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昨日、ブログ紹介をしたら、その後、訪問者経歴には、紹介したブログの人たちが名を連ねていました。
中には、既に3回も金田一温泉に訪れたことがあると言う人もいました。
三浦哲郎つながりの輪が一気に広がったような気がして嬉しくなります。
見様見真似で開設し始めたブログも、やっと1ヶ月が過ぎてカウントも加速度が増してきて嬉しい限りです。まだまだ、使い勝手がよく分からなくて、試行錯誤しながら運営しています。
そう言う訳で、今日の今日まで「ゲストブック」の使い勝手が分からず「まつの実」さんの1/18日の投稿記事を見落としていました。こんな便利なところもあるのですね。
折角の話題提供なので『暁闇(ぎょうあん)の海』(ぎょうあんのうみ)と言う作品について触れてみましょう。
以下は、12月例会のレジメに「耳寄り情報ーその1」として掲載したものです。
先日、三浦哲郎の小説『おろおろ草紙』(講談社文庫)を読んでいたら、その中に小説『暁闇(ぎょうあん)の海』が載っていて、内容がどうも最近新聞で眼にした記事と同じようだと気付き、慌てて、新聞記事(添付記事参照)を探し出して見たのでした。
皆さんは気付きましたでしょうか。
以下、次のような内容で、正しくこの話しは三浦哲郎の小説『暁闇の海』のテーマだったのです。
ある日突然、南部藩八戸の鮫漁港の沖合に、不審な軍艦が現れて港は蒼然となる。藩命により丸木舟で様子を伺いに行った藩士達が捕らわれの身となってしまう。その艦隊は函館から来た旧幕府軍で、宮古港に集結しているらしい官軍艦隊を襲撃に行く途中だった。そのまま襲撃事件に遭遇し、敗戦して逃げ帰る艦隊に函館まで連れて行かれて、五稜郭攻めの開戦間際に辛うじて八戸に逃げ帰ったと言う内容でした。
三浦さんが史実に基づいて小説に著していることが分かり、関心してしまいました。恐らく、その時の南部藩の対応も史実どおりだとすると、当時の世相が伺える味わいのある内容だと感じました。
まだ読んでいない方は、是非、読んで見ることをお勧めします。
先日、講演会の時に浅田次郎も新撰組の話しの中で、この宮古湾海戦のことに触れていました。
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