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私が子供の頃の旧金田一村だった時には湯田と言って「湯田温泉」として知られていた。それが「金田一温泉」と呼ばれるようになったのは何時頃からだっただろうか。
田んぼから温泉が湧いていたから「湯田」と地名が付けられ、昔は「侍の湯」として南部藩の湯治場だったそうだから、温泉としては古い歴史を持っているが、戦前までは旅館がたった3軒しかない、近在農家の人達のためのひっそりとした湯治場だったそうだ。
焼失した「緑風荘」も元は多くの使用人を置く豪農で、終戦後に旅館を始めたというから、歓楽街など程遠い温泉場だったのであろう。
三浦さんも作品の中で説明しているように、私が子供の頃(昭和30年代)は「日本一のラジウム温泉」として効用を評価されて、それを子供心に「キュリー夫人もビックリのラジウム温泉」と言って自慢したものだった。
一時期は、陸中海岸〜八幡平〜十和田湖という観光名勝地を結ぶ中間宿泊温泉地として旅行会社にも注目されて、観光バスが連なって来た時もあり、又、岩手県北、青森県南地域唯一の温泉場として近隣住民からも親しまれて大いに繁盛したのだった。
それが、最寄りの駅の名前を「金田一」から「金田一温泉」に変えて、知名度向上を図ったにも拘わらず、近隣の方々に新たな温泉場が出現したこともあって、宿泊客の落ち込みが激しく、いつの間にか色々な問題を抱えて、どこの宿も危機状態に陥っているのが現状である。
今の季節に入浴するとこの泉質の効用が最も分かって貰えるほどに、いつまでも体がポカポカして心地よいのである。
また、三浦さんが作品で宣伝してくれているように、オデキ(腫れ物)などの皮膚病に良く効くのも本当である。
幾ら良い泉質でも、宿泊施設の改善を疎かにしてきたことと、源泉の温度が36度と低いために沸かし湯をする経費とその設備の老巧化のメンテナンスの負担が重くのし掛かっているから、この金田一温泉を、何とかしなければと思っても、おいそれと改善策が見当たらないのである。
先ずは、国民保養温泉地指定の「座敷わらしの棲む温泉地」と、良い泉質を財産に、日帰り入浴施設「金田一温泉センター」を中心に日帰りの入浴を楽しんで貰えるように、都市圏人口33万人、商圏人口60万人の八戸市中心の南部地方は元より、近隣のトリコロールエリアで、知名度アップの宣伝に力を注ぐことをするべきだろう。
そして、来訪者に楽しんで貰い、お金を使って貰える方法をみんなで考えて取り組んで行き、知名度が上がれば、集客力も増し、各宿泊施設でも設備改善への投資意欲が湧いてくるだろう。
これだけの商圏人口の中にあって、魅力があれば流行らない訳が無い。
むしろ、流行るように努力してこなかったのが不思議でならない、と思うのは私だけだろうか。
役所や事業所、町内会、婦人会、老人会等の総会や新年会・忘年会・慰労会、学校・PTA等の歓送迎会等々、宿泊先選定のターゲットチャンスは沢山有るのだから。
現に、近隣の湯瀬温泉等も生き残り策としてこのことへの営業、送迎に全力を注いでいて、この地域からも大勢出かけているではないか。
これからは暇な時間を自由に使える退職者に力を借りて、昔懐かしい田舎の良さと自然を売りにすることも、喜ばれる時代になって来るように感じている。
兎に角、来てお金を使ってもらえる方法を考えて、その貴重なお金を他所に持って行かれないように、地域で廻すことである。
地域で支える金田一温泉。そんな温泉郷になって欲しいと思っている。
「そんなことは考えてこれまでにやってきた!」と先輩諸兄に一喝されるかも知れない。
でも良い結果にはならなかったからには、何かが足りないのだと思う。
そのためには、金田一温泉全体を統括する力のある営業(戦略)と送迎の対策を講じる必要があるのではないだろうか。
「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
一昔前に「湯の村の若大将=湯田の文男さん」が、多角経営に乗り出して温泉を賑わせてくれた熱意と、三浦さんが自慢の温泉として全国に宣伝してくれていたことを無駄にしないためにも、この温泉地の繁栄を絶やしてはいけない。
そんなことへのヒントが、三浦さんの作品の中に沢山ちりばめられているので、大いに学んで活用させて頂かなければならないと思っている。
今日は「湯田のりんご」のことを書こうと思って、「湯田」の説明から始めたのだったが、つい熱が入ってしまって、本題がズレてしまったので、「湯田のりんご」についてはこの次に回すことにした。
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