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山陽新聞社から2月3日発刊の山陽新聞が送られてきた。
岡山市真備町で、金田一耕助でお馴染みの作家横溝正史ゆかりの地を生かした街づくりに取り組んでいる山崎隆夫さんが、金田一温泉郷と二戸市のことについて書いた記事が載っている新聞で、わざわざ山陽新聞社に頼んで送らせたようである。 以前にも、藤萬菓子店のジャンボ饅頭を取り寄せて販売して頂いたり、遙か遠くから「金田一」繋がりで、この地を宣伝して頂いていることに、頭が下がる思いがする。 これからも交流を深めていけるように、情報の交換を続けて行きたいと思っている。 山陽新聞 2013.H25.2.3 岩手・二戸の温泉郷 「金田一」縁にPR 作家横溝正史ゆかりの資料を展示する倉敷市真備町岡田の真備ふるさと歴史観は、岩手県二戸市・金田一温泉郷の観光リーフレットを館内に置き、「金田一」を縁にしたPRに一役買っている。 同温泉郷のリーフレットと、市全域の観光案内が記載されたパンフレットを、施設やイベント資料を並べるコーナーに設置。東日本大震災からの復興を目指す東北を応援する思いも込めた。 同温泉郷は盛岡・南部藩の指定湯治場とされた名湯で、「座敷わらしの里」としても売り出している。横溝が生んだ名探偵金田一耕助命名のきっかけになったという言語学者金田一京助の文学碑も立っている。 二戸市商工観光課物産交流室は「金田一のつながりで多くの人に温泉を知ってもらい、ぜひ来訪を」と呼び掛けている。(山崎隆夫) ■写真:真備ふるさと歴史館に置かれている金田一温泉郷のシーフレットと二戸市の観光パンフレット ところで、このリーフレットやパンフレットには、芥川賞作家三浦哲郎ゆかりの地のことが載っているのだろうか? 気掛かりである。 |
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一ヶ月ほど前にこのBlogで紹介した、三浦ファンで「アルビノについての(略)ブログ」運営の武器屋さんが、『三浦哲郎の遺伝の知識』と題して新たな記事を書いているので紹介したい。
一人の作家のことを一つの観点に拘って紐解いてみるということは貴重だが、大作家ともなれば多くの作品があるから大変な作業になるだろう。三浦さんの場合は「アルビノ」が作風に大きく影響しているから、重要なテーマなので武器屋さんの取り組みには大いに感心が高まるのである。 武器屋さんの「アルビノについての(略)ブログ」より 三浦哲郎の遺伝の知識 ・2013.1.29三浦哲郎⇒は、遺伝について、なかでも特にメンデルの法則についてどこでどのように知識をえたのか気になってたので、簡単に調べてみました。 1977(昭和52)年に『海』に発表した、そのものズバリ「メンデルの春」という随筆があります。単行本の『おらんだ帽子』に収録されてますが、文庫版の『おらんだ帽子』には入ってません。高校生だった三浦の長女がコタツで『生物I』の教科書を読んで復習している場面から始まり、様々な回想が続きます。娘との会話のなかで、三浦はメンデルの法則について学校で習ったと話しています。 「お父さんたちも習った?」 「勿論、習った。」 「今でも憶えてる?」 「……自分に関係のあることだけはね。」(三浦 1977: 221-2) 三浦は、1943(昭和18)年、12歳のときに旧制の青森県立八戸中学校に入学し、学校制度がめまぐるしく変わるなかで中等教育を受け、戦後の1949 (昭和24)年、18歳のときに新制の青森県立八戸高等学校を卒業し、早稲田大学に進学しています。学んでいるとしたら中等教育だと思います。 旧制中学の教授要目では、1911(明治44)年の改正から生物の進化にふれるようになり、教科書によっては遺伝を扱うものもありました。教授要目に「遺伝」が明記されるようになったのは1931(昭和6)の改正からで、一般理科の生物通論のなかに「遺伝・変異・品種改良」という項目が加わっています。さらに1942(昭和17年)の改正では、旧制中学の5年生の生物の「遺伝法則」においてメンデルの法則を通じて遺伝の原理を理解させることが示されたほか、新たに「優生」という項目も加わります(鈴木・原田 1990b: 76-7)。 また戦後、1948(昭和23)年に文部省が新制高等学校用の教科書として『生物の科学』I〜IV巻を出していて、そのIII巻に遺伝のしくみが含まれています(鈴木・原田 1990c: 55)。この年から1955(昭和30)年までに出された高校生物の教科書では、多くが人の遺伝について節を設けて解説しています。また優生学について紹介し、具体的な遺伝性疾患の名前をあげているものも結構ありました。でも、昭和30年代になると身体障害に関する露骨な表現は控えめになって、具体的な遺伝性疾患としてあげられる名前も少なくなったようです(鈴木・原田 1990c: 57)。このへんの移り変わりは遺伝学啓蒙書と似てますね⇒。 三浦が、中等教育のなかでメンデルの法則を学んだのは間違いなさそうです。三浦が実際に使った教科書まではわかりませんが、優生学的な関心から具体的な遺伝性疾患の名前をたくさん列挙したものだったと思われます。1960年代頃までの遺伝学の啓蒙書において、アルビノは常染色体劣性遺伝の代表格のように扱われていましたから⇒、教科書にも同様に登場したのではないでしょうか。中学生・高校生だった三浦少年にとって、自らに流れる「亡びの血」が、遺伝現象という科学的な知識によって裏付けられたと言えるかもしれません。 ついでに三浦の次姉についても簡単にふれておきます。 「メンデルの春」では、次姉と同じ女学校に通っていた従姉についての回想があります。その従姉が三浦に、次姉が女学校でメンデルの法則の「劣性遺伝のことをおそわって、ひどいショックを受けたみたい」と告げたことがあるそうです(三浦 1977: 209)。また、『白夜』においても、次姉をモデルにしたれんが、夏休みに行われていた進学希望者のための補習講座の最終日にメンデルの法則について学び、知り合いの女医に遺伝に関する本を借りに行く場面があります(三浦 1989: 214-40)。三浦自身も、次姉が自ら命を絶った動機は、失恋や受験の失敗などもあるかもしれないが、「一番の原因というのは、やっぱり遺伝に関する恐怖だと思います」と述べています(三浦・武田 1986: 129)。 次姉が中等教育を受けたのは大正末から昭和初期なわけですが、そこでメンデルの法則を学んだかどうかはよくわかりません。まず明治から大正にかけては、学校教育において遺伝の取り扱いはかなり小さく、ダーウィンは紹介してもメンデルはあんまり出てきませんでした(鈴木・原田 1990a: 20-1)。1903(明治36)年に制定された高等女学校教授要目では、理科は中学の教授要目に比べて内容も簡単で遺伝については扱われていません(鈴木・原田 1990b: 76)。先に見たように、中学の教授要目に遺伝が明記されたのは1931(昭和6)年です(ただしこれは、中学の教授要目であって、高等女学校の教授要目がどうだったかは不明です)。 で、三浦の次姉が自殺をしたのも1931年です。正規の学校教育で次姉がメンデルの法則を学ぶ可能性は、弟の哲郎に比べればずいぶんと小さかったはずです。でも、進学希望者のための補習講座ならばありえたかもしれません。また、個人的に知人から本を借りることもできたでしょうから、知っていたとしてもおかしくはありません。 歴史的な、あるいは科学的な事実と、作品としての整合性とが一致しなくてもいいと思うし、事実に固執するあまり作品としてのよさが損なわれるようでは、なんだか本末転倒な気がします⇒。重箱の隅をつつくような議論をしておいて、アレなんですけど。 参考文献 三浦哲郎, 1977,『おらんだ帽子』新潮社. 三浦哲郎, 1989,『白夜を旅する人々』新潮社. 三浦哲郎・武田勝彦, 1986,「白夜をゆく家族たち」『知識』50: 124-31. 鈴木善次・原田智代, 1990a,「遺伝教育の歴史(1) 中等教育における遺伝・進化」『遺伝』44(3): 18-21. 鈴木善次・原田智代, 1990b,「遺伝教育の歴史(2) 中等教育における遺伝・進化」『遺伝』44(4): 76-9. 鈴木善次・原田智代, 1990c,「遺伝教育の歴史(3) 中等教育における遺伝・進化」『遺伝』44(5): 55-8. |
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著書『笹舟日記』の中に「お銀さんと夜ふけの道」という随筆がある。
先日紹介した一戸町読書感想文コンクールに入賞した中村Tさんから、その主人公“お銀さん”の娘さんと同級生で、一戸駅の真向かいに住んでいると聞いていたので、先日、その方を訪ねてお会いしてきた。 この作品の内容は、名前以外は事実そのままに描かれているという。 中村Tさんも、“お銀さん”のことを知っているので、この作品を読むと、特徴を良く捉えて描かれているので、まるで目に浮かぶようで、三浦さんの文章力に感心させられると言っている。 作品に描かれている“お銀さん”の旅館は一戸駅舎の真向かいに在った佐々木旅館だが、大分以前に廃業してしまったそうで、残念ながら今はもう無い。 その跡地には娘さん家族が住んでいて、住まいの隣でスナックを経営されている。 娘さんは、小さい時からお母さんに連れられて一緒に三浦さんのお姉さんから琴を習っていたそうなので、三浦さんが都落ちして一戸町で暮らしていた小学生の頃に、稽古場でよく三浦さんを見掛けたそうだ。三浦さん宅での稽古も受けたことがあるので、三浦さんのお母さんやお姉さん達との交流もあったとのこと。 三浦作品に描かれている一戸のことを多く知っている人のようなので。今度是非ゆっくり話を聞かせて欲しいとお願いして帰ってきた。 |

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今度の日曜日は、2月例会の開催日。
会員宛に以下の内容で案内ハガキを発送したので、ここにも掲載しよう。 前回、予定していて急遽変更になった神奈川県在住のМ.Kさんは、今回は間違いなく参加すると言って、「三浦哲郎文学の旅」の計画を練っているそうなので、大勢で参加して歓迎して上げたい。 第81回・2月例会開催のご案内 ■日時:2月10日(日)午後2時〜4時 ■場所:金田一コミュニティセンター・アツマランカ 岩手県二戸市金田一字馬場80 TEL:0195-27-2114 最寄駅 金田一温泉駅 最寄りバス停:JRバス・馬場 ■例会行事 ・第1部 三浦哲郎まぼろしの作品 三浦さんが自分の著書に掲載していない作品が存在するようです。 『さすらいびと』、『雪の宿にて』など ・第2部 情報交換 1.参加者からのひと言 …全員(三浦文学や日常の出来事など) 1)青森県近代文学館の新収蔵資料展 「十人点描―資料が語る作家のこころ」について …沖野 2)一戸町読書感想文コンクール入賞作品『忍ぶ川』について …沖野 3)『お銀さんと夜ふけの道』の主人公について …沖野 4)その他 2.その他 ●参加費:無料 ●参加申込:特に無し。自由参加。会員以外の方でも参加自由です。 ●問い合せ先:電話0195-27-4282 fax27-4284 Eメール:okino@smile.ocn.ne.jp 三浦哲郎文学を読む会 会長 沖野 覚 〒028-5711 二戸市金田一字馬場119-3 ※求む新入会員! 大歓迎新入会員! 因みに、М.Kさんの「三浦哲郎文学の旅」は、金田一温泉に3泊4日してから、八戸市にも寄って帰るそうで、三浦作品を持参して読書もしながらの静養を兼ねた三浦文学三昧の計画のようだ。 折角なので、知人の食の匠のそば工房で、そば打ち体験でもして貰おうかと、提案させて頂いているところである。 来訪が最も寒い時期になるので、風邪をひかないように気を付けて頂きたいと願うのである。 |
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以前に掲載した『第34回一戸町読書に関する作文コンクール』の結果の発表があったそうで、「忍ぶ川」で応募した中村Tさんから報告の手紙を頂いた。
手紙には主催者から届いた「コンクール表彰式について」(コピー)の案内文が同封されていて、中村さんの作品が優秀賞に入選したと書かれていた。 奥中山公民館で三浦哲郎文学についてのセミナーを受講されて、今回の題材に繋がったことなので、ご縁を繋げることができて大変嬉しく思っている。 2月15日(金)午後3時30分から一戸町コミュニティセンター・ホールで表彰式が行われるとのこと。 一昨日、手紙のお礼と入賞のお祝いを言いたくて電話を差し上げたら、今回は表彰式の時の朗読の機会はなかったと残念がっていた。 いつかの機会に、読む会の例会に参加頂いて、入賞作品を披露して貰いたいとお願いしているところだ。 中村さん、本当におめでとうございます。 |



