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■画像:金田一温泉の緑風荘敷地内に建つ「金田一京助先生歌碑」…奥に見えるのは足湯の浴場


金田一温泉の緑風荘の敷地内に建っている「金田一京助先生歌碑」は旅館焼失の際にも被災しないで今も立派に建っている。
先日、散歩の際に、歌碑の前に立って眺めて見たが、達筆な碑文の堀込文字を読めなくて諦めたままになっていた。
碑文やこの碑が建つに至った敬意、当地と金田一京助との関係など、地元に住んでいるのに何も分からないのである。
著名な人のことを知らないのは恥ずかしいので、できたら、ここにも説明板が在ってくれたら有難い。

昨日、倉敷の「きんでーち(金田一)会」の山崎さんから、この歌碑や金田一温泉と金田一京助のことについて問い合わせのメールを頂いた。
お恥ずかしながら、そういう訳で直ぐに返事を書けないでいる。
私もこれを機会に他所の人に説明できる位の知識を得たいと思い、早速親しくしている郷土資料館長に相談に乗ってもらえるようにお願いをしたところである。
分かり次第こちらでも報告するが、詳しい方がいたら情報を頂けたら有難い。


●碑文の内容

「なつかしき故郷の丘の石のおも
  我が名を刻むとはのあかしに」




●二戸市HP 〉二戸市の観光 〉見どころ《観光施設》 〉金田一温泉
 http://www.city.ninohe.iwate.jp/kanko/kintaichi/kintaichi.html

○金田一京助の文学碑

言語学者の金田一京助は、花明と号して短歌もよくし、緑風荘前には「なつかしき故郷の丘の石のおも我が名を刻むとはのあかしに」と刻まれた歌碑が建っています。金田一家は南部藩の氏族であり祖先は金田一を領地として与えられ、金田一姓を名乗るようになったと伝えられており、昭和37年頃金田一温泉に投宿した際に金田一家の祖宗発祥の地の碑を建てる約束をし、京助の歌を刻むことにしたもので文字は表裏とも京助の揮毫です。



先程、読む会の佐藤会員から得た情報によると、金田一先生は北海道の調査からの帰りに、温泉に入りたくなって金田一駅で途中下車して金田一温泉の緑風荘に投宿したという。
その際に、金田一村の村長を務めていた主人の五日市氏が話し相手をしていて、金田一京介のおじいさんが金田一の城(四戸城?)の家老役をしていた縁で金田一の姓を名乗るようになったという話を聞いて、とても偉い人が来たと驚き、急遽講演会を翌日催し、記念碑を建てたいからと碑文の揮毫をお願いして、この文章が誕生したという。

歌碑の裏面には、その年月日も刻まれている筈だと言われたので、後で調べて見ることにする。

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