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■写真:ゆかりの家に掲げられた軍鶏の絵
金田一温泉郷の三浦哲郎文学散歩コースを歩いていると、途中の小径で軍鶏(シャモ)に出会うことがある。
「ゆのはな交流館」から「ゆかりの家」に行く途中の曲がり角(通称「十文字」)に供養塔石碑群がある。この角の家の住人が闘鶏好きのようで軍鶏を飼育している。時々、放し飼いにして散歩をさせるので、暢気に道端を歩いていたりする。
ある時、「ゆのはなガイド」をしながらツアー客を案内していて、この場所に来た時に鳥の鳴き声を聞いた客が、「あっ、軍鶏の鳴き声が聞こえる!」と驚いたのだった。鳴声で軍鶏だと分るとは凄いものだ。そして、さすがに三浦ファンだけあって、「軍鶏」が三浦作品に欠かせない貴重な存在であることを、その人は知っていた。
それ以来、この場所は三浦文学散歩コースのワンポイントとなっているのである。
三浦さんは、文学を志して金田一温泉を離れる時のことを書いた小説『ブンペと湯の花』の最後の方で、軍鶏の歩く姿に胸を打たれた思いを綴っている。
《離村の決意を固めた朝、私は一羽の軍鶏が無人の村道を東の方へ歩いて行くのを見た。血走った目をけいけいと光らせ、羽毛がこそげ落ちて赤肌がむきだしになった胸を張って、一歩一歩霜柱をふみしめる歩調で歩いて行くのを見て、私はなんとなく胸を打たれた。
私は、ひさしぶりに金釦の学生服を着て、石垣の突端に立ってみた。学生服はながいあいだ行李の底にしまい込んで置いたので、すっかり樟脳くさくなっていた。しかし、私はやがてそれに数年前とおなじように、汗と煙草の匂いをしみこませることができるだろう。私は再び東京へでてもう一度自分をためしてみようという決意を固めていた。》(『ブンペと湯の花』の「赤い毛布」章より)
〈石垣の突端〉とは、ダンジャ坂を登った庚申塚の分かれ道のところのこと。
三浦さんは、『軍鶏』という題名の小説も書いている。
この小説は、郵便配達の六さんが、村の道で軍鶏に出会ったのが元で、村一番軍鶏気違いの権七爺さんが、入浴中の湯舟で中気にあたって倒れている所を発見して一命を取留めたが、見舞いに訪れた闘鶏仲間たちが、快気祝いに庭先で催してくれた闘鶏大会を見ていて、自分の軍鶏の出番を前にして興奮した所為に死んでしまい、闘鶏仲間たちが今度は追悼闘鶏大会を開く算段をするという、軍鶏にまつわる話しになっている。
ここでも、三浦さんは軍鶏の歩く勇ましい姿を描写している。
《雨あがりの朝、湯あがりの軍鶏が一羽、浅くぬかるんでいる村はずれの街道を、ゆっくり東の方へ歩いている。長い脛をまっすぐに立て、鋭い目つきをして、肩を怒らせ、羽毛がこそげ落ちて粟立った地肌がむき出しになっている胸を張り、太くてがっしりとした肢で、一歩一歩、大股に、しっかりとぬかるみを踏み締めながら。》(『群鶏』より:単行本1974.S49.12.文藝春秋発刊、文庫本1990.H24.10.講談社発刊『野』に収録)
この時の軍鶏の体には、石鹸代わりに使っていたサイカチの実の切れ端がくっついていて、そこに、三浦さんが丁寧にサイカチの実について解説を入れてくれている。
このように、紹介した二つの小説に描かれている情景は、正に金田一温泉郷そのものが描かれているので、皆さんにも一読戴いてから文学散歩を味わって見ることをお薦めする。
因みに、軍鶏が歩いていた場面の村の街道とは、緑風荘の前の辺りと推測される。
このような三浦哲郎文学作品にあやかって闘鶏大会の盛んな金田一温泉になって欲しいと思う。
7月の温泉まつりの催し物の一つに加えてみては如何だろうか?
その際には、マニアだけでなく、一般客も見られるような企画にしてもらえたら、大きな評判になると思う。
そして、サイカチの実の提供もできるようになれば、入浴客に懐かしんで喜んでもらえるのではないだろうか。
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