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9月24日(金)の記事「北方春秋」http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/32390410.htmlで触れた青森県近代文学館のSさんからの資料が届いた。
『随筆集 せんべの耳』の『思い出 -あの頃のこと』に書かれている、三浦さんが昭和35年2月に都落ちしていた一戸から再起をかけて上京する時に、
《30枚の短篇を書いて、それを生まれ故郷から出ていた雑誌に持ち込んで、稿料の代わりに吊るしの背広を一着買って貰い、それを着込んで上京した》
という短篇小説のことを知りたくて、調査を始めて辿り着いた情報がヤッと入手できた。
今回、送って頂いた資料とSさんのコメントによると、当時の三浦作品が掲載された《生まれ故郷の雑誌》はどうやら『北方春秋』に間違いないようだ。
第8号(S33.11.1発行) 「ブンペと湯の花」掲載 …初出は大学時代の『非情2
号』(S30発行)
第12号(S35. 1.1発行) 「タンパ眼の誘惑」掲載 …60枚
第13号(S35. 6.1発行) 「非望の群れ」(連載第1回)掲載 …第14号が確認できていな
い。その後の連載が見当
たらない。
意外にも、早稲田大の同人誌『非情2号』で発表した「ブンペと湯の花」がこの雑誌の第8号にも掲載されていたのだった。
第12号(昭和35年1月1日発行)に掲載された「タンパ眼の誘惑」は、今まで一切発表されていなかった作品で、大変興味を引く小説で有る。しかし、三浦さんが2月に上京する際に納めたとすると、発行時期の方が早いので、〈背広に代えた原稿〉とするには時期が合わない。それに、〈30枚の短篇〉より多い60枚となっていて、文末に〈昭和31年2月〉の記載があるなどからして、どうやら、この作品ではなさそうである。
〈昭和31年2月〉とは、1月に一戸町で結婚式を上げた後上京して、青雲寮を出て、世田谷区三宿町に間借りした時期にあたり、10月に新潮に「風船座」を発表する前に書いた作品ということになる。三浦哲郎さんはこの作品を年譜にも記載していなかったのはなぜだろう?
この謎はまたの機会に探るとにして。
となると、昭和35年6月1日発行された第13号の「非望の群れ」(連載第1回)の方がより確かに思えてくる。
この題名も初めてお目にかかる作品であるが、内容は、何と、三戸南部藩の内紛と九戸政実を題材にした作品になっているではないか。
掲載ページの脇に中里進氏の「連載のはじめにあたって」という文章が添えられていている。
それによると、中里氏は、一戸町に滞在していた三浦さんとの交流を深めていたそうで、5年前に井伏鱒二氏を久慈街道に案内したのがご縁だったという。
その時、九戸合戦の多彩さと九戸政実という人物に惚れ込んでいた中里さんが、秀吉が天下統一をした最後の戦いとなった九戸合戦とその主将である九戸政実のことを小説化しないかとすすめたそうだ。
この文中にも、九戸政実のことがとても詳しく書かれていて、内容からすると当時にしては相当詳しく研究されていた人だったと想像できる。
すると、後に『贋まさざね記』(1963.S38.歴史読本2〜3月号掲載)を書くに到った起因は中里氏の助言によるものだったのか。
連載第1回目は、九戸政実の乱に到る前の、南部一族分裂の経緯が小説として書かれている。さてその続きは如何に?
続きを読みたいのだが、生憎次号が見付からなかったようなので、昨日、八戸市立図書館に問い合わせて、調べて頂くようにお願いした。(今月1杯、フロア張替え工事中で書庫が閉鎖中とのこと)
もしも、続きが見付かれば、新たな発見に繋がるので期待している。
新たな発見と思っていたら、この3作品については、『三浦哲郎著作年表』(H6.3.31「郷土作家研究」第22号.福村忠夫作成.
青森県郷土作家研究会発刊)に記載されているとSさんに教えられた。
やはり、福村さんは想像していた通り三浦哲郎さんのことを相当詳細に調べているのだった。
私も、早く福村先生の作成した年表の最新版が欲しくてたまらない。
●過去ブログ …福村忠夫先生のこと
・著作年表を書いた人 2010/1/22(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/31294142.html
・著作年表を書いた人-2 2010/1/23(土)
http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/31299463.html
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