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※この記事は、信州「市民タイムス」http://www.shimintimes.co.jp/ の『熊井啓への旅』を、許可を得て掲載するものである。

熊井啓への旅

忍ぶ川-9(最終回)

執念が実り名作誕生
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/kumaikei/kuma26.html

 熊井啓の「忍ぶ川」は仕上がった。封切りを前に昭和四十七(一九七二)年五月十六日夕、熊井は東宝本社に、尊敬する黒澤明監督と原作の三浦哲郎夫妻を招いて特別試写会を開いた。黒澤監督とは「私の次回作を見てください」「わかった。必ず見る」と約束を交わしており、黒澤は熊井の連絡を受けて快く来てくれた。
 三浦夫妻には長年心配をかけてしまったため、映画評論家や新聞記者たちの試写会に同席してもらうつもりでいたところ、夫人が「皆さんと一緒に見るのは気恥ずかしい。封切り後にどこかの映画館でこっそり見ます」と伝えてきて、それでは失礼にあたると、この日の特別試写会となった。
 試写の「長い長い二時間」が終わり、熊井が心配げに立っていると、黒澤が近づいて来て「おめでとう」「良かったね」と大きな手で握手を求められた。三浦とも手を握り合った。夫人の顔には温かいほほ笑みがあり、熊井はほっと胸を撫(な)で下ろす。
 三浦はそのときのようすをこのように述べている。「私が嬉(うれ)しかったことは、熊井さんが暗さを厭(いと)わず主人公の『私』を原作以上に掘り下げてくれたことである。映画の『私』のセリフの一つ一つは、私の胸には、画面から唸(うな)りを立てて飛んでくる手裏剣(しゅりけん)であったが、試写が終わったとき、私は熊井さんと無言で固い握手をした」。三浦の満足感が伝わってくる。
 「忍ぶ川」は見事なまでに支持を得た。映画雑誌『キネマ旬報』の選考委員五十人の総得点で選ぶベストテンで、昭和四十七年の一位に輝いた。
 栄(は)えあるキネマ旬報ベストテン日本映画作品賞だ。同監督賞、脚本賞に加え、読者選出のベストテンも一位。専門家、読者双方で文句なしの年間ベスト作品だった。ほかに毎日映画コンクール日本映画大賞、同女優演技賞、音楽賞、録音賞を受け、さらに熊井は芸術選奨文部大臣賞も受賞した。(日本アカデミー賞はまだ創設されていない)
 四十七年は日活「ロマンポルノ」が話題を呼び、大躍進した年。映画界全体がピンク色に染まったのだが、モノクロの純愛映画「忍ぶ川」がそれらを押しのけた。ヒロイン志乃を演じた栗原小巻は一躍スター女優となり、吉永小百合のサユリストに対してコマキストと呼ばれるファンが生まれた。いまでも栗原小巻の代表作は「忍ぶ川」であり、志乃は彼女以外にはないと思わせる。
 キネマ旬報ベストテン表彰式は東京・千代田劇場で開かれた。作品賞、監督賞を熊井が受け、「一条さゆり 濡(ぬ)れた欲情」などで伊佐山ひろ子が女優賞、伊佐山の持つ独特の雰囲気が会場全体を包んだのだが、最後にあいさつした白井佳夫(しらいよしお)編集長がよかった。「熊井さん、お立ち下さい。…そして撮影中、監督につきっきりで看病された『忍ぶ川』の陰の功労者、監督の奥様、明子夫人です」
 拍手が鳴りやまず、立ち上がった明子夫人に花束が渡された。ところが壇上の熊井は知らんぷり、照れくさかったのだろう。会場にいた映画評論家・西村雄一郎さんは、熊井監督にとって志乃のモデルは「この明子夫人なのだと思った」と記している。(『黒澤明 封印された十年』)
 「忍ぶ川」は熊井の執念が完成させた作品だ。
 結核病棟で伏(ふ)せっているとき原作を読み、監督になってこれを映画化するんだと心に誓ったものの、日活では曲折を繰り返し、フリーになってようやく実現の道が開かれた。ところが、クランク・インを控えて出血性胃炎で救急搬送、死線をさまよい、入院療養を強いられた。ロケ中にも下血し緊急入院した。どの時点で道が断たれても何の不思議もなかった。それなのに完成にこぎ着け、名作の評価を勝ち取った。“映画の神様”がいるとするならば、熊井はその神様の恩寵(おんちょう)を受けたのだと思わずにはいられない。
 熊井啓は平成十(一九九八)年、「忍ぶ川」の夏のロケをした深川木場(きば)を一人歩いている。当時、縦横に走っていた堀は埋め立てられ、数百はあった貯木場や材木屋も跡形もなく消えて道路、公園、高層ビルに変容していた。
 「深川を知らずして江戸は語れないとまでいわれた風景は、わずかしか残っていない。私の生命を助けてくれた太田六敏氏をはじめ、この深川を愛したメーン・スタッフや俳優の幾(いく)たりかも、すでにこの世にいない」と録し、ロケ現場の熱気と喧騒(けんそう)を懐かしんでいる。


 文\赤羽康男




熊井啓の経歴
 熊井 啓(一九三〇−二〇〇七) 映画監督。豊科町(現・安曇野市)に生まれ、松本市で育った。松本中(現・松本深志高)から松本高等学校に入学、新制の信州大学理学部を卒業した。独立プロの助監督を経て日活撮影所監督部に入社、助監督後、「帝銀事件・死刑囚」で監督デビュー、骨太な社会派監督として活躍した。「海と毒薬」でベルリン国際映画祭審査員特別賞(銀熊賞)、松本サリン事件を題材にした「日本の黒い夏−冤罪」でベルリン国際映画祭特別功労賞など受賞多数、紫綬褒章も受けた。主な監督作品に「黒部の太陽」「忍ぶ川」「サンダカン八番娼館・望郷」「深い河」ほかがある。



続けて読んで頂いた方、長い間お付合い頂いてありがとうございました。
あの名作映画が出来るまでの苦労と、運命があったことが判り、感動することが多く借りました。
皆さんの読後の感想などを聞かせて頂けたらうれしいです。

昨夜、三浦哲郎文学散歩ガイドマップ編集委員会の第一回編集会議が開催された。
夜6時から菅原会員のお宅の離れを会場に使用させて頂いて、5名の委員が集まり、一戸、金田一温泉、八戸の3地域の地図を見ながら、制作の概要を打合せした。
6月の移動例会が一戸の文学散歩体験になっているので、それに向けて、一戸のガイドマップ作りから編集に入ることにし、例会日に向けて、散歩コースのゆかりの場所をピックアップして、次回までにその場所の説明文を各自がまとめて持ち寄ることにした。
一戸の実体験の次は八戸もやはり実際に体験してみなくてはならないことになるだろう。
体験散歩には一般の人たちにも参加を呼びかけてみようということになっている。

委員会は毎週開催しながら、ガイドマップ作りに励んで行くことに決めた。

今日は、誘い合って相乗りで来る予定のO会員とT会員が、お互いに携帯電話を持たない不便を痛感する体験をしてしまったようだ。
双方の待ち合せ場所の勘違いで、探し回り、到着が大幅に遅れてしまったのであった。
こんな時に携帯電話の便利さが実感させられる。

次回は21日(木)午後5時半から
に決めて、お開きとなった。

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