三浦哲郎文学を読む会

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5月例会開催の案内

5月の例会を今度の日曜日に下記の通り開催します。

5月例会

5月10日(日) 午後2時〜4時 於:ゆのはな交流館


です。

参加費:お茶代 100円

今回は、一戸、金田一温泉、八戸を結ぶ三浦哲郎文学散歩のガイドブック作成に向けての話し合いを中心に行います。
一戸の方との連携を望んでいるので、一戸の方も参加して頂けることを期待しています。



会員以外の方も大歓迎です!

※この記事は、信州「市民タイムス」http://www.shimintimes.co.jp/ の『熊井啓への旅』を、許可を得て掲載するものである。

熊井啓への旅

忍ぶ川-2

映画づくり 情熱再び
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/kumaikei/kuma19.html

熊井啓は「忍ぶ川」の世界に引き込まれ、この短編を読み終えたとき、目の前の朝食はすっかり冷え切っていた。その日熊井は「忍ぶ川」を繰り返し読み、久しぶりに満ち足りた気分を味わう。
 「私は猛然と映画がつくりたくなった。そのためには徹底的に病気を治して、他人よりも四年や五年遅れてもかまわぬから、気長(きなが)に体力づくりに励み、初心どおり、なんとしてでも監督になるべきだと決心した」(「小説『忍ぶ川』と出会う」)
 こうした強い感受性と一途(いちず)さがのちに熊井を映画監督として大成させるのだ。「忍ぶ川」との運命的な出合いは、情熱を燃やし続ける“導火線”の役割を果たした。
 昭和三十六(一九六一)年三月、熊井は一年三カ月ぶりに退院する。六月には知人の紹介で、十歳年下の二十一歳の井口明子さんと松本で見合いし、互いに一目惚(ぼ)れして結婚を約束した。
 「忍ぶ川」の映画化権は東京映画がすでに握っていたのだが、なぜかちっとも映画にはならず、熊井はそれを気にしながら「帝銀事件・死刑囚」「日本列島」を作った。
 四十一年五月三十日の夜のこと、松竹の前田陽一監督から突然電話が入る。
 「熊井君、『忍ぶ川』を撮らないか」
 「え!?」
 「読売新聞の座談会で『忍ぶ川』をやってみたい、と言っていただろう。ぼくは岩下志麻主演で『忍ぶ川』を企画してみたが(松竹では)許可されなかった。だから君にぜひやってほしい」
 熊井が「でも映画化権の問題があるでしょう」と尋ねると、前田は「東京映画の契約はもう切れてるよ。(原作者の)三浦哲郎(てつお)とは早稲田大学時代の知り合いでね、三浦から直接聞いているから間違いない」と答え、「やるからには必ずいい作品を作れ」と励ましてくれた。
 熊井は胸が熱くなった。長い間夢見続けた「忍ぶ川」が、思いがけず実現に向かって一歩踏み出した。
 熊井啓は前田に頼んで東京練馬の三浦哲郎宅を案内してもらった。「三浦夫人にお目にかかりたかったのだ。もっとはっきり言えば、『志乃(しの)』のモデルに会いたかった」。(『忍ぶ川』は三浦哲郎の自伝的小説ゆえ、ヒロイン志乃は三浦夫人、というのが通説だった)
 熊井たちが玄関のドアを開けると、和服姿の三浦夫人が廊下の奥から姿を見せた。熊井は直感する、志乃は間違いなくこの女(ひと)だと。
 「塵芥(じんかい)に染まらず、生活の澱(おり)をにじませていない明るい素顔。あか抜けして張りのある美しさ。娘のような取り繕(つくろ)わない自然さ。静かではあるが、きりっと身体全体に芯(しん)の通ったものごし」が伝わって「私はこれで、映画『忍ぶ川』はできた」とさえ思う。
 河出書房新社の文芸誌『文藝』の編集長を務めた長田(おさだ)洋一(よういち)さん(63)=安曇野市穂高柏原=もまた、小説原稿の件で三浦宅を訪ねている。長田さんは夫人に志乃のイメージとは異なるものを感じたそうだ。
 長田さんは映画監督の深作欣二(ふかさくきんじ)や今村昌平(いまむらしょうへい)とのつきあいから、映画を作るに当たっては、資金集めがいかに大変か聞かされてきた。熊井作品も大方見ており、「娯楽性の強い日活で、よくああいう社会性、文学性の高い作品を撮れたと思う。そこで自分を貫き通すのは大変なこと。ストレスを酒で紛(まぎ)らわせようとした気持ちもよくわかる。常に辞表をポケットに入れて仕事をするみたいなものです」と実感を込めて語る。
 熊井啓のような一本筋が通った監督はもう出ないかもしれない、と長田さん。
 三浦夫人の印象もさることながら、熊井は三浦哲郎本人の人間性に魅せられた。穏やかな、微笑を絶やさない恥ずかしがり屋、根っからの文人であり、その人が全人生を『忍ぶ川』に込め、結果芥川賞受賞という形で認められた。
 熊井は三浦に会い、それらが「ある痛ましい美しさ」を伴って迫ってくるのを感じ、何としても映画を成功させなければと決意する。
 三浦のほうも熊井の誠意を感じ取り、映画化の申し入れを快諾した。映画完成後こう書いて敬意を表している。「私は、それまで熊井さんといえばいわゆる社会派の映画作家だと思っていたから、ちょっと意外な気がしたが、長い時間話し合っているうちに、この人こそあの作品を託すべき唯一の監督だと思うに至った」

 文と写真\赤羽康男




熊井啓の経歴
 熊井 啓(一九三〇−二〇〇七) 映画監督。豊科町(現・安曇野市)に生まれ、松本市で育った。松本中(現・松本深志高)から松本高等学校に入学、新制の信州大学理学部を卒業した。独立プロの助監督を経て日活撮影所監督部に入社、助監督後、「帝銀事件・死刑囚」で監督デビュー、骨太な社会派監督として活躍した。「海と毒薬」でベルリン国際映画祭審査員特別賞(銀熊賞)、松本サリン事件を題材にした「日本の黒い夏−冤罪」でベルリン国際映画祭特別功労賞など受賞多数、紫綬褒章も受けた。主な監督作品に「黒部の太陽」「忍ぶ川」「サンダカン八番娼館・望郷」「深い河」ほかがある。

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