日々是不思議也

過去の記事に、新たに撮影地名や当時の未公開写真等を一部追加致しました。震災で失われた貴重な風景もありますので、ご覧ください。

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喪中のため新年のご挨拶は失礼させいてただきます。これまでご訪問並びにコメントいただいた皆様に感謝いたしますと共に、良い年が訪れますようお祈り申し上げます。

平成十九年十二月三十一日 管理人・さっと

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先日行われた叔父の家の建て前(上棟式)の話をUpしようかと思ったが、ちょっと偶然にしては、どうにも割り切ってはいけないような出来事があったので、今回は簡単(?)に事実のみを記すことにする。

その日は風がちょっと強かったものの、前日の雪模様が嘘のように晴れ渡って小春日和に。
妹のケータイに、昨晩発送のメールがあったという代引きの荷物が午前中に二つ届いたので、妹が料金を払っておいたらしいが、二品とも中身は私が妹の名前を使って予約注文していたDVDだったので、夕方届いた三つめの荷物は私が払う事に。もっとも、妹宛ての荷物と一緒に私が一緒に注文した本も一冊入っているはずなので、細かい持ち合わせも無かった私が払うのは当然の成り行きだった。

「今夜ッ方も寒んむくなってきたねぇ…、昨日の雪は大変だったでしょ」などと玄関口で配送業者のおじさんと雑談を交わしながら、四千三百四十三円の料金を支払い、受け取りの印鑑を押して、コタツのスイッチを入れながらダンボール箱の中身を改めると、妹の本やDVDなどと共に私が注文した本が姿を表した。

本の宣伝をしている訳ではないので、タイトル、著者名はあえて記さないが、仮にこの本を『N』と称する。
実はこの本は今年の七月に、一緒に刊行された姉妹品の本と共に一度書店で注文している。が、その時来たのは片方だけ、『N』の本は版元品切れ返本待ちということで、そのまま買いそびれていた。今回妹が本とDVDをネットで注文するというので、ふいと思い出したこの本を、送料節約のため一緒に頼んだのだが、二十四日以降の発送予定とあったので、私が以前に予約注文していたDVDとは重なることはないだろうと安心していたところ、今回のダブルブッキング。
まあ、お金を使うのはどうせ同じだし、それ自体は別にかまわなかったのだが…。

なんでもそうだが、面白いかどうか、結果は別として、欲しかった品が待たされ続けてやっと目の前にある瞬間というのはちょっとワクワクする。

この『N』という本は、所謂実話怪談物で、副題に「怪異実聞録」と銘打っている。
内容は、筆者が体験者本人により二日間にわたって語られた、呪いや祟りにまつわる怪異を書きまとめたとされるもので、さっそく読み進めるうちに、さっきまでのワクワク感はどこへやら。得体の知れない怖さというより、人間の持っている醜くどす黒い闇の部分や弱さが見えてきて、私には珍しく吐き気すら覚え、まだ読み足りない気がしたものの、眠気もあって、結局本の半分に当たる一日目の語りの部分を読み終えてダウンする‥。

何でもかんでもヒーローとヒロインのキスシーンで締めくくるような、ハリウッド系の映画でありがちなラストはどうかとも思うが、救いのない話というのはちょっと苦手である。
話がずれるが、そういえば、私がまだ幼稚園ぐらいの頃、たまによその家の玄関や居間の梁の辺りなどに魔除けとして般若のお面が飾ってあることがあり、それが子供心に怖くて仕方がなく家の中にも入るのを嫌がった記憶がある。
岩手県の郷土芸能であるケンバイ(剣舞)で用いられる鬼の面も同じように怖がったが、こちらはすぐに慣れてしまったものの、般若のお面だけは後々まで薄気味悪く感じられて、余りいい気がしなかった。

般若(はんにゃ)とは、元々サンスクリット語で仏の悟りを表す「智慧(ちえ)」を意味する仏教用語であるが、能楽で用いられる、女の嫉妬や怨霊を表す鬼女の面に、なぜその名が用いられるようになったのかはよく解っていない。
一説に般若坊という名の僧侶が作ったからだとも、『源氏物語』で光源氏の正室である葵上が、六条御息所の怨霊(生霊)に取り憑かれた際、「般若経」を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したことから、般若が面の名になったとも言われる。

鬼瓦などに用いられる鬼の厳めしく、それでいてどこかユーモラスな面構えとは違い、般若の面は嫉妬に狂う女の妄執を写し取っている。
同じ鬼の顔の魔除けでも、母性とは全く正反対の、眼をむき、振り乱した髪からは二本の角を生やし、大きく開いた口から鋭い牙をむき出した怨みの姿は、意味は解からずとも幼い子供心に恐怖心を抱かせたのだろう。

次の日は寝ても覚めても、仕事をしていても『N』の本の内容や結末が気になって仕方がない。

二日目の内容は祟りが本格化し、隠された因縁なども明らかになって、上田秋成の『雨月物語』の一篇「吉備津の釜」を彷彿とさせる。この辺りを読む頃には、前半の悪役である人物の方にも同情が行ってしまい、物語とはいえ何とかならないものかと思ってしまう。このブログを読んで「あっ!」と思う人もいるかもしれないので、物語の結末は記さないで置く。しかし、事件に至るすべての出来事が、最初(過去)から眼に見えぬ何かによって仕組まれていたのではないか。因果、そう思えば思うほどなんともやりきれない気持ちになった。

なんだかんだいいながら、二日で一気に読み終えてしまったので、恐怖読み物としての筆者の力量に脱帽する。多少脚色はあるのかも知れないが、どこを探してみても、「この作品はフィクションです。実在の地名団体等とは一切関係ありません」などの文句が見当たらないので、ほんとに実話なのかも知れない。

今回このブログを書くにあたって、この本の書評をいくつか検索してみたが、あまりにも出来すぎの感があるのでフィクションであろうという声も少なくはない。
ところが、この話には私にとって、恐らくは筆者も予想しないであろうオマケがついてきた。

物語の後半を読みふけるうち、何度も出てくる日付に目が行った。
あわてて隣に居た妹に、
「あっ!、おいおいこれ届いだんは…、昨日は何日だったっけ?」
『N』の本が届いたのが…、つまり私がこの本でいうところの「一日目」の件を読んだのが、平成十九年十一月二十三日だったことに、その時初めて気がついた。

それはこの話が、体験者から筆者に語られたとする日からちょうど一年目。十一月二十三日は何度も、作中に繰り返し、繰り返し記される祟りの発端となったS子の命日である…。

それで改めてゾッとした。

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まだ十一月の二十日を過ぎたばかりだというのに、今日は温暖な気候であるはずの三陸の平野部でも朝から雪模様。
天気予報によれば、気温も十一月十の字が抜けて、一月下旬の真冬並の寒さとか。
今年のたわわに実った熟れた赤い柿の実の上にも雪がどんどん降り積もって、お昼頃には辺りはすっかり真っ白な雪景色に。

季節外れの大雪となった内陸部と違い、雪掻きの必要も無く、明日には暖かさが戻るらしいので、この雪もすぐに融けてしまうんでしょうが、それにしてもまだ車のタイヤの交換もしていないのに十一月の積雪とは…。

明日は午前一時半に起きてホタテ出荷の予定ですが、やっぱり寒いんだろな〜ぁ。

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相変わらずブログの更新を怠っているうちに十月も末。付いてみれば田圃の稲の刈り入れも終わり、山の木々も赤や黄色に色づいてまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年もあと二ヶ月余り、朝晩とだいぶ冷え込んできたので風邪などひかぬよう気ィ付けらっせんよ。

読書には丁度いいこの季節、本屋で旅雑誌なんかを立ち読みしていると、紅葉の写真などとともに、私の大好きな各地の見知らぬ野仏の姿が写っているのを目にする事が多くなるので、つい顔がほころぶ。以前、ある写真専門誌を見ていたら、南九州で信仰される「田ノ神サァ」の石仏写真を特集した記事が載っていたので野仏オタクの私としては即買いしたが、巻頭特集の金髪女性のヘアヌード写真が目的だったのでは決して無い!(ウソ)。いや‥、それはともかく、野仏が雑誌の巻頭特集を飾るぐらいの記事の本なら即行ゲットだが、本の中でも僅か数ページにも満たない事が殆どの、その野仏の写真や小さな記事に妙なご縁を感じて、迷いながらも財布の中身を数えながら、ついつい安くもない本をレジに持って行ってしまうのだ。

さて、野の仏と言えば誰もが真っ先に思い描くのが、石で作られた仏像の代表格ともいえる「お地蔵さん」である。お地蔵さんと言えば、墓地の入り口や集落の境などに置かれ、右手に錫杖左手に宝珠や赤ん坊などを抱え、赤い頭巾や涎掛けをした姿の子供を守る仏さまといったイメージが定着しているが、本来はどんな働きをする仏なのか、私も詳しく説明出来る訳ではないのでちょっと調べてみることに。

釈迦入滅に際し、その死後五十六億七千万年ののちに弥勒菩薩(みろくぼさつ)が仏となってこの世に出現するまでの長い無仏世界にあって、六道(※ろくどう。六界ともいい、衆生がこの世でなした善悪の行為により、次の世に赴き生まれる六種類の世界である、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の六道を指す)の輪廻に苦しむ衆生の救済を委ねられたのが地蔵菩薩(じぞうぼさつ)である。

地蔵は日蔵・月蔵・天蔵とともに星宿の仏神であり、古くバラモン時代から崇められてきた。
地蔵の名はサンスクリット語の「クシティ・ガルブハ」の意訳で、クシティとは大地、カルブハとは母胎を意味し、万物一切を包み育む大地の慈悲を表している。天を父親と考えれば、地は母親にあたる。大地を母とする信仰は古くからあり、母は子に大慈悲心を持っているのと同じように、地母神である地蔵も、大慈悲をもって衆生の苦しみを救ってくれると信じられた。

地蔵は菩薩であるから、本来は宝冠を戴き瓔珞などで身を飾る菩薩形をとるべきであるが、もっとも一般的なのは頭を丸め法依をまとった僧(比丘)の姿、声聞形で、中国で成立したものといわれる。これは厳めしい菩薩の姿では衆生が近づきにくいであろうという地蔵の大慈悲からであるといい、これを外現声門・内秘菩薩の大行願という。

中国を経て奈良時代に日本に伝わったとされる地蔵信仰は、平安中期以後、極楽浄土の信仰が盛んとなり、末法思想が起こるに連れて、地蔵は死者を裁くという地獄の閻魔大王の本地仏で常に六道を巡って衆生を救い、極楽へ行ける様に力を貸してくれると信ぜられて広く信仰された。近世になって民間信仰と結ばれて広まり、火防・延命・盗難除・病気平癒など庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として祈願され、地蔵講や地蔵盆などの年中行事の一つともなった。毎月二十四日を地蔵の縁日として宝前に花果を供えて祀ることも全国いたるところに見られ、また西(賽)の河原で地蔵が子供を庇護するということから(「西院の河原地蔵和讃」)、地蔵と子供は強く結びつき、子育地蔵・子安地蔵の名で信仰されている地蔵も各地に多くある。

現在では殆ど廃れてしまったようだが、私の地元である気仙地方にも、かつては「地蔵講」というものがあって、地蔵信仰は、特にも女人往生を助けるものという観念から、老婆を中心に結成されていた。また「子安地蔵」ということから、主婦層の講としても広く普及された。前述のように毎月の二十四日が縁日であるが、気仙地方では旧の六月二十四日、十月二十四日が地蔵講の日とされ、地域によっては地蔵様を祀るジョウヤ(お堂)の周りに露店がたつなどして盛大に行われていたらしいが、大正期から昭和に掛けて急速に衰えた。かつての地蔵講は、地蔵様を礼拝し念仏を唱え、飲食を共にしながら一日を骨休みする日で、家事に追われることの無い人達の会合、という観念が強かったという。

お地蔵さんと言えば、以前、母方の祖父母のお墓のあるお寺の参道入り口付近に、古い庚申塔などとともに身の丈二メートルはあろうかという一石造のお地蔵さんが置かれていて、子供の頃、お盆にお墓参りに行く度にそのお地蔵さんに出会えるのが楽しみだったが、足場も悪い鉄道の線路を、踏切も無く横切る危険なルートであったため最近安全な別ルートの整備に伴い、お地蔵さんだけが移動されてしまって慣れ親しんだ景色が変わってしまい、ちょっと残念な気がした。

この春、フィルムの残量や失敗写真を気にする心配も余りなくなったデジタルコンパクトカメラを手に入れたので、手空きの時間に独りそそくさと、近所のお寺のお地蔵さんや道端の祠や石塔を撮り集めている。が、やはりプロカメラマンのようには上手く撮れるものではなく、パソコンに取り込んでみて、始めてピンボケに気付いたりと、まだまだ修行が必要なのだと実感しているが、多種多様な石仏の顔をじっと見ていると、先ごろ亡くなった私の母親や顔見知りの面影に似た仏さまに出会えるのが、なんとも不思議に感じる。

もっとも、野仏の中には学校の側や民家の入り口付近にあるものも少なくないので、平日の昼日中にいい年齢の男性がうろうろとカメラ片手に石仏の写真を撮っている姿を見られたら、不審者(もしくはニート)に見間違われるのではないかと内心ドキドキものなのだが…。

夏の間は生い茂る草木に覆い隠されたり、陰になったりしてよく見えなかったりもする道路端の古びた石仏や石塔が、黄色味がかった秋草の間から顔を出し、晩秋の陽光を受けて光り輝いているのを目にすると、たまらずネットオークションを開いて「石仏」を検索しながら「ハァ…、自分の家の庭さもこんなのがあったらなぁ…」と、買う気になれば買えぬことも無い、哀愁漂う野辺の美術品に淡い想いをはせるのだが、その一方で、金儲けのためなのか面白半分なのか、地元の人々に愛されてきたあちこちの石仏や狛犬が、盗まれたり破壊されたりと、罰当たりなニュースがあとを絶たない現実に、喉から出かけた手がすっかり萎えてしまった。

今回掲載したお地蔵さんの写真は、私の母校である中学校裏手の道路端の石垣の上にあったもの。高さ三十センチほどの小さな石仏で、以前は腰元近くまで土に埋もれ、お顔も苔に覆われて輪郭から辛うじてお地蔵さんだと判るぐらいだったが、数年前に埋もれていた部分の土が払われ、顔の部分に張り付いていた苔も落とされて、微笑むような可愛らしいお顔が拝せるように。

こんな可愛いお地蔵さんの写真をブログに掲載したら、お気に入りのお地蔵さんが盗まれるんじゃないかと小心者の私としてはいらぬ心配をするので(※だったら掲載しなけりゃいいじゃないかという突っ込みはしないように)、ブログのネタも兼ねて心無い連中にいちど見せしめも兼ねた仏罰なんか当んないかなーと思っているが、慈悲深いお地蔵さんは怒るというよりも、きっとそんな事をする連中までをも、その身を犠牲にしてまで救おうとしているんじゃないかという気がして仕方が無い‥。

でも、そんな情け深いお地蔵さんだからこそ今日まで親しまれる仏様となった所以なのである。

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朽ちかけたモノ

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暑さ寒さも彼岸までということで、今年の暑さもやっとひと段落付いたかな・・、といったところではあるが、本業である漁業の方はなかなかそうとはいかないもので、北海道よりやってくるホタテ稚貝の分散作業も来月には始まるので色々やらなきゃいけない事が溜まっていたりもするのだが、海で仕事する上で重要な、自家用船の船底(海水に浸かっている部分)が大分汚れてきたので、今月の初め、陸の上に揚げて船底の洗浄やペンキの塗装、その他壊れたりした部分の修理等をする、いわゆる浄化作業を行ったが、心配された台風による天気の崩れの影響もなく、夏の名残りの日差しを受けながら順調に浄化作業を終わらせる事が出来た。

さて、この浄化作業を行う船揚場のすぐ近くに、このブログでも何度か触れている例のオエベス様の小祠が鎮座しているのだが(※興味のある方は、当ブログ内の「やっと雪景色」「ケータイのカメラで撮った桜」の頁を参照していただければ幸いです)、一昨年のこと。この時も伝馬船(※てんません・小型の磯舟)のペンキ塗りの手空きを幸いに、暫く使っていなかったコンパクトカメラの調子を見るために残ったフィルムを使い切る必要があったので、面白いものはないかとオエベス様の祠のところまで行ってみると、祠の脇に置かれた見慣れぬ物に目が行った。

石で作られた小さな祠の周りには古くなった御神札や、廃船のスクリューなどが時々納められているが、件のそれは厚めの文庫本を三冊ほど重ねたぐらいの大きさの木材で、中ほどに四角いマッチ箱ぐらいの小さな木片が埋め込まれており、上部に柱などに取り付けるためのネジが残っていた。
これとそっくりな写真が本に掲載されていたのを見ているので、それが何なのかはすぐに解った。

「オフナダマ(お船霊)サマだ‥、誰だかが壊した船ん中さ在ったのを納めだんだべな…」

「お船霊さま」は船の守護神であり、漁の神様として信仰されているもので一般に「オフナダマサマ」と呼ばれている。「お船玉」と記されている例も少なくなく、「船神さま」「オフナサマ」「オカタサマ」「オガタマサマ」「十二フナダマ」と称している所もあり、女性の姿をした神とされている。

お船霊については地域によって若干の差異がみられるので、このブログでは筆者の地元である『三陸町史・民俗一般編』を参考に、お船霊に対する信仰形態を記したい。

お船霊さまは、造船の際、船大工の棟梁が船の帆柱を立てる部分の下のタツ(辰)と呼ばれる所に穴を掘って御神体を納め塡木をして祀るのが普通であったが、これをモリとか船霊座という。頭領は祀った所を船主などの関係者以外には知らせず、一般に秘密にしておくのが磯舟における習わしであった。なお、和式帆船が使われなくなった現在では機関室や船を錨や陸へロープで繋ぐときに使う船首部分の小柱(※これもタツと呼ばれる)などに祀られる事が多い。

お船霊様のご神体は、天照皇大神宮のお札・抱き合わせた男女の人形・五穀・銅貨などが主であることは全国的だが、三陸沿岸で用いられるお船霊様の御神体としては女性の毛髪、人形一対、サイコロ二個、五穀、それに一文銭等の硬貨を充てている。

〔喩院跳鮃で元気な女の子の前髪、もしくは船主の妻の陰毛を少々紙に包む。
∋羶遊繊鎮暴一対。釜石市唐丹町辺りでは白装束に作り、一つだけ入れる。以前はどこでも男女一対にし、男の人形には紋付を着けたり帯を着けたりした。女の方は色物(赤・黄・桃色)を着せる。
サイコロ…出来るだけ小さい物二個。サイコロは船の材料と同じ木で作り、別の木にすると「木違い(気狂い)」になるとして忌まれる。
じ濤髻鎚董η・稗・豆・蕎麦の五穀を用い、籾殻の付着したままのものを使った。 
チ…十二枚。かつては一文銭を使用したが、一文銭が無くなってからは十円玉や五円玉などの現行硬貨、または紙で一文銭を作り使用する。なお、銭十二枚納めるのは一年十二ヶ月を表すとも言われ、閏年の年は十三枚納める。
その他、地方によっては紅・白粉(おしろい)・櫛・鏡・簪(かんざし)・鋏・縫い針といった女性用の化粧道具や裁縫道具、珍しいものでは鼠の糞や菊の実等の類を一緒に納める事もあった。

新造船が出来上がると、お船霊様を船体に密かに納め祀る。これを「御神入れ(ごしんいれ)」とか「御性魂入れ(ごしょうこんいれ)」などと呼ぶ。
船主は、新造船が完成すると、吉日を選び船大工に御性魂入れをしてもらう。かつては進水の前夜の丑三ツ刻(午前二時頃)の潮立ち(満潮)の時に行っていた。現在は丑三ツ刻には行われないがそれでも潮立ちの時刻に実施するよう努めているという。船大工が秘儀的に一人で行うが、船主も一緒に立ち会う時もある。ただ船主はあくまでも立会いで、船上には上らず控えているのが通例で、二人で深夜、船のある場所に行くのであるが、途中もし女性に遇うと、一度家へ戻って清めてから出直したものだという。

船を作った船大工の棟梁が、白緒の草履を履いたうえで、お船霊の神体を斎い込めるのであるが、その草履は船主が用意して与えるしきたりである。船大工は神体を納める部分や、その周辺を槌で三回叩き、その場所をおさめて(鎮めて)からお納めする。

納める場所は船中の「カムロ」の中で「オモテ辰(錨をかける所)」に穴を開けて埋め込む。その納め方は、まず一文銭を波型になるよう三枚を重ね、順時に敷き重ねて、その上に五穀を置き、ご神体(男女の紙人形)一対、紙に包んだ毛髪を神体につけて入れる。サイコロ二つは「天一、地六(一の目を上に、六の目を下にし)表(オモテ)三ハラカシ、トモ四ワリ、オモカジ(右舷)二、トリカジ(左舷)グッサリ五」と唱えごと風に言われているように重ねる。
その後に封祀するが、釘(くぎ)は一切使用せず蓋をし、「くさび」を入れ隙の無いようにする。
船大工の棟梁は、以上の作業を終えると、船主と共に「クルミ」七個、「イワシガラ」七個、豆七個をお船霊の前に供える。水・お神酒・塩も供え、ほかに一升桝に米を入れ、扇子一本と祝金も神前に捧げる。これは神事の後で棟梁にあげるものである。棟梁、または法印(神主)が船霊に向かって祝詞を挙げ船主と共に礼拝することで「御性魂入れ」が完了し、翌日、新造船の進水(船下ろし)が行われる。

こうして祭られたお船霊は、「ツンツン」「チッチッ」などの鳴き声や音で、時化(シケ)や魚群などの異変を告げ知らせるという。この現象を漁師たちは「船霊様がしげる」「いさむ」などと呼んでいる。尚、この船が不漁続きであったり、予期しない水死体(流れ仏)を積むようなことがあれば、「験(ゲン)直し」にお船霊の神体を取り替えたり、埋め込む場所を変えることもあった。

お船霊のご神体として女性の毛髪や男女一対の人形とともに、口紅や白粉、櫛、鏡などの化粧道具が納められる事からも、お船霊様が女神だという言い伝えは三陸沿岸を初め全国的に語られる。しかし、三陸の一部では必ずしも女神とは限っておらず、ご神体も人形を用いずに、サイコロ二個は男女一対を表すものとしている所もある。
船を女性の性格に考える習俗は世界共通の民俗であるが、日本では古くから船に女性が一人乗ることを嫌っており、旧三陸町地域においても、かつては船に女が一人で乗ると、お船霊が怒って船を難破させたり、不漁にするなどといって忌まれたという。
その一方でお船霊のご神体の制作や船下ろしの際に女性が関わる事も多い事から、かつてはこの神に奉仕し、祭祀を司る者が女性であったことを示していると考えられている。

私の家の船にも何らかの形でお船霊様は納められているとは思うが、実物は博物館の展示品や写真ぐらいでしか見たことが無い。
件のお船玉様を改めてよく見れば、すでに所々腐り始めていて、ご神体を納めている塡木の部分もちょっと浮き上がっているように見える。それにお船霊様の置かれている場所は、木陰とはいえ雨風の当たる吹きさらしの場所である。強風で海へ飛ばされたり、飛ばされなくても雨や陽に晒されて何れ朽ち果てることだろう。
そう思うと、お船霊様の御神体が納められている蓋の中を覗いて見たいという私の中の好奇心の蟲が疼き始めた。「仏様ならいざ知らず、神様はおっかねえ(恐ろしい)らしいから、面白半分でやっと罰が当っかもしんねぇな」と、その時の私がそう思ったかどうかは忘れたが‥。

「ちょっと失礼しますねえ…」そう言いながら、お船霊様の塡木の部分に軽く人差し指の爪を掛けてみた。さすがにちょっとぐらいの力では取れそうにない。
「あ、そうだ!それより先に、‥まずは現況写真撮らなきゃな」
現在みたいに撮った画像がすぐ確認できるデジカメを持っているわけではなかったし、コンパクトカメラの調子にも若干不満があったものの、天気も好く、辺りは木漏れ日も差し込んでいい感じである。失敗しないよう慎重にカメラを構えてお船霊様に向かってシャッターを切ったつもりであったが、切れない。「少し逆光気味だったせいかな?」と位置を変えて撮ってみてもやっぱりシャッターが切れない。脇に廃船のスクリューも納められていたのでこっちをとシャッターボタンを押してみても切れない。まさか壊れたのかと思って祠と反対方向の海を向いて撮ってみるとなんと切れる。
「おかしい‥、撮影の仕方が悪いせいなんだが、それともお船霊の中を見っぺとしたから…怒らせた?」せっかくのチャンス、諦めきれずに何度もお船霊様の撮影を試みたが、結局この時はお船霊様やオエベス様の祠周辺にカメラを向けた時だけシャッターが下りることはなかったのである。むろんお船霊様にも(祟りが怖いので)手を付けず仕舞いとなった。

え、その後どうなったかって?幸い罰は当んなかったと思います、‥たぶん。それに上に掲載されているように、すっかり朽ちて中に納められた一円玉が丸見えでしたが、今度はこれといったトラブルも無くちゃんとお船霊様を撮影出来ましたよ。撮らせてもらってありがとうとちゃんとお礼も言った(と思う)し、今度も撮影できなかったらやばいのかと思ってたが、ほんと良かった(苦笑)。

さて、昼間、船底のペンキ塗りをした時、船揚場に何か忘れ物をしてきたんじゃないかと心配になったので、夕方桟橋に寄ったついでに、揚陸中の船の周りを確認しながらまたあのお船霊様を見に行ってみた。
「そろそろ、ブログに使わせてもらいますがらね」祠に軽く一礼して左脇を見るとあのお船霊が無い。動かされたのかと思って右の方を見てみても無い。
「さては風に飛ばされたかな・・、それにしてもブログに掲載しようと思ったら居なくなっとは・・・」
そう思いながらふと足下を見ると、階段の上に朽ちかけた木っ端が落ちている。もしやと思い手に取ってみれば、真二つに割れてはいるがお船玉を納めていたあの木箱である。御神体の中身は既に無く、納められていた一円玉は誰かの手によって祠の前に供えられていた。

十月一日から緊急地震速報なるものが始まるらしいが、昭和三陸大津波から七十四年、チリ地震津波から四十七年の歳月が流れ、三十年以内に発生する確率が99%と言われる宮城県沖を震源とする地震や三陸南部海溝寄り地震など、一旦津波の来襲を受ければ湾内の養殖施設はもちろん、仕事の足として欠かせない漁船にも甚大な被害を被る可能性は少なくない。自然が相手である以上、養殖施設の被害は仕方ないが、せめて船だけは助けたいと思うのも漁業を生業とする者の人情である。しかし現実問題として、いざとなればどうにもならない事も多い。

私の家でも大晦日や小正月には船にフライキ(日章旗と大漁旗)を掲げ、お船霊様のいるオモテのタツに御神酒を注ぎ、餅・オヘソク(御幣)・松の枝といった供え物を捧げるのが恒例となっているが、いつもこの時は拍手を打ってこう願うことにしている。

「今年も無事に過ごせました。どうぞ今後とも何事も無く過ごせますように…、それから、また来年も一緒に頑張っぺね」

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