|
昨日、八戸市での用事の帰りに、森林康さん宅を訪問して、『盛岡キャラバン」講演の改めてのお願いと打合せをして来た。
森林さんと話していると、金田一や一戸の三浦哲郎文学の地域浸透へのアイデアが幾つも飛び出してきて、わくわくさせらるから、玄関を出る頃にはルンルン気分になってしまう。
今回も、山口県長門市の《金子みすゞ》の地域おこし事例を出して、埋もれている文学でも頑張って取組めば地域おこしに繋げることが出来ると言ってアイデアを話してくれた。(内容はマル秘)
■金子みすゞ記念館ホームページより
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
■金子みすゞ記念館 http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/misuzu.html
私も、この《金子みすゞ》の事例に力を得て三浦文学の普及運動に取組ませて頂いている。
ボランティアガイドも行われているようなので、参考になりそうだ。
〔金子みすゞ記念館〕
ながとボランティアガイド会
金子みすゞ記念館を中心としたみすゞ通りを案内します。ガイド料は無料。お一人からでもご案内いたします。
■活動時期 通年(年末年始を除く)
■時間 9:00〜17:00 (1週間前までに要予約)
■問い合せ先 ながとボランティアガイド会
森林宅の応接室のテーブルの上に背表紙に「森林康」と書かれた本を見掛けた。
森林さんは教諭そして学校長、八戸市教育長などを務めた方で、退職してから、長年携わった学校教育現場での体験を元に『夢を育む』などの著書を何冊か自費出版したそうで、その一冊だと話してくれた。
本の中の随所に短歌が鏤められているのが目に付いたが、20歳の頃から短歌づくりを続けている森林さん自作の短歌を見出し代わりに配した拘りの編集にしてあるそうだ。
編集発行者が同じ森林姓の別人になっていたので尋ねると、奥様だそうで、「なにしろ家の大蔵省だから」と奥様を前にして笑って話してくれた。
オシドリ夫婦ぶりが伺えた一時であった。
後で講演の時に紹介するプロフィールの原稿と写真を送って頂けるようにお願いしてきた。
|