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大分前の記事になるが、毎日新聞の東京版に掲載されたようなので、ここに紹介する。
「毎日jp」 毎日新聞 2010年10月3日 東京朝刊より
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/konohito/news/20101003ddm015070012000c.html
今週の本棚・この人この3冊:三浦哲郎=三浦雅士・選
<1>忍ぶ川(三浦哲郎著/新潮文庫/540円)
<2>ユタとふしぎな仲間たち(三浦哲郎著/講談社青い鳥文庫/641円)
<3>おろおろ草紙(三浦哲郎著/講談社文芸文庫/品切れ)
三浦哲郎の小説でもっとも忘れがたいのは『おろおろ草紙』である。
「天明四年閏(うるう)正月、前代未聞といわれる大飢饉(だいききん)に見舞われていた奥州八戸藩の領内種市村で、同村住人の共食いを密告する者があり、城下から徒目付(かちめつけ)が町組十数人を率いて詮議(せんぎ)に出向いた」と書き出して、悲惨極まりない描写が続くが、文体に気品があり、不快な感じがまったくない。歴史小説の傑作である。
鉄砲十六文隊の隊士・立花小十郎の眼(め)を通して描かれるが、膨大かつ詳細な資料を参照しているにもかかわらず、その重圧を少しも感じさせない。冷静かつ平明な記述が続き、結末の一節へとすっと落ちてゆく。
「このあたりでは、春になると、樹々の花という花がいちどきに咲き溢(あふ)れるが、その年も、三月に入るとすぐに、まず紅梅が咲き、それから間もなく吉野桜も咲きはじめた。山梨も咲き、辛夷(こぶし)も咲き、どろやなぎの花粉がそよ風に飛んだ/何事もなかったような、うらうらとした春であった」
北国の春のこれ以上の記述を知らない。自然の苛酷(かこく)な愛情とでもいうほかない。
三浦哲郎はたぐいまれなストーリーテラーである。自身の青春(恋愛と結婚)を主題にした文壇登場作『忍ぶ川』や、兄や姉の悲哀に満ちた人生を描いた『白夜を旅する人々』などがあるから最後の私小説作家のように言われもするが、たんに主題を自身の血族に借りているだけだと言いたいほどだ。慈愛に満ちた視線に支えられているので気づかれにくいが、登場人物はみな作者によって新たな生を生きているのだ。それにしても、『忍ぶ川』を読み返すと、一九五〇年代日本の濃密な、だがあくまでも爽(さわ)やかな風が吹いてくることに驚かされる。
三浦哲郎の本領は、物語を無限に紡ぎだすことにこそあったと思う。そうでなければ短篇の名手とは言われない。『真夜中のサーカス』、『拳銃と十五の短篇』、『木馬の騎手』など、物語の展開の巧みさは、私小説作家のそれではない。自分は電池で動いていると思い込んだ少年の話「ロボット」など、舌を巻くほかない。
だからこそ、郷里である南部地方の座敷童子(わらし)伝説に取材した少年小説『ユタとふしぎな仲間たち』も書かれたのだ。子供のための劇として舞台化されもしたが、愛情豊かな物語作家の資質があますところなく発揮されている。
毎日新聞 2010年10月3日 東京朝刊
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