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※この記事は、信州「市民タイムス」http://www.shimintimes.co.jp/ の『熊井啓への旅』を、許可を得て掲載するものである。

熊井啓への旅

忍ぶ川-1
美しく純粋 愛の物語
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/kumaikei/kuma18.html

 「志乃(しの)をつれて、深川へいった。識(し)りあって、まだまもないころのことである。」
 三浦哲郎(てつお)の短編小説の傑作『忍ぶ川』は、この一行から始まる。
 「忍ぶ川」の題名から忍ぶ恋、道ならぬ恋を連想しがちだが、そうではない。昭和二十年代の末、若い男女の哀(かな)しいほどに美しい、いじらしい愛であり、こんな時代のこんな恋愛もあったろうか、と想像される物語である。
 二十歳のヒロイン、志乃がいい。東京屈指の遊廓(ゆうかく)、深川洲崎(すさき)の射的屋(しゃてきや)(的(まと)をおもちゃの銃で撃つ遊びをさせる店)の娘に生まれ、ごく貧しい育ちなのだが、性格が真っすぐでけなげなのだ。
 主人公の「私」は、東北の片田舎から大学に通うため東京に出て来て学生寮に住んでいる。その寮の卒業生の送別会で、近くの小さな料亭「忍ぶ川」に繰り出し、看板女中の志乃を見初める。「おい、ちょっと」と呼びとめ、冷たい水をくれと言うと、志乃は「はい」と返事をして奥へ消える。その「はい」という返事が、私には何かの音色(ねいろ)のように耳の中で余韻を引く。
 私は「忍ぶ川」に通い詰め、あるとき深川で兄が消えてしまったと口にすると、志乃は深川は生まれ育った土地だと目を輝かし、八年ぶりに深川に行ってみたいと言う。それで二人は志乃の薮入(やぶい)りの日(正月と盆の十六日前後に奉公人が休みをもらい、自宅に帰れる日)に深川に行くのだ。
 白い日傘の相合い傘で娼婦(しょうふ)の町を歩く私と志乃。「ここなんですの、あたしが生まれたのは」。正面から私を見つめた志乃の額の汗がみるみる玉を結ぶ。私は「いいんだ。いいんだよ、それで」と上ずった声を出し、志乃はなおも私を睨(にら)んで「忘れないように、たんとごらんになって」と言うのである。
 原作のあら筋を長々(ながなが)追ってもいけないが、志乃は好きになった男に自分の育ちのすべてをさらけ出し、受け入れてもらおうとする。
 『忍ぶ川』を愛読書の一つに挙げる山本容子さん(39)=松本市島内=は、二人が洲崎に向かう前、最初に歩く木場(きば)で、主人公が「どうやら木場は、心のみちたりているときの私には無縁の街であるらしかった」と思うその心情が、不思議なほどよくわかると話す。
 主人公の私はこれまで木場を歩く際、必ず目だけが泣けてきた。木場は木材と運河の町。風の中に見えない木の粉が溶け込んでいて、よそ者の目には染みるのだが、志乃と二人で歩く幸せな今日は、そうならなかった。
 深川木場は江戸期、掘割(ほりわり)を縦横にめぐらせ、船に積まれて紀州などから湾に運ばれてきた材木を引き入れた。材木商たちはここで巨利を得、色町もまた栄えた。私や志乃が歩いた当時、運河や筏(いかだ)、貯木場は至るところにあり、文字どおり木場の面影をとどめていたのだが、平成元(一九八九)年、司馬遼太郎が連載紀行『街道をゆく』で「本所(ほんじょ)深川散歩」を記したときには「木場は、町名だけをのこして、いまはない」となってしまっていた。
 熊井啓が『忍ぶ川』に出合うのは、昭和三十五(一九六〇)年冬のことである。
 熊井は日活撮影所の定期健康診断で結核が見つかり、療養を余儀なくされていた。チーフ助監督で実績を積み、監督になるのは時間の問題だった。ところが長期入院を強いられ、多額の費用がかかったうえ、会社とは一年ごとの契約更新、このままでは監督昇進どころか契約を解除されかねなかった。
 熊井は生き残るために石原裕次郎や売り出し中の赤木圭一郎、吉永小百合作品のシナリオを、医師の目を盗んでせっせと書いた。バラック小屋の結核病棟、真夜中に患者が喀血(かっけつ)し、看護婦が廊下を慌ただしく駆ける音を聞きながら、熊井もまた必死だった。
 「私は焦燥(しょうそう)感にさいなまれながら、一日一日を過ごしていた。診察のたびに異なった意見を出す医師たちに、ついに不信感をもち」、専門書を買い込んで自分の病状を調べたり、心は次第に荒(すさ)んでゆく。
 そんな冬の朝の洗面の帰り、廊下の粗末な本棚に表紙の取れかかった雑誌『新潮』が目に留まった。ぱらぱらめくると、三浦哲郎「忍ぶ川」という文字が飛び込んできた。


 文/赤羽康男


熊井啓の経歴
 熊井 啓(一九三〇−二〇〇七) 映画監督。豊科町(現・安曇野市)に生まれ、松本市で育った。松本中(現・松本深志高)から松本高等学校に入学、新制の信州大学理学部を卒業した。独立プロの助監督を経て日活撮影所監督部に入社、助監督後、「帝銀事件・死刑囚」で監督デビュー、骨太な社会派監督として活躍した。「海と毒薬」でベルリン国際映画祭審査員特別賞(銀熊賞)、松本サリン事件を題材にした「日本の黒い夏−冤罪」でベルリン国際映画祭特別功労賞など受賞多数、紫綬褒章も受けた。主な監督作品に「黒部の太陽」「忍ぶ川」「サンダカン八番娼館・望郷」「深い河」ほかがある。

気になるサイトを見つけたので、記事の転載の承諾を申し出ていたら、許可を頂いたので、これから9回シリーズで紹介する。

映画『忍ぶ川』の監督を務めた熊井啓氏(昨年死去)の出身地信州の「市民タイムス」というところのホームページhttp://www.shimintimes.co.jp/ で映画監督・熊井啓の功績を讃えて、その作品に纏る話を綴った『熊井啓への旅』を掲載しているのである。http://www.shimintimes.co.jp/yomi/kumaikei/kuma18.html

その中に『忍ぶ川』もあり、とても良い内容だったので、是非、三浦文学ファンの人たちにも紹介したいと思い、転載の許可を申し出たのであった。
以前に、八戸の立花義康さんの書斎を訪問した時に、熊井啓さんの本を見せて貰ったことがあり、その中にも、忍ぶ川の映画製作についてのことが書かれていて、いつか読んでみたいと思っていたのだが、恐らく、この『熊井啓への旅』はその内容と通じるところがあるのではないかと思っている。
先ずは、あの名作映画『忍ぶ川』の出来るまでの裏話をジックリ読んで知って頂きたい。

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