早くトショル(年老いる)」といって、子供たちも夜遅くまで起きて様々な行事が執り行われていたことが記されている。

これらはかつては近隣一帯で行われていた行事らしいが、国の重要無形民俗文化財に指定された「吉浜のスネカ」を除き、過疎化の進行やそれに伴う少子高齢化、生活環境の変遷などによりほとんどの行事が衰退、或いは途絶えてしまったりしており、私もこれら小正月の行事は祖父母の昔語りや本を読んで知っているのみである。それでも「ミズキダンゴ」や崎浜の「タラジガネ」など、地域の子供たちや有志の手によって復活や保存継承が試みられているものもある。

今年は喪中なので正月は出来なかったが、代わりに小正月に神棚を掃除して、餅を搗き新しく歳神を迎え入れる事は許されるらしい。
先日、小正月に合わせ市内の家電量販店で、新たに蒸す・搗く・こねるの三役をこなす自働餅つき機を購入したので、以前に比べれば餅搗きは楽になったが、結局今年も我が家のだんご飾りは作らずじまい。
しかも、間の悪いことに、私の歯の治療の予約時刻が遅かったため、今年は桟橋のオエベスサマや船には父親一人でお参りに…。風か強かったので大漁旗を揚げている船もあまり無く、十五日の小正月の行事もこうやって廃れて行くんだろうなと実感しているが、せめて我が家でも小正月のだんご飾りぐらいは孫子の代まで伝えていけたらなと思う。


え・・、それよりまずは好い人見つけて結婚することが先決だって?うん、それはもっともな意見です。じゃ、神様、仏様、どうか今年こそは、運命の人が現れますように…、なんか最近はこればっか願っているような気がする…。

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ブログを開設してそろそろ一年。マイペースでも、せめて月一回以上は更新しようと思いつつ、本業の忙しさを理由に、先月は挨拶程度の更新しかできなかったので今年こそは、…と思ってはいるのだが。

どうなるかはさておき、喪中の人は神社の鳥居をくぐってはいけないとか何とかで、今年の初詣は出来ないらしい。

「神社に行ったらブログ用に撮りたい写真がいっぱいあったのになー、でも喪中だし、来年までお預けだなー」と年明けからいろんな意味でもんもんしていたが、せめて今頃は華やかにおめかししているであろう「想いびと(笑)」にアタックすべく、正月も三が日を過ぎ、暮れからの寒気が緩んで暖かな日差しが照りつけた今日。昨年中にやり残していた午前中の一仕事を終わらせ、お昼を食べたあと、以前から正月になったら撮ろうと思っていた近場の石塔や祠、お地蔵さんなどを撮影するためデジカメ片手に車を走らせた。

白く苔むした古碑群。屋根に囲われているにもかかわらず目鼻のはっきりしない六地蔵。正月を迎え、クレヨンで新たにカラフルに彩色された恵比寿様。石塔の脇に置かれた、折れてバラバラになったペンキの剥げた古い鳥居。真新しい注連飾りや神前に幾つも供えられたオヘソク(御幣)や御賽銭。
「さて、あと一ヶ所撮ってから帰っぺな」と考えながら車を走らせていると、道路を隔てた田圃の向こうの大きな杉の木の根元に、粗末な作りの白い鳥居が見える。

「多分あの辺りに祠でもあるんだべ。せっかくだからあれも撮って帰っかな…」と、車を道路の脇に寄せ遠くから二、三枚。「うーん、あんまり思ったような写真が撮れながったな」と呟きながら車を発進させ、横目でさっきの鳥居の方をちらりと見ると、鳥居の手前に突き出している一本の笹竹が上下に揺れ、私に向かっておいでおいでをしているように見える。

「周りに人影は見えねえし、揺れていたのはあの一本だけ…、もしかして良かったらこっちに来なさいって誘われてる?…なんてね(笑)」

すると目の前に、タイミングよくあの鳥居の傍に向かって続くらしい脇道が現れた。
路は車一台が通れるほどの幅しかなく、鳥居の周りに民家も人影も見えないが、きちんとアスファルトで舗装されている。「対向車が来る様子も無さそうだし、時間もあるし、せっかく誘われたんだから行ってみっかな」と右にハンドルを切ってみた。

辺りは静かで人の気配も他の車も来る様子が無い。鳥居の傍のすれ違い用のスペースに車を寄せると鳥居の手前でこちらを見つめている一匹の赤茶色の猫と目が合った。カメラを構えようとしたら、猫はそそくさと笹藪の中へ‥。

「さっき竹が揺れたのはこいつ(猫)のせいかな…」

近くで見た鳥居は思ったよりも細い。
鳥居の奥からは小川のせせらぎが聞こえ、覗き込むと水神らしい木で作られた小さな祠がこちらを向いていた。

道幅が狭く車の転回が出来そうにないので、田圃の中の道をしばらく進むと見知った景色の道に出た。結局ぐるりと一周して元の道に戻って来たらしい。

もしかしたら、なにか不思議なことが待っているんじゃないかと、ちょっとだけドキドキして行ったが別に変わったこともなかった。まぁ早々そんなことある訳がないのだが、でも、私のところにもちょっと寄っていかない?なんて呼ばれたんじゃないかな、そうと思えた時なんとなく口元がほころんできた。

車を自分の家の庭に止めエンジンを切ると、それまで辺りを照らしていたオレンジ色の陽の光が消えたので、ふいと空を見上げれば、銀鼠色の雪雲が山間に傾きかけた太陽を覆い隠さんとしている。

「今夜かだは雪だと天気予報が言ってだったっけな…、さ、お日さまのあるうちに仕事すっか」

またいつもと変わらない日常が始まる。平凡な、なんてことのない普通の一日のたわいのない話。

ふと気づくと服の周りにアメリカせんだん草の実がいっぱい付いて来ていた。

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