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三浦哲郎作品 size=2 color=orangered>「とんかつ」と曹洞宗永平寺系の見解について、先日来pap*k*manさんから情報を戴いて、私も気掛かりだったので、同じ曹洞宗で三浦家の菩提寺・広全寺を訪ねてみることにした。
一昨日の夕方、お寺に寄って住職にお会いして、今回の永平寺系の見解などをお伝えしながら、この小説の題材は廣全寺の春覚東堂(前住職)から得たものではないかとの疑問を投げ掛けたのだったが、高齢の東堂さんは近ごろめっきり衰えて恐らく思い出せないだろうと言われ、直接本人と会うことができなかった。
住職も「とんかつ」を読んだことがあるそうで、勿論永平寺で修業された方なので、その時の体験談も話して頂いた。
永平寺では兎に角お腹が空いてとても辛いそうだ。
今の時代の人達にはあの空腹の苦痛感は分からないだろうと話していた。
我慢できないくらいお腹が空くと、大好物なものを腹いっぱい食べる夢を見たりするのだそうだ。
小説で、息子との一年ぶりの再会を待つ母親に対して宿の女将が
〈「わかりました。お任せください。」
と引き下がって、女中にとんかつの用意をいいつけた。〉
と、何とも言えない心遣い、思いやりを表していることが理解できるのである。
お寺の門から外に出たら、与えられたものを有難く頂戴するのは、悪いことではないと、やはり、同じようなことを話していた。
三浦さんは一体どんな思いで永平寺修行僧がとんかつを食べる小説「とんかつ」を書いたのだろうか?
春覚東堂ならば、何か情報を知っているのではないかとの期待は拭い去れないでいる。
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ご住職も同じ思いとお伺いし、安心しました。
「とんかつ」が、文学と仏教を考える機縁になった事が嬉しいです。
私も「ひもじさ」を知りません。が、「盆土産」の「エビフライ」や「とんかつ」の「とんかつ」に「心」がこもっている事はわかります。
「とんかつ」の題材をどこから得たのかはわからなくても、「とんかつ」がいつまでも人の心をつなぐ名作であること、出会えた事を嬉しく思います。
2011/12/4(日) 午前 0:34 [ pap*k*man ]