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20日ばかり古い情報であるが、デーリー東北新聞コラムより
【コラム】天鐘(デーリー東北新聞社/2008/06/14掲載)
昨日の話とも関連するが、太宰治の死に少なからぬ衝撃を受けた一人に作家の長部日出雄さんがいる。当時弘前市内の中学生だった長部さんは、国語教師から日本一の小説家と聞かされて驚く▼学校の帰りに寄った古本屋で買い求めたのが『お伽草紙』。文章の面白さに引き込まれてその夜のうちに読了。翌日、国語の時間に朗読させてほしいと申し出たという(太宰治に出会った日)▼八戸高校に通っていた三浦哲郎さんはスポーツに熱中、小説を手にとることはなかった。同じ下宿生の一人が新聞を広げ「あ、太宰ジが死んだ」と叫んだのを覚えているが、彼のことを笑えない、と随筆の中で回想している▼そんな三浦さんが太宰文学に接するのは大学に入ってから。友人に借りた『晩年』を読んで感動。太宰作品をはじめその師である井伏鱒二などの小説を読みふける傍ら、自らも習作を始めて文学の道を目指す▼三浦さんが同人誌に発表した一作が縁となって井伏の知遇を得、以後師事することになるのは二十四歳の時。太宰が亡くなって七年後のことだ。太宰と三浦さんの師がともに井伏というのも不思議な因縁というべきか▼三浦文学の魅力についてはあらためて言うまでもないが、八戸市公会堂の前に建つ文学碑に解説板が設置されるという。十六日の除幕式にはミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」公演で来八する劇団四季の団員も参加して花を添える予定と聞く。
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◆【コラム】天鐘(デーリー東北新聞社/2008/06/13掲載)
作家の太宰治と会ったのは昭和二十三年四月十四日。八日に上京して以来、三鷹の自宅を二度訪ねるものの空振り。三回目にしてやっと氏をつかまえることができた、と本紙記者は回想している▼「ホープ青森 漫訪記」と題するインタビュー形式の連載企画。都内で活躍する青森県出身者の十数人をリストアップ、近況や故郷への思いを語ってもらおうとの狙いで、前途を嘱望される太宰はその一人だった▼地理にうとい記者を近くの病院にいるからといって案内してくれたのは美知子夫人。病院を出て仕事場へ向かう途中、歩きながらの取材だった。以下、記者の質問や感想は省くが、太宰はこんなふうに答えている▼「ペンネームは弘高時代の同級生の姓をとったのでなく、そのことは後で知りましたよ」「県民は俺を笑っているよ」「芸術家なんていうものは、悪口を言われているからね」「一番好きな酒、遊んで本を読んでいたいね」▼その太宰が小説の「グッド・バイ」を道半ばにして愛人と玉川上水に身を投げたのは六月十三日の深夜。折からの雨で増水した川の流れは激しく、遺体が発見されたのは、三十九歳の誕生日に当たる十九日のことだった▼衝撃的だった太宰の死。先の本紙記者も二カ月前のインタビューとあって回想の筆を執り、死の背景などにも言及している。今なお多くの人を魅了してやまない太宰文学だが、今年は没後六十年、来年は生誕百周年を迎える。
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