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三浦哲郎氏は執筆に行き詰まると、風呂場に行って、自分の手や足を洗う癖があるそうだ。
『熱い雪』(1961.S41.11.30.大光社発行)の中の、随筆『書けないとき』(文学者・1961.S41年3月号初出)に、そんな行き詰まった時の心境が書かれてあるのを読んで、何気なく頷いてしまった。
「建築設計士」の職業のわたしも、やはり、作家と同じで、ものを創造する仕事なので、同感を覚えてしまう。
それぞれに、ジンクスを持って、その難関を突破することになるのだが、三浦さんは、実際、生活も仕事も暗澹たるころに、街の銭湯のなかで何度も再起のきっかけを見つけることができたそうで、自分の身体をごしごし洗うのは、一種の信仰のようなものだと言っている。
そう言えば、あの芥川賞作品『忍ぶ川』も、銭湯の帰りに、書き出しの名文が生まれている。
《もうひとつには、これは直接手足とは関係の無いことだが、自分はつねに新しい気持ちで仕事がしたいものだと思う気持ちからきているよな気がする。私はかねがね、いつもはじめて小説を書くような気持ちで机に向うことをモットーにしているが、はじめのうちこそ、そわそわして、身のまわりを整理したり、書き出しを十ぺんも改めたりするものの、十枚目をすぎると、ほっとして、とたんに馴れた気持ちから、ここはこういけば楽なんだがな、とか、ここはこう書いていけば近道なんだがな、とか思ったりする。そういうことがみえはじめると、私は、とたんに書けなくなってしまうのである。
思った通りを、そのまま一直線に進めれば、それでいいのだが、私にはどうも馴れが気になる。馴れが結局練達にはつながらないと思われてならない。いけない、いけないと私は机を離れて、風呂場へおりる。》
ごしごし洗いながら「もっと楽しみながら仕事ができないものか」と思うのだそうだ。
48年も前に書かれた随筆であるが、三浦さんのこのような信条は、その後の数々の作品を読んでみると、今も変わらないことが良く分かるのである。
どういう訳か、風呂場やトイレにいて、妙案が浮かぶのは、私もよく体験している。信仰までは行かないが、それが私のジンクスなのかもしれない。
本当に、もっと楽しみながら仕事がしたいものである。
さて、あなたのジンクスは何?
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