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■画像:一戸町立図書館とその三浦哲郎コーナー
中野清見氏著『町長室から 正午のサイレン』の表紙
(真冬で寒暖の差のために室内でカメラのレンズが結露して霞んでしまった)
隣町の一戸町立図書館では、館内の一角にゆかりの作家三浦哲郎の書籍コーナーを設けている。他にも閉架書庫に多くの書籍が保管されているという。
先日、一戸の仕事帰りに立ち寄ってこのコーナーを覗いてみたら、同じ本棚に見覚えの無い本が並んでいるのが目に留まり、手に取って見た。
それは元一戸町長の中野清見氏が書いた『町長室から 正午のサイレン』という本だった。
中野氏は何冊かの著作を発刊している作家としても知られていたが、その書籍を手に取ってみるのは初めてだった。
この本は、町長が折りに触れて感ずることをそのまま文章にして、昭和49年2月から57年12月まで一戸町の広報紙に毎月一編づつ掲載したものを一冊の本にまとめた、町内に住む人々への呼びかけのような内容の随筆になっている。
物書きの他に釣り好きでもあったようで、「町長室」と「釣りの歳時記」の2部構成になっていて、当地出身の彫刻家・舟越保武氏の「序にかえて」が寄せられている。
まだ読み始めだが、さすがに東大卒の秀才とあって、博学な上に話題も豊富で、地元の話題だけに時世を知ることができて何とも面白い。良くもまあこんなに赤良様に自分の思うことを町民にさらけ出したものだと感心させられる思いで読んでいる。
作家の心得がある人だけに、28年過ぎた今でも参考になる内容で実に読みやすい文章になっていることも凄いと思う。
目次の中に三浦さんの文学碑に関する項を2編見つけた。
そこに書かれている文学碑建立を思い立った経緯などを読んで、中野清見氏が町長だったからこそ建立が実現した「三浦哲郎”忍ぶ川”文学碑」だと、今さらながら思う。
これら先人たちの熱意と苦労に報いるためにも、町民たちはもっと文学碑を有効に活かさなければならないと思う。
ここにその内容を紹介する。
町長室から 正午のサイレン
中野清見(元一戸町長) S58.12.1 杜陵印刷発刊
"忍ぶ川"の文学碑を建てよう
三浦哲郎氏の”忍ぶ川”は後世に残る名作だと思う。全篇美しい文章で綴られているが中でもその「さわり」とでもいうべき部分は、結婚初夜に新妻と二人で、窓辺に立ち、遠ざかっていく馬橇の鈴の音を聴く場面だろう。
しかし、その場面が、私たちの一戸町を舞台にしていると知る者は、この町の読者以外にはあまりいないにちがいない。
私たちが読めば、馬淵川と袋町の通りにはさまれた、あのあたりだということがよく判る。三浦氏のお父さんは金田一のご出身で、八戸市の三浦家に養子に行かれ、お母さんはそちらの家つき、したがって作者の三浦氏も八戸出身であるが、お姉さんのお仕事の関係で、この町の袋町に住みつかれて既に長い。そうした不思議な縁で、この町が名作の舞台となったわけである。
この不朽の名作を記念して、馬淵河畔岩瀬橋のたもとあたりに文学碑を建立したいと、私はかねてから思っていた。それで昨年の春ごろだったと思うが、広全寺の佐藤春覚氏を通じて、作者の承諾を得ようとした。ところが、作者の返事は、自分の文学の師である井伏鱒二先生にも文学碑がないのに、弟子の自分が先んずるわけにはいかないので、遠慮したいということであった。文章に似て美しい話しだと思い、しばらく遠慮していた。そうして日を過ごしているうちに、この作者は、昨年九月に出版された”拳銃と十五の短篇”によって野間文学賞を受賞したのである。
ここで私は、遠慮ばかりしてはいられないという気になり、井伏氏には此方からお願いしてご同意を得るから、といって、直接手紙で承諾をお願いした。
その直後三浦氏はお母さんを東京にお連れするため、一戸に来られた。十二月のことである。そのときおめにかかって無理にお願いしたら、反対はされなかった。これでご内諾を得たものとして、私は今年こそ記念碑建立に踏みきりたいと考えている。
井伏氏にもご同意を得るつもりであるが、それ以上に、町内の文学を愛好する人たちの賛意を得たい。町単独で建てることも不可能ではないが、こうしたものは、できるだけ多くの人々の協力によって作る方が、その意義を深めると思う。
何れそのうち、準備委員会のようなものを開いて、具体的に発足したい考えなので、その節はよろしくと申し上げておく。
文学碑の建立がおくれていることについて
三浦哲郎氏の名作「忍ぶ川」の碑を、岩瀬橋のたもとに立てたいといい出してから一年以上にもなります。私たちの計画では、昨年秋には除幕式を行う予定でした。それが未だに着工できずにおり、しかもそれについて何の発言もしないで今に至りました。もう止めたのか、と思っている人もいるかも知れませんし、何よりも三浦さんに申し訳ないことをしてしまいました。
計画を放棄したわけではありません。おくれているだけです。おくれた理由を申し上げておきます。碑を立てる場所は、岩瀬橋の東側のたもとと当初から決めていました。「忍ぶ川」を読んでみれば、あそこ意外にその場所がないことが分かると思います。しかもあの場所は町有地だと思っていたので、計画は何の支障もなく進行するものと考えたのでした、
ところが準備に乗り出したとたんに、思いもかけなかった障害にぶち当りました。その場所が全部町の所有だと思っていたのに、半分が他人のものだということが判明したのです。
しかもその人の所有地が、川岸に寄った方だったので、交換して貰うか、売ってもらう意外に方法がなかったわけです。早速その交渉を始めましたが、それが難航を重ね、時間が経っていきました。土地所有者には、独自の計画であり、文学碑の価値を理解してもらうことは容易なことではなかったのです。それで一時は絶望だと思われました。他の場所を考えたりしましたが、あそこに代わる場所がありませんでした。
困惑し、絶望的な思いに沈んでいたら、交渉に当っていた担当職員から「何とかなりそうですから、もう少し待ってみて下さい」という話しがありました。それから交渉が続けられ、十二月頃にはだいたいの話しがついたとのことでした。近いうちに法的な手続きもすまされるものと思います。
それで、おくれているので建立を急ぎ、五月末か六月始めには完成したいと考えましたが、やはり時間的に無理なようです。ちょうど一年おくらして、秋十月、紅葉の季節に除幕式を、とする方が無難だと思います。
建設費をすべて町でもってもよいとは思いますが、やはり文学を愛する人々、郷土一戸とあの作品の因縁を大事に思う人々の出資による方が、意義が深いと考えられます。建設委員会が動き出したら応分の寄進をいただきたいものです。
この文章に接して、一戸町の文学散歩コースの確立に向けての整備の必要性を尚更強く感じた。
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