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水上勉

作家・水上勉は第94〜100回芥川賞の選考委員で三浦さんと一緒だった。
『作家生活50年 三浦哲郎の世界』(デーリー東北新聞社発行)に掲載の、選考委員会の模様の写真に一緒に写っているのを見かけた。
昨夜、その水上勉の『私には家庭がなかった』『続 足もとと提灯』1977.4家の光協会に収録出典)を読む機会を得た。
それは、『日本の名随筆83【家】小島信夫編』〔1989.H元.9.作品社発行)に掲載されていた。

水上勉http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E5%8B%89も、やはり、家庭に恵まれず苦労した人生を歩んだ作家であった。この短い随筆の中には、その生立ちのことが書かれている。
わずか6歳の時に、口減らしのために京都の寺に預けられたが、その時の母との分れが生涯脳裏から離れないと同時に、自分の頭の中にだけ生きる姿となった。それから、自分は、母のまぼろしだけを抱いて暮らしたと言っている。
 
〈私には、家庭がなかった。私を力強くしつけてくれた父母もいなければ、温かく抱いてくれた和尚さまもいなかった……私はいつも愛に飢え、孤独であった……。
 私は、はるか北の空を拝んで、ああ、あの雲の向こうには若狭がある、母が生きている故郷があると、心に思うて暮らすしかなかった淋しさを今日でも思い出す。
 言ってみれば、二十歳頃までの私は、世の中に対する反撥心ばかりを体に固めて育った。だから、私には、私を温かく育ててくれた、教育してくれた家庭というものはない。
 あるとすれば、そういう家に育ちたいと願った憧れである。劣等感との闘いに終始して青年期を送った。いま、私は、作家として米塩の資を創作にたよって生きているけれども、なさねばならない仕事があるとすれば、自分の中で固まってしまった、かたくなな心をほぐす作業しかないように思われる。〉


若い頃から幾つかの作品に親しんでいた苦労人の水上氏に、三浦さんと相通じるものが漂っていると思うのは私だけだろうか。

水上さんは、母のことを思い出すと、いつもうかぶのが田圃の畦(あぜ)の思い出だったそうだ。
福井県の若狭地方(大飯郡本郷村(現おおい町)岡田)に生まれ育った水上さんは幼い頃、いつも田圃で働く母についていって、畦(あぜ)で二人の弟をあやしていたが、乳籠(つご)に入っていた下の弟が泣き出すと脇にいて、その乳籠をゆすぶるのが役目だったと言う。

この「乳籠(つご)」についてこのように説明書きをしている。

乳籠というのは、わらであんだ桶みたいなもので、ぼろ布がいっぱい入れてあり、赤ん坊をボロに包んで、紐でくくられ、その中にとじこめておくのは、村の貧しい家の習慣である。

これは、正しく、我が南部地方でいう「えんつこ」と同じではないか。
本物の形はどうか分らないが、「わらであんだ桶みたいなもの」だから、ほぼ同じなのだろう。
紐でくくられたり、兄姉たちが脇にいてゆすってあやすなどは、「えんつこ」での役目となにも変わらない。
そう言えば、古布人形作家の久保田のり子さんも確か先日の電話で、「えんつこ」って「乳籠(つご)」のことでしょう、少しは知っているからと言っていたのを思い出した。

若狭と言えば、三浦作品に蒸発した兄との再会を願い舞鶴を訪ねる『風の旅』という小説がある。

このように、三浦哲郎繋がりで、色々な方向に限りなく進展していく。
正に、三浦哲郎の世界は広がり続けているのである。

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