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今回の東北地方太平洋沖地震の震災は日増しに全容が明らかになり、気が遠くなるような悲劇が起きていることが分かってきた。
この悲劇は大津波がもたらしたもので、過去に何度もこのような大きな災害がこの地域を襲っていて三陸大津波として記録に残されている。
この地域にゆかりのある三浦哲郎さんは、その惨状を子供のころから聞かされて地震と津波の脅威を知っていたようで、色々な作品の中に描き残してくれている。
先日、usa*o*iさんからコメントがあったとおり『白夜を旅する人々』(S59.10初出)では、昭和8年、山長百貨店の4月1日新装開店を控えた3月2日深夜2時40分頃に起きた地震とそれに伴う大津波の惨状を「14」の項で描いている。
3月10日に清吾と苗が面接試験の会場で再会する一週間前の出来事であった。
この作品の大分以前に書かれている『海の道』(S42〜44.秋 初出)では「その7・泥海砂漠」の項でも、昭和8年3月2日午前2時40分に起きた地震と津波の惨状を相当の頁に渡って詳細に描いている。
この地震は岩手県釜石沖を震源として発生したM8.1の「昭和三陸地震」のことで、地震による被害は少なかったが、地震後に襲来した津波による被害が甚大であったという。
最大波高は岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で28.7mを記録し、田老町(現・宮古市)では町が家がほとんどない更地同然の姿となっていたそうだ。
これらの作品を読んで見ると今回の惨状を描いているようにも思えてくる。
歴史は繰り返されるのである。
町が一瞬にして津波にさらわれて何も無くなってしまった情景は正に「泥海砂漠」である。
これは三浦さんが資料を紐解いて史実に基づいて描き残したもので、決して忘れてはいけない震災の記憶を、自分が子供のころに聞かされて恐怖心を植え付けられたように、読者に伝えたかったのではないだろうか。
幸運にも、現代に住む我々には発達した情報網と進化した交通機関など、当時と比べ物にならない武器があるのだから、一刻も早い救済と復興を願わずにいられない。
三浦さんが恐怖心を持っていた地震の話しは他にもいくつか作品があるので、追って紹介することにしよう。
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