|
三浦さんが、早稲田大学を1957年(昭和32年)に卒業し、就職を断念して作家活動に入るが、2年後の1959年(昭和34年)2月に、原因不明の高熱に悩まされて衰弱し、止むなく所持品を売払って帰郷し、翌1960年(昭和35年)2月までの一年間を一戸町で過している。
この時のことを本人は「都落ちした」と言っているが、就職口が見付かり、再起を決して上京する際に、背広を買うお金を得るために、久々に小説を書いて、八戸の雑誌に持ち込んだという。
その雑誌が判明したことについては、先日、当ブログで報告した。
●関連記事:「北方春秋」 2010/9/24(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/32390410.html
雑誌『北方春秋』は、八戸市立図書館に保管されていることが分ったので、職員の方にお願いして三浦さんの小説が載っている号を探して貰っていた。
その結果を、先日、職員の方から電話で報告頂いた。
やはり、青森県近代文学館から提供頂いた情報より新たなものは得られなかった。
●関連記事:「北方春秋」の情報 2010/9/29(水)
http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CB%CC%CA%FD%BD%D5%BD%A9&sk=1
・第8号(S33.11.1発行) 「ブンペと湯の花」掲載
・第12号(S35. 1.1発行) 「タンパ眼の誘惑」掲載
・第13号(S35. 6.1発行) 「非望の群れ」(連載第1回)掲載
第13号の後、5年経って第14号がヤッと発行されていて、第17号までの発行後は途絶えたとのことだった。
連載予定だった「非望の群れ」は、その後の本には載っていなかったそうで、三浦さんの作品は他には見当たらないかったと言われた。
連載の続きの原稿を預かっていたかも知れないと思われるので、当時、発行に関わっていた人を探して見た。
やがて、創設者の一人、山根勢五さんという方が健在で、今も市立図書館に通っているという情報を得えた。
早速、図書館の職員にお願いして山根さんに聞いて貰ったが、生憎、随分以前のことなので記憶がないとのことだった。
これで、新たな「九戸政実物語」の小説「非望の群れ」の手掛かりは無くなり、はまぼろしの著作になってしまったのである。
今回は、三浦さんが九戸城の乱・九戸政実に着目した経緯が分り、大変貴重な情報を得ることとなった。
このことが、昨年クローズアップされた『贋まさざね記』の創作に繋がっていることも想像できる。
悔やんでも仕方無いが、もう少し元気でいて「非望の群れ」も完結して頂きたかった。
|