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■画像:『ふれあい散歩道 三浦哲郎とともに』(1988.S63.11.30 デーリー東北新聞社発行) 表紙
古本通販サイトから、また一冊の本を入手した。
『ふれあい散歩道 三浦哲郎とともに』(1988.S63.11.30 デーリー東北新聞社発行)
である。
この作品は『デーリー東北新聞』に、昭和62年4月から、翌63年3月まで連載されたもので、小説の中にもたびたび舞台として登場するふるさとを歩き続けながら、ふるさとの人々の心を発見しようとの試みで、八戸や近隣の地で一生懸命地道に暮らしている庶民的な50人の人と面談した内容が描かれている。
●エピローグ/散歩を終えて
私は子供のころから人見知りをする質(たち)で、その上、自分がひどく話し下手だと思い込んでいたものですから、正直いって、始める前はどうなることかと不安で一杯でした。ところが、最初の、榎木のお婆さんとの対談中に自分の亡母と言葉を交わしているような錯覚にしばしば陥り、すっかり寛(くつろぎ)ぎをおぼえて、それ以来、初対面の人と会って対談を試みることが不思議に苦に思われず、楽しみにさえなりました。
いまは今度の散歩で五十人の知己を得たことを私は心から喜んでおります。
なお、五十人の方々の対談はまことに気ままな雑談の形でテープに収録し、それを林剛史、荒瀬潔両記者がてぎわよく整理して紙上に発表しました。もし両記者の尽力がなかったら、この対談はすべて取りとめのない世間話に終始せざるをえなかったでしょう。ここに改めて両記者に心からなる謝意を表したいと思います。
昭和63年 晩秋
三浦 哲郎
私は、『はまなす物語』(講談社文庫)の〈あとがき〉に書かれている文章を読んで、感銘を受けたことがあり、それが、この『ふれあい散歩道』にも通じていて、三浦文学の魅力の一つだと思っている。
その三浦さんの思いを紹介する。
私は、自分が地方の出身で、いまでも地方の暮しに強い愛着を抱いているから、作品にも地方の風物やそこで暮している人々を書くのが好きだし、地方や田舎を書くことを自分の義務の一つのように考えている。
けれども、今度の「はまなす物語」に、あえて地方出身者や、地方で地道な暮らしをしている人々ばかりを書いたのは、もちろんそんな私の好みや義務感のせいでもあるが、それとは別に、現代小説の舞台が都会に偏りがちなことに、かねがね不満を覚えていたからでもある。どうして都会小説ばかりがこんなに多いのだろう、そこに根を下ろしているのはほんの一部の人々にすぎないのに。なにも都会にばかり現代があるのではない。私は、新聞小説に限らずもっと地方が書かれなければならないと考えている。〈以下省略〉
昭和57年11月
三浦 哲郎
『はまなす物語』(講談社文庫)〈あとがき〉より
三浦さんは、このような思いで、田舎を描写した作品を多く残してくれた。
この『ふれあい散歩道』を通して、さらに新たな創作意欲を覚えたことと思う。
それだけに、健康を取り戻して、田舎のことをもっと書いて貰いたかった。
この意思を継ぐ次の世代の人が現れてくれることを願いたい。
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