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■写真:共同墓地…りんごの形をした墓石が興味を引く。
昨日の、協働奉仕作業は温泉の人達との新たな交流の場になった。
作業をしながら、慰労会の場で飲食しながら、地元の人達と話しをする機会が出来て、とても有意義だった。
読む会の活動を知っている人達なので、色々情報を提供して頂いた。
温泉タクシーの社長さんは、実家が二戸市内(旧福岡町)にある「南部美人」の久慈酒造で、二人の姉が三浦さんのお姉さんの琴の教室に通っていたことがあり、琴の先生をよく見かけたと話してくれた。
そう言えば、以前に、二戸市立図書館の蔵書の中に、久慈酒造の女将さんに宛てた三浦さんの直筆サイン入の本を見かけたことがあったが、それは久慈酒造から寄付された大切な本だったことは判ったが、どのようにしてサインを得たのかを知りたいと思っていた。
これで琴の先生を通じて三浦さんとの面識があったかもしれないことが判った。
りんご園の大沼さんは、姉たちが中学生の頃、三浦さんのお母さんに頼まれて、学校の帰りに金田一の診療所から薬を貰って来て、届けて上げていたことがあり、お礼に飴玉などを貰っていたと話してくれた。
温泉美容室の五日市さんは、昭和3年生れで、三浦さんより3歳年上になるが、三浦さん家族がダンジャで暮らしていた頃に、三浦さんが休みで帰ってきた時や、ここで生活をしていた時に、文平=文男さんと共によく会っていたという。
文男君ばかり書かれて、自分のことはさっぱり書いてくれなかったようだと洩らしていた。
五日市さんとは、ゆっくり話ができなかったので、改めて話を聞かせて貰いたいと思う。
昨日は、植樹作業と併せて共同墓地の給水引込の貯水装置や配管埋設の作業も行われたようで、共同墓地の話題も聴くことができた。
三浦さんの小説に出てくる共同墓地には、ただ土を山のように盛っただけとか、その上に丸い石を載せて墓石変わりにしたお墓が描かれているのは、当時は実際にそのような墓だったと、大沼さんに教えて貰った。
やはり、丸い石は墓地脇の深い沢の下を流れる長川に転がっているノジュール(団塊)だった。
この共同墓地の管轄のお寺は、金田一の長寿寺だと言うから、三浦さんが『ユタとふしぎな仲間たち』の中で鐘を鳴らすお寺のイメージを長寿寺にして描いたというのも頷ける。
三浦さんは写実作家なので、このように作品の中身を色々検証しながら、当時の事を懐かしむことができる。
発見は、まだまだ続きそうだ。
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