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森林康氏に面談した時に、幾つか印象に残った話しの中から書き残して置くことにする。
『とんかつ」という短篇小説のように、短篇という枠の中で無駄を極力削いで、奥行きを増す文章手法は三浦さんの凄いところで、三浦流に緻密に考え抜かれた文章が三浦文学の醍醐味なのだと教えてくれた。
「とんかつ」では、主人公にピントを合わせて、細かな描写をして、廻りの登場人物はさり気ない極力抑えた描写にしてピントをぼやけさせている、それがかえって主人公をクローズアップさせていて、読者にブレを感じさせないで、引込まれる小説に仕上げてある。それが三浦文学の魅力で、三浦さんのすばらしいところだ。
何度も読み返していると、そういう作者の思惑が見えてくるようになり、本当に良く考えて文章を書いている人だと分る。と話していた
森林さんは「月」に拘りがあるようで、日常でも月暦を大変気にされている人だった。
緑風荘が焼失した日は、前日が満月の日だったが、細くいうと焼けた日の方が満月に近いので、『ユタとふしぎな仲間たち』のラストシーンの内容に益々似ている出来事だった、と、私たちには気付かない視点で小説を分析していた。
そして、他の作品でも色々な場面で「月」の描写を拘って登場させているので、同じ思いの三浦さんを見たと話してくれた。
『愁月記』では、お袋さんが危篤だと聞いて、列車に乗って一戸に帰って来る途中途中や、お袋さんが亡くなるまでのシーンで、それぞれの<「月」の描写を多用して、季節感や時間経過、心境の変化を表現している。これを読者側でそれぞれの思いで感じ取らせるという、巧みな手法を使って文章が構成されている。三浦さんは「月」を『ブンペと湯の花』や『ユタとふしぎな仲間たち』でも「夏みかんのような月」などとして、登場させている。
「花」や「植物」も同じようなかたちで描いて、それぞれに意味をもたせていることが多いのも、三浦文学の魅力なのだと言う。
さすがに、三浦文学研究家である。何となく読んでいるところにも深い魅力が潜んでいることを教えて頂いた。
これからも、もっともっと三浦文学の魅力を気付かせて頂きたいと思う。
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