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先日、栗山会員が座視わらしの資料を持って訪ねてくれた。
八戸市立図書館で調べたという「座敷わらし」の資料は
『南部覚え書き』音喜多富寿著
(音喜多富寿:http://www.hachinohe-u.ac.jp/machi/konakano/hca/tomiju.htm)
『日本民俗大辞典』http://www.yoshikawa-k.co.jp/minzoku1.htm
から取ったコピーで、他に持参の『遠野物語』柳田国男著
であった。
『南部覚え書き』には、明治初年の頃の、八戸の遊里、春駒(仮名)ののれんで繁盛した貸座敷での座敷わらしのはなしが『座敷わらしの怪』のところに載っている。
赤いチャンチャンコを着た男の子が夜中に現れて、モウロウとしている酔客に腕相撲を挑んだりするが、相手になると勝てない。それが噂になり物好きに出かける者が引きも切らず、大いに繁盛したが、そうこうするうちに、スーッと消えるように大戸から出て行ってしまった。
以来、春駒の座敷わらしの姿もうわさも立ち消えとなって、春駒のあんどんにも、灯がはいらなくなってしまった。
という話しで、これは三浦さんの『笹舟日記』の『座敷わらしの話』でも紹介されている。
『日本民俗大辞典』には、家の奥座敷にいる精霊。岩手県を中心として青森・秋田の諸県にも分布しており、ザシキボッコ・クラワラシなどと称する土地もある。として、佐々木喜善著『奥州のザシキワラシの話』の、遠野や水沢市の座敷わらしの話しや、柳田国男の『遠野物語』の中の座頭部屋の話しが出てくる。
「主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。これを座頭部屋と云ふ。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚びたり。これを待たせ置く部屋なり。」として、民家の間取り図には小部屋が書かれているが、これを座頭部屋というとあるものの、古くはこの部屋でその家の神を祭った名残であったのではなかろうか。座敷わらしを家の神もしくはその家の守護霊として畏敬されていたとみられる。
と書かれている。
八戸市立図書館蔵の『十和田記』の中の、秋田市内にあった潟屋の八郎太郎にまつわる話しや、盛岡市の永福寺にもこうした部屋があったと記されているそうだ。
柳田国男の『遠野物語』に座敷わらしのことはたった8行程度しか記されていない。それも、女の座敷わらしの話しである。
その項のところに〈此の神のこと「石神問答」一六八頁にも記事あり。〉とあるのだが、いくら探しても後には座敷わらしの話しを見つけることが出来なかった。
それが、今は、座敷わらしを代表する本になってしまうとは……。
それに比べたら三浦文学の価値は大きいぞ。
わざわざ調べて届けてくれた栗山会員に感謝します。
栗山氏は、日本俳人協会会員であり、その氏の俳句にかける思いや、俳句を通しての人生の巡り合い・運命のことなど、色々話しを聞くことが出来て、大変刺激を受け、パワーを頂いたようで有意義なひと時であった。
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