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先日の例会の時に、葬儀の受付を手伝っていた素敵な和服姿の女性は誰だろうという話題が出た。
松本会員によると、森林さんに、三浦さんの作品に登場する日本舞踊名取の先生だと紹介されたそうだが、参列した会員たちが、金田一温泉などでも見たことがある人だと言い出したので、真相の程を確かめなければいけなくなった。
昨日、八戸の森林さんに電話をして確認したら、やはり、三浦さんの教え子で、色々な作品に書かれている日本舞踊名取の西川鯉一二(こいかず)さんだと教えられた。
会員たちが見掛けたのは、もしかしたら、これまでのイベントに訪れてくれたことがあるからなのかも知れない。
作品から想像していたよりも、スタイルが良くて和服が似合う素敵な女性だった。
貴重な「ゆかりの人」に会えたのに、当日撮ったどの写真にも写っていないのが悔いが残る。
東京在住で、八戸にも教室を構えて教えに来ているそうなので、また何時かお目にかかることがあったら、ちゃんと挨拶させてもらうことにしよう。
新たな課題として、鯉一二さんが描かれている作品探しが生まれた。
先ずは、果たして『じねんじょ』もそうかどうか知りたい。
このようなことを、作者本人に確かめることが出来なくなったのが残念である。
皆さんにもご協力を願いたい。
西川鯉一二さんに関連した記事を見付けたので掲載する。
■デーリー東北新聞 2002年10月
デーリー東北賞 受賞
◆日本舞踊振興 みちのくおどり親和会
流派を超え成果競う 地域レベル飛躍的向上
http://www.daily-tohoku.co.jp/k_jigyo/dailysyo/2002/daily2002syo3.htm
1978年、八戸市新井田の対泉院に舞扇を供養する扇塚が建立されたのを機に、市内日舞界のつながりを強める目的で結成された。市文化協会に所属する日本舞踊の会主24人が所属。みちのくおどりは親和会結成11年前に始まったが、「出演者全員が同じ立場で」との理由で、しばらくは公演を運営する団体を設けなかった。
「みちのくおどり」は、八戸市文化協会に所属する日本舞踊の各会主が総出演する古典舞踊の祭典。毎回、二十番前後の演目が披露され、会場の八戸市公会堂を超満員にする。
きっかけは、約四十年前、花柳久美絵さんが同市文化協会の事務局員だった故石橋正美さんに語った一言だった。「日舞の先生方の横のつながりを持ちたいね。それで一緒に発表会ができたらいいね」―。
当時、市内の日舞界を牛耳っていたのは小中野と鮫の花柳界。花柳さんと石橋さんは小中野と鮫に何度も足を運んで趣旨を説明し、協力を求めた。だが“お姉さん方”の反応は冷たく、あきらめかけた六七年十一月。やっと第一回公演にこぎ着けた。所作台は借り物、演出は市内の演劇関係者から、照明は洋舞教室からの応援を仰いだ。ゼロからのスタートだったが志は高く掲げた。「京都に都おどり、東京に東をどりがあるように、八戸にみちのくおどりあり、といわれるようにしたい」―。
みちのくおどりは、それから一度も休むことなく今秋、第三十六回公演を行った。親和会の西川鯉一二会長、泉紫峰副会長の二人は裏方の仕事をしながらも自らも一度も休むことなく出演し続けた。開催が危ぶまれるピンチもあった。経済的負担も大変だった。「決算報告で赤字といわれると、身の置き場がなかった」と語る西川会長。市文化協会歴代の会長がポケットマネーで赤字分を補ったこともたびたびだという。
出演者にとって、みちのくおどりは、一年間のけいこの成果を発表する場である。名だたる師範が見詰める中で下手な芸は見せられない。「それまでは自分の弟子を育てていれば良しとする先生が多かったが、もっと勉強し自分の芸を向上させようという機運が強くなった」(泉副会長)
各会主がしのぎを削って芸を磨き、流派を超えた交流も行われ、八戸の日舞界のレベルは飛躍的に向上した。みちのくおどりの充実した内容と質の高さは日舞の専門誌編集者をも驚かせた。
ここで、舞扇を供養する扇塚が建立されたという八戸市新井田の「対泉院」は、三浦さんの小説『おろおろ草紙』にゆかりの寺院なのである。
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