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■画像:講演会の模様とテキスト ※テキストのみ拡大可
今日午後から、一戸町奥中山公民館に森林康氏講演会の聴講に行ってきた。
講演会はこの公民館主催の『平成22年度 いちのへ町民セミナー 自然・文学コース』のセミナーの1講座として開催されたもので、受講者は町内全域から応募した年配の方々で、24名の参加だった。
森林さんは、いつものことながら、本日のための立派な手作りのテキストを事前に用意して下さり、追悼記事などの新たな追録資料まで作って配布してくれていた。
『三浦哲郎と岩手のかかわり 〜哲郎と一戸を舞台にした作品について〜』
と題して、持参した書籍や写真を見せながら1時間半熱の籠った話しをして下さった。
その間、受講者の皆さんは、とても分かりやすくまとめられているテキストをなぞりながら、熱心に聴き入っていた。
講演はテキストの目次にしたがって次のように進められた。
・哲郎の略歴について
・三浦哲郎の主な作品(作品集)について
・文学への志願・末弟の生きる道について
・三浦哲郎文学の二つの原典について
・三浦哲郎文学の精神の原型について
・三浦哲郎作品の魅力について
資料として、「一戸町を舞台にした主な作品について」リストや、逝去に伴う各新聞社の追悼記事の要約集まで用意して、更に、「一戸町を舞台にした作品から」では、『銀杏が衣を脱ぐ時』と『時のせせらぎ〜若き日の追憶紀行〜・一戸』から抜粋した名場面をテキストに添えて、読んで聞かせて、三浦哲郎文学の魅力の一端を披露してくれた。
昭和6年八戸市生れの三浦さんは、終戦間際の昭和20年4月に岩手県金田一村湯田(現在の二戸市・金田一温泉)に疎開し、終戦後にそのまま移り住むことになった家族の元へ通ったり一緒に過した8年間と、昭和28年3月に家族が一戸町に引越して三浦さんと東京の家族が帰省する実家となり、岩手県を郷里として過した。
このように、三浦さんが岩手県に関わって65年になり、その間、幾度となく三浦さんも生活を共にしているのだから、生まれは青森県八戸市だが、三浦さんの生涯から見れば暦とした岩手県人となるのである。
そんな、森林さんの説明に大きく頷いてしまった。
一戸町の広全寺が菩提寺で、そこの墓に三浦さんは家族と共に眠っている。
私たちが岩手県立図書館や教育委員会、そして、岩手県の皆さんにに認めて貰いたいと望んでいる『岩手にゆかりの芥川賞作家・三浦哲郎』の所以がここにある。
今日、森林さんの講演を受講した一戸の人達が、4年半前の読む会のように、皆で三浦哲郎文学の魅力に目覚めて結集して取り組むようになってくれたら、どんなに心強いか知れない。そうなってくれることを望みたい。
「この地域ではあまり知られていないが、中央では日本文学の大家として名を残す名士と評価されている偉大な人なのですよ。
文学碑をはじめ、一戸町を舞台にした数々の作品、三浦さんは一戸にどえらい大きな宝物を残してくれたが、それを知らないでいる人達がいる。全国の三浦ファンから将来に渡って注目される筈ですが、あなた方だったらどうしますか?」
と、森林流の大きな宿題を残して講演は締めくくられた。
テキストの結びの片隅に森林さんの句が添えられていた。
逆境を みな受入れて
耐え忍ぶ
真向きな生き方 哲郎に学ぶ
森林 康
会場の末席で聴講していた私のことを、講演で話題に取上げて頂いたりしたので、厚かましくも閉会の間際に時間を頂戴して、自己紹介と一戸町内での三浦文学のサークル、ボランティアガイドの創設を望んでいることと、11月3日二戸講演会・朗読会&映画『忍ぶ川』上映会開催の宣伝をさせて頂いた。
この後、公民館の近くに、実家の貸主の方(大家)が居ると聞いていたので、訪ねて見た。
あの『忍ぶ川』の舞台でもある「家」の今後がとても気掛かりで仕方が無かったので、出しゃばったことをしてはいけないと知りつつも、家主の意向を聞ければとの思いで会いに行ったのである。
持主のOさん夫妻にお会いして、あの家の歴史や、これまでの三浦さん家族とのことなどの話を聞くことができて、とても理解のある方だと分り、安心して帰ってきた。
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