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先日来紹介している『剥製』の〈あとがき〉に、死についての三浦さんの思いの一端が描かれている文章があるので紹介する。
《終戦のとき、私はかぞえ年十五で、旧制中学の三年生であった。兵士として戦場へは出なかったが、戦時教育で鍛えられた筋金入りの軍国少年であり、軍事教練で武器に親しみ、勤労動員で要塞構築に参加し、米軍機の空襲下で一再ならずこれが最期かと観念した経験をもつ。戦中派というには稚なすぎ、戦後派というには戦争の匂いを知りすぎている、谷間の世代の一人である。
戦争中、私は飛行兵志望で、終戦のその日まで受験の準備に没頭していた。もしも戦争があと三年長引いていたら、私もまた「蒼い断章」の桂のように、蕎麦の花のまぼろしを抱いて死地へ赴くことになったかもしれない。そのころの私は、いずれ飛行兵にはなれなくとも、自分には二十三歳以後の人生などありえないと思っていた。二十になれば徴兵検査がある。たとえ、兵士になって二十三歳まで生き得たとしても、あるいは「冬の狐火」の音次や「火の中の細道」の櫟のような運命を辿ったかもしれない。
私は今でも戦争中の夢を見ることがあるが、そんな夢といえば、どれも決まって自分が死場所へ向って駆け出すところで終わるのは、あのころ、毎晩のように寝床のなかでさまざまに思い描いた自分の死にざまの残像が、いまだに私のなかに生き延びているせいであろうか。》
三浦さんの作品を読み味わう上で是非とも読んでおいて戴きたい文章である。
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