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Websiteで以下のブログに巡り合った。
貴重な内容の記事なので転記させて頂いて、みなさんに紹介しよう。
9月13日の東京会館での「三浦哲郎さんを偲ぶ会」の会場で竹岡準之助氏の追悼あいさつを聞く機会を得たので、その竹岡氏を思い出しながらこの記事を読ませて頂いた。
ブログの主について情報をお持ちの方がいたら教えて頂きたい。
■ブログ【クラシマ日乗】より
「三浦哲郎「忍ぶ川」他を読む」 2011/6/14(火)
http://blogs.yahoo.co.jp/kurashima20062000/43032143.html
「三浦哲郎「忍ぶ川」他を読む」
◎三浦哲郎「忍ぶ川」 (昭和文学全集第二十三巻所収)を一気に読む。
続けて「十五歳の周囲」を。
すぐに河西政明「三浦哲郎・人と作品」、三浦哲郎編になる「三浦哲郎年譜」を読了。
竹岡準之助氏とは中国こだわりの旅に毎回参加されるため、いつの間にか親しくさせていただいている。
氏は村山先生の漢学聴講は一切無いまったくの部外の存在だが、村山先生のこだわりぶりというか、こだわりの旅の共鳴者となって久しい。
旅行の戦果といっても過言でない水彩画展を梅丘のジャズ喫茶ゾーエーで開催されるのが常となり、会期中にお会いすることもしばしばである。
大学同期のいつも十人をくだらない友人等がつどい、展覧を期のミニ同窓会が開かれる。
そんなときはカウンターの隅から羨ましく眺め、ひとりワインを飲むのである。
氏が故三浦哲郎氏と親交のあったことは、つとに竹岡氏発行の雑誌『パピヨン』(papillon。あすなろ社)によって知っていたし、本人から少しばかり聞かされてもいた。
先の「三浦哲郎年譜」の昭和二十九年の条にも氏の名が記されていた。
「昭和二十九年(一九五四)二十三歳
秋、仏文科の級友竹岡準之助、佐藤光房、西村喜邦らと同人雑誌〈非情〉を創刊。創刊号に発表した「誕生記」で小沼丹氏(当時、英文科の助教授で新進小説家だった)に見出され、以後多の励ましと助言を承けることになる。」
氏と三浦哲郎氏とのかかわりを改めて知ることとなったのは昨年十月五日発行の『パピヨン』第56号のコラム「編集室から」の一文だった。
拝読して少なからぬ感銘を受けた。
ご本人の了解が有れば全文を紹介したいのだが、今は三浦哲郎氏と竹岡氏との記述を抜萃させてもらうことで事後承認をいただくこととしたい。
「記録的な猛暑がつづいた処暑の日(8月23日)の早朝、電話が鳴った。三浦哲郎の奥さんからで、ちょうどその日の朝刊に出ていたインタビュー記事《小説への気力「戻ってきた」5年ぶり随筆集 三浦哲郎さん》を読み了えたばかりのところだった。中略。その「随筆集」を送ってきた封筒の宛名の文字のふるえが以前より顕著で、中略。常日頃案じていたのだが。中略。字がふるえても書けるのなら結構なことだと思った。だが、奥さんから電話がかかってくることなどめったにない。中略。千駄木の日本医科大に転院した。いま集中治療室に入っている。先生から近しい方には連絡しておいた方がいいといわれたので電話しました、という。中略。「おい三浦、竹岡だ。またげんきになれるからな。しっかりな」と声を励ましてかけたが、反応はなかった。中略。昭和28年の春、私たちは早大仏文科に入学して出会った。三浦は私より3つ年長で、中略。三浦はいった。「太宰は津軽で俺は南部だけどね」と。亡くなってはいたけれど高名な作家と肩を並べるだけの自負が三浦にはあった。これは私の直感だが、三浦はただの文学青年ではなく、作家とはこういう人をいうのだろうと思った。まだ何も書いたものを見ない時点でそう思った。中略。2年生の秋、級友の佐藤光房が郷里盛岡から一緒に東京へ出てきた学友に仏文科で知り合った級友を加えて創刊した同人誌『ナルシス』に三浦と私が合流して新しい同人誌を出すことになった。三浦の主張で誌名の『ナルシス』は改めること、ガリ版刷りを活版刷りに改めることになり『非情』が創刊された。ただしこの誌名は三浦が命名したものではない。
中略。昭和36年、「忍ぶ川」で芥川賞を受賞するまで多少の曲折はあったが、畏友三浦の盟友として作家になる片棒を非力ながら担げたことになにがしの誇りを感じている。中略。昭和38年、私が結婚したときは、三浦夫妻にたのんで仲人をやってもらった。その翌年会社を起こしたときは、何も聞かずに役員になってくれた。8月29日、NHKTVが午後7時のニュースで三浦の死去を生前の映像とともに報じた。中略。9月1日に通夜が、翌日葬儀が執り行われ出版関係者やファン多数が三浦にとわの別れを告げた。式後、私は火葬場まで三浦を見送り、ご遺族らとともにその骨を拾った。後略。」
三浦哲郎原作の映画「忍ぶ川」は見ていたが、何故か三浦哲郎の小説を読む機会がこれまで巡り合わせなかった。
映画は、監督: 熊井啓、出演: 栗原小巻、加藤剛他。
先日、手元の資料で読んでもらいたいものをいくつか古我照彦氏に手渡した。
いつもの経堂の喫茶で、上記『パピヨン』誌の三浦哲郎追悼記を読み、竹岡氏と同世代の古我氏は同じように感動され、三浦哲郎の小説を再読され、所蔵の昭和文学全集からコピーして読むように渡してくれたのが、先の小説と資料だった。
この『パピヨン』第56号のコラム「編集室から」の全文を読んでみたいと思っているが、入手できないものだろうか。
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