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■画像:東奥日報新聞連載 三浦哲郎特集第47回目の紙面
東奥日報新聞連載 三浦哲郎特集第47回目は日本文学大賞受賞作『少年賛歌』である。
生誕80年・芥川賞受賞50年特別企画
毎週日曜日に掲載、カラー誌面
芥川賞作家 三浦哲郎
作風と文学への旅
No.47 日本文学大賞受賞作『少年賛歌』
遣欧使節団を暖かい目で…
■三浦文学ゆかりの地(京都)
(写真3枚) ・古都、京都の街。帰国した使節団は関白秀吉へ拝謁のため献上品を届け、聚
楽第へ足を運ぶが…
・「少年賛歌」で日本文学大賞の栄誉に浴した三浦さん=1983年6月29日、八戸で
・仙台市国分町のクラブ「OROORO」表示板。「おろおろ草紙」を書いた三浦さんも国
分町を歩き、この店名に奇遇を感じた
旅立ちの朝は、いつものように、
修道士ジョアン・デ・ミランの打ち鳴らす板木の音とともに開けた。
(「少年賛歌」から抜粋)
■この話 阿部達児さん(74) 元編集者、東京都
ルートたどり海外取材
※「少年賛歌」は『少年賛歌』は1975(昭和50)年6月号から1982(昭和57)年1月号まで休載を挟み68回連載。その後、文藝春秋から出版。文庫版にもなる。
(吉田徳壽=日本ペンクラブ会員、前東奥日報社編集委員)
作中に、帰国した遣欧使節団が豊臣秀吉に拝謁できないで長く待たされたのには、奥州検地に出かけた浅井長政たちが、検地に不満を持つ叛徒らの蜂起の鎮圧にてこずり苦戦していて、大阪に戻れないでいたからと書かれている。
これは、正に我が地二戸の九戸城の戦いで九戸政実の抵抗に遭って苦戦していた時のことなのである。
三浦さんは昭和35年6月1日に八戸市で発行された「北方春秋」という雑誌に連載小説『誹謗の群』第1回として、この九戸政実のことを書き始めている。
しかし、残念なことにこれは1回分しか掲載されず、廃刊となってしまったようだ。
もしも、この「誹望の群れ」が完結していれば、高橋克彦の「天を衝く」以前に九戸城の乱に着目した小説として名を残したかもしれない。
幻の作品の一つとなってしまったのが、とても残念でならない。
連載としてスタートしたのだから、もしかして発行元に続きの原稿が届いていたのではないだろうかと思って、当時の雑誌の編集関係者の消息を探している最中である。
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